我々ソフトウェアコミュニティのメンバが,パターンに魅せられて首ったけになったのはいつ頃からかといえば,ごく最近になってからのことだ. それに対して,Christopher Alexander が,いまの我々のようにパターンに魅せられていたのは,20年も前のことである. その後現在に至るまでに,彼のアイディアは大きく膨らみ,さらに優れたものに成長している. 彼の最新の仕事は,(まだまだ進行中であるが,) "The Nature of Order (ネイチャ・オブ・オーダー)" と呼ばれている. この『ネイチャ・オブ・オーダー』には,20年以上にわたって積み上げられてきたパターン経験に基いた Alexander の思想の現在の到達点が示されている. そしてさらに,パターンがどこに向かっていくのかについての彼の意見が著されている.
GoFのパターンカタログは素晴らしいものだが,ある種の「袋小路」でもある. 「パターン」という段階でぴったり止まってしまい,パターンランゲージの概念に掘り下げられていない. 個々のパターンがすべて第一級の重要性をもち,もしかしたら別の2,3個のパターンに関係があるかもしれない,と言及されるにとどまる. パターンランゲージは,この遥か先を行くものだ. パターンカタログで扱われている問題よりもさらに基本的な問題に対するソリューションを間接的に生み出すために,パターンランゲージでは,パターン間の豊富な相互作用を扱う. パターンランゲージのソリューションは,どのようなパターンでもそれ1個だけでは決して成し遂げられないほど大きなものだ.
GoF と POSA がともに賞賛に値し,重要な仕事であることに変わりはない. しかし,我々がパターンとパターンランゲージについて本当に理解したいと考えるならば,Alexander の著作のすべてを読む必要がある. この分野での Alexander の最初の仕事は,"Notes on the Synthesis of Form"(邦訳:『形の合成に関するノート』,鹿島出版会.以下,[Notes] と略す) (彼の学位論文)である. この [Notes] の中で,Alexander は,彼が「misfits」(=何かしっくりこないもの,ミスフィット)と呼ぶものが何であるか,そして,構造/スケッチ(structures/sketches) が何であるかについて著述している(後になって,misfits は「 forces 」(=フォース)に発展し,そして,構造/スケッチが「 patterns 」(パターン)に発展する). それらの著作の中で,Alexander は,美学的関心(aesthetic concerns)と有用性(utility)に焦点を合わせようとしてきた.
あまり知られていない(,その上,とても高価で,見つけるのも難しい) "Preview of the Art of the 21st Century" というタイトルの著作では,古代の祈祷用トルコ絨毯の中に「真」(truth)と「美」(beauty)がどのように存在するのかが述べられている. このような絨毯を織り出した職工たちは,その中に神の肖像を表現しようと努めたのだ.つまり,宇宙の構造を,である.
Richard Gabriel の著作 " Patterns and Software: Tales from the Software Community " には,絨毯の真と美を捜し求める Alexander の研究と「ビーズゲーム」の有用性の研究の中で,おそらく最も優れた記述について触れられている. Alexander は,絨毯の異なるデザインや色付けされたビーズの異なる配置を扱り上げ,2つのデザイン(もしくは配置)のどちらが美しいか,印象付けられたか,またそれはどうしてなのかを,被験者に尋ねた. それらの実験の道具立ては交絡的には十分であり,それらの実験から,我々全員が純粋に「見る人による」ものだと考えていたかもしれないものが,実際には思っていたよりも主観が少ないことが示された. 個人個人はさまざまな人生を送ってきたとしても,圧倒的多数により最も印象深く最も美しいと感じられたものは,明らかに収束するように見えた.
Alexander は,さまざまな特徴,すなわち「プロパティ」を注意深く研究しようとした. この「プロパティ」というのは,「いま」という時間に,そのプロパティを所有する設計を観測する者の内部に「嗜好を呼び覚ます」ようなもののことを言う. 中心,対称性,正の空間と負の空間における「効果的」使用法といったものは,すべての人々が美学的な意味で魅了される何かに対するアスペクト(aspect)であり,そのようなアスペクトが我々が美しいと思うものの中に繰り返されてきたのである. Alexander は,「美は 客観的 なものである」という信念を確証するために,このような実験の結果の利用を試みてきた.
"A Pattern Language"(邦訳『パタン・ランゲージ』鹿島出版会.以下,[APL] と略す)の中で,Alexander は,当時,あまり重要視されていなかった美についての習慣,すなわち公益性,美学,耐久性をひのき舞台に登場させた(cf. Vetruvian Pillars: ローマ時代の建築家.建築では,venustas(歓喜もしくは美), utilitas(有用性), firmitas(強さ)が重要であることを説いた). "The Timeless Way of Building"(『時を超えた建設の道』,鹿島出版会.以下,[TTWoB] と略す)では,このような美に関するパターンが我々の知性の中にはすでに存在していて,文明の開花の過程を通じて文化の中に浸透した形でそれが具現化している,と述べられている. しかしそれと同時に,以下のような警句も述べられている.すなわち,文化が技術指向に向かうとともにこのようなことは忘れられていき,特殊化されたものや原理に分割されることになり,それらを折衷することや機能を参照し合うことも行われなくなった,のだと.
過去の文化の豊かだった社会のつながりの多くを,我々は失ってしまい,町や建造物はその町や建造物に居住する者(=コミュニティ自身)によって設計されたり建造されたりアレンジされたりすることももはやなく,その代わりに,現在(いま)では,専門家である「建築家」(アーキテクト)により建造されることになった. そして,建築家は設計図(青写真,ブループリント)を引くだけを行い,建築を実際に担当するのはその設計図が手渡されたグループなのである. コミュニティ全体への「つながり」を喪失した結果として,我々は「全体性」に気付くこともなくなった. 断片すべてをつないで1個の形態(,これは断片の単なる寄せ集めよりも大きなものになるのだが,それ)を産み出す方法も失ってしまった. つまり,社会ネットワークと文化的コミュニティの心臓部に存在していた古くからのパターンを忘れてしまったのである. 以前には,このようなパターンが,「生きた構造」を設計する手引きとして使用されていたのだ.
Alexander にとって,パターンとは,ある種のアーキテクチャ上の課題,もしくは社会的課題を解決することのできる構造のことだ. そのような課題というのは,建造される構造の中に具現化される. またパターンは,そのような個々の課題を超えた文脈(context)においても登場する. すなわち,アーキテクチャスタイルを形成する別のパターンと協働するという文脈である. このようなパターンは,文化に強く依存する.すなわち,パターンにとっては,文化と価値が重要である(cf. 社会ネットワーク理論: 社会学の一派.1930年代に Moreno によって創始された). 人類学は,コミュニティと組織のパターンを研究する原理の例である.コミュニティにおける儀式,儀礼,社会習慣,文化遺伝子(memes),コミュニティの中核に存在する思想などが,その原理になる.
「パターン」に関する書籍の最も古いものは,A. L. Kroeber が1948年に著した ,"Anthropology: Culture, Patterns, and Process" である.この中で Kroeber は文化のパターンには3つのレベルがあると説いている.
Alexander の研究は,文化に強く依存したパターンを通り抜け,普遍性をもつ幾何学の認知的・心理的アスペクトへと移行していった. 彼の関心は,彼が「全体性」と呼んでいるものの本質を構成する要素の背後に潜んでいる何かを解き明かすことだ. ある絨毯が別の絨毯よりも高い「全体性」を持つことを可能にするものは何なのだろうか. ネイチャ・オブ・オーダー: The Nature of Order は,ものごとが自然に成長する方法(自然のプロセス,natural process)に関する大統一理論(grand unified theory)の一種である.
膨大な実験結果から,Alexander は15個の「基礎プロパティ」というアイディアに到達した. 基礎プロパティは非常に心理的なものであるし,本質的には生物学的なものである.これらが我々にとって最も基本的な秩序(order)や美(beauty)を形成する. [cf. ユングの「集合無意識」(普遍的無意識)という概念.] もしかしたら,基礎プロパティのいくつかはそのほかのプロパティよりも深くて,生存の本質や 進化に関係しているかもしれない. [cf. マズローの「欲求の階層論」.] Alexander のアイディアは,ソフトウェアパターンのコミュニティの20年先を歩んでいる.
Alexander の初期の著作 ( [APL] と [TTWoB] ) では,"the quality without a name" ,すなわち「無明の質」,略して QWAN が頻繁に登場する. "The Nature of Order" では,「質」というものに対する彼の理解が進化し,この「質」を指して,全体性:wholeness という用語が使用されている. 全体性 (と「生命」)は,中心(center) という座に自然発生するプロセスの結果として生じる.
「中心:center 」とは,構造(structure)として「認識される何か」である. すなわち,「アーキテクチャ的な関心」であるものとして,我々の目に映る何かが「中心」と呼ばれるものである. 中心は,近隣の構造( それらもまた中心であるかもしれないのだが )から我々の注意を喚起するものを生み出す. [cf. 関心の的:center of attention] ある種の境界(おそらく非常にあいまいな境界)を介して,近隣の構造と自らを差別化するのである. 中心の例としては,天井や床のタイルの列,田舎の池などがあり,ソフトウェアパターンコミュニティの中で「パターン」と見なされているものも中心である. パターンは,ステレオタイプ的な中心だ.
Alexander の考えでは,すべてのものが「全体性」をもつのだが,全体性の所有の程度が他よりも優れているものが存在する. このようなものすべてが,顕著な中心をもつ. ここで「顕著な中心」と呼んだものは,別の中心から再帰的に作られる. "The Nature of Order" は,中心を強調するプロセスによって,全体性を保持し展開するような設計の統一モデルを提供する. 中心が「優れた」ものであると,その周りに存在する中心を強化することになる. 隣接する中心を追加することにより,中心の存在を補強することができる. 隣接する中心を補強することや,その中心の中に含まれる中心を補強することによっても,1個の中心の存在が明確になる.
このようなプロセスの最終結果として,再帰的で階層的な中心の集合が出来上がる. このような中心は,スケールの全レベルで統合され,別の中心を強化する. プロセスは,本質的な基本の中心から始め,再帰的に設計を展開していく. そして,既存の中心を破壊することなく,さらに多くの中心を精緻化する. Alexander が紹介している例の1つに,細胞分裂がある. 細胞は分裂することで,自分自身を差異化し,既存の中心を強化する. 中心が生じるのは,ある1個のスケールにおいて,であるが,中心と中心の相対的なスケールが重要な意味をもつ.
次にパターンを考えると,パターンとは,設計中に存在する領域をもつ点もしくは不変表明で,より深い中心を表している. すなわち,パターンは,中心の配置であり,特定の文化に本質的であるような何らかの文化の文脈を提供する. パターンが名前をもち,系(システム)の中の名前空間に存在する1個の点であるのに対し,中心は名前をもたず,人間の心理(やそれ以上の何か)における深層構造を扱うものである. 設計空間における「優れた空間」は,明確に認識できる場所であり,中心の共通配置の存在する場所である. "The Nature of Order" で扱われていることは,パターンの何倍も汎用性の高いということが分かるだろう.
それでは,中心をもとに「全体性を展開する」(unfolding wholeness)プロセスとは何だろうか. 中心は,別の中心により精緻化され拡大される. その際に,Alexander が構造保存変換:structure-preserving transformationsと呼ぶものが使用される. 中心の補強や強化を企てる場合には,その中心の周りの構造と同程度に,既存の中心の構造の保存(維持)に注意を払わなくてはいけない. そして,ある中心を追加したり精緻化したりする場合には,結果を観測して,実際に,系(システム)の全体性が増加しているかどうかを確認しなくてはいけない. 系の全体性を増大させたり既存の中心を精緻化したりということがないならば,もとに戻してそれ以外の可能性を試してみる必要がある.
したがって,設計とは,既存の中心を強化する新しい中心を生み出すために,このような構造保存変換を適用することから成り立つのだ. 系(システム)の全体性は,一歩一歩の成長(piecemeal growth)と,構造保存変換を繰り返し適用することにより拡大される. [cf. 生物学における形態形成(morphogenesis)?] 「パターン」を新たに適用することは,系の中にその他のパターンを組み込むこと,もしくは,「かみ合わせること」でなければいけない.
しかし,ここで言っている「構造保存変換」とは何のことだろうか. これが何かを考えるためには,「美が客観的なものである」というAlexander の仮定に立ち戻る必要がある. 言い換えると,異なる構造を導くことになる設計の代替案に直面した際に,あるものが他のもの「よりも優れている」という感覚が,主観を超越し,その客観性を実験的に検証できるのである.
何度も実験を繰り返しているうちに,Alexander は美の客観性が15個の基礎プロパティ(fifteen fundamental properties) の存在と密接に関係していることに気づいた. このプロパティは,人間の認知により繰り返し発現し,人間の心理に深く根付いているように思える. プロパティの数「15」は,いかなる文脈においても「マジック」数だと呼べるものではない. 完全にその他の理由からは切り離され,ただ Alexander の実験結果から,その副産物として決定された数だ. 以下に示すのが,15個の基礎プロパティである.
いかなる中心の内部もしくは周囲には,より小さな中心が存在し,その小さな中心はサイズという意味で,スケールの小さなレベルに位置付けられる.
スケールの違いは,4から10倍の間であるのが望ましい.
(これに関する具体例.-- Copeからの私信より.「1メートル規模の中心を例にとって考えてみよう.
寺院の扉というのは,これにあたる.
この扉が4メートル規模から10メートル規模の中心に含まれるのが望ましい,というのが,上の文の意味.」)
[[cf. Nikos A. Salingaros の "The Laws of Architecture from a Physicist's
Perspective".
この本の中で,彼はアーキテクチャの3つの法則を述べている.
]]
興味深いことに,ここで紹介されている「スケールレベル」が,偶然にも,いわゆる「自然」対数のルートと一致する.
Cope は『ネイチャ・オブ・オーダー』のドラフト版から以下の節を読む.
「[中心] A の近傍で発生する,規則性をもたない撹乱というものが,潜在的な中心(latent center) B を生み出すことになる.
この潜在的な中心が強力になるにつれて,中心 A の近傍に凝集(aggregation) や核生成(nucleation)が生じる.
これは,スケールにおける跳躍(jump)であるに違いない.そうでなければ,構造を保存(維持)することができないだろう.」
中心はオーバーラップすることもあるが,アイデンティティを完全に失うべきではない.
強い中心というのは,他の中心により補強され,構造保存変換により強化される中心のことだ.
Cope は,ここで『ネイチャ・オブ・オーダー』の一節を再び読み上げる.
「花の成長においては,それが生じる電界効果が存在する.
これは,樹液の中の化学勾配により発生する.
1個の中心としてが頭上花の位置が形成されるとき,その花の葉,茎などの部位は,その樹液で花を保護するように再配置される.
そして,そのプロセスの中で,中心を実際に強化するような電界効果が生み出される.」
1個の中心が形成されると,その次に発生する構造保存変換では,その周りやその中心の中に存在するような,より小さな中心が生み出される.その空間的な位置の効果により,その小さな中心はもともとの中心を強化するように配置される.そのアーキテクチャが明確な形をもちはじめ,さらに多くの構造保存変換が適用されると,その系(システム)のすべての中心で,これと同じことが起こるようになる.
これは,設計全体を通じて何度も繰り返され何度も発生する構造である.
Copeは,以下の節を読み上げる.
「原子,波,葉,細かい砂,絹雲などすべてが,あるタイプの中心の繰り返しをもち,その繰り返しは空間全体に拡がり,何度も何度も繰り返される.」
交互反復は,中心の反復の間に存在する空間の中に「潜在的な中心」(latent center,まだ完全には形成されていない中心,中心になるかもしれないもの)を含む. この潜在的な中心がさらに完全な形をとるようになると,それらすべてが独自の権利をもって,中心の「繰り返しシーケンス」となる. すなわち,それがもともと存在していた中心のシーケンスの間に代わるものだ.繰り返される中心の間の空間が完全に同様のものであるならば,中心から構成されていた最初のシステムに含まれるすべての中心でこれが生じ,その結果生じるシステムでもまったく同様にすべての中心でこれが生じる.このような数多くの変換が生じた結果,交互反復が出現する.
中心のそれぞれが1個以上の(ファジーな)境界を生じさせ,その境界が中心を取り囲む. と同時に,隣接する中心を囲い込む. 中心が強化され,さらに中心が(構造保存変換により)加えられるとき,境界が強化されさらに大きな境界を形成することになる. そして,この強化された境界がその中に含まれる境界を強化する. このプロセスが構造保存変換として繰り返されると,このような境界が空間中をあまねく存在することになる.
正の空間とは,「潜在的な中心」(中心になるかもしれないもの)で稠密した設計の領域だ. それまで存在しなかった中心が姿を現すとき,それは「正」(positive)の方法で何も無かった空間を満たすことになる.正の方法というのは,つまり,その中心が空間を補強するということを意味している. [このような方法が,彫像を作成するミケランジェロが石の中に人間のフォルムがあるだと主張したのと同じだと思うかどうかを,私はCopeに質問した.] 構造保存変換の繰り返しは,「潜在的な中心」を「中心らしいもの」にする.そして結果として,さらに「頑丈な」中心が生み出される.「潜在的な中心」からなる何も無い空間が,そのようなものの「断片」で満たされるにつれて,そのような断片が中心になり,さらに「正」の性質をもつようになる.
中心が補強され増強されるにつれて,「潜在的な中心」は具体性を増し,「良い形」を取りはじめる.設計が進むにつれて,この「形」は新しい形態をもつようになっていく. [これと「境界:Boundaries」との違いは何だろうか?] このような方法で,はじめはぼんやりとしていた中心が新しい形態をもちはじめ,明確に中心であるとわかるものに増強される. 中心の全体としての形は,このような変換により強められ,それ自身で「良い形」を持つことになる.
[[注記: この時点で, Copeにはこれらのプロパティを紹介する時間があまりなくなってきた.彼は,話しのピッチを上げ,ところどころ省略した.Copeがどれくらい詳細に話すつもりだったのかはよくわからないが,私自身が残りのプロパティを説明することができるだろう.]]
繰り返される構造的な類似性,これが中心を強化し増強する.局所対称が,自らを強化し,増強し,反復する場合もある.[私にはフラクタルのように思える.] 局所対称は,ほとんどいつも中心を強化すると言ってよい.個々の局所対象は,局所の中心を強化する.そのような局所対称の密度が徐々に増加していくことになる.
[APL]に述べられている「City-Country-Fingers」(フィンガー状の都市と田園)パターンが,この「深い絡みあい/多義性」の例として挙げられる. [M. C. Escherが描いた古典的絵画の多くもこの例だと言えるのではないだろうか.] 2つの中心の間に存在するエッジ(縁)に沿って,ランダムな摂動が,「潜在的な中心」として存在する何かを形成することになる. この外見はランダムに見える「潜在的な中心」が強化される際,1つのゾーンの中,それとはまた別のゾーンの中,あるいはその両者によって作り出されるエッジに沿って,それが進行する. エッジに沿った中心が強化されるときには,そのエッジを作り出す2つのゾーン(中心)のいずれかの側に深く浸透する. つまり,大きな中心(ゾーン)の両側に浸透する中心というのは,このようにしてできあがる. そして,この両者によるエッジに沿って新しくできた中心は,両側に等しく所属するように見える.
シマウマは,黒のストライプをもつ白色なのだろうか,それとも,白のストライプをもつ黒色なのだろうか.
構造保存変換の効果には,「中心間の空間もしくは中心内部の空間を差異化して,その結果個々の中心を明確化すること」がある. 周りの空間の差異化が徐々に強化されると,「対比」が生み出されることになる.
中心が追加され強化される際,その周りの空間は,中心へと向かう段階的な勾配を形成する. この勾配が中心を強化する. [これも「電界効果」だろうか?] ゆるやかに勾配のついた変化は,大小のスケールレベルで存在する数多くの中心の周りをめぐり,空間全体の中に現れる.
システムが拡張されていく際には,中心(特に,粒度の大きなレイヤーに存在する中心)は興味深い方法で接続され,「粗い」境界,エッジ,レイヤーなどの形状を形成する(独特の形状が形成されることもある). 粗さは,1/60インチ以下であるのが望ましい. [これは別のスケールレベルなのだろうか?] この例として,結晶が成長するという系(システム)を挙げることができる.
小さな中心が協働して大きな中心を確実に形成するために,小さな中心が不規則な形状をとることもしばしばある(「形状と配置のシンコペート」(syncopated in shape and arrangement)). これにより,小さな中心が大きな中心の中に無理なく生成される. このような「不完全な類似性」(imperfect similarity)が「粗さ」を生じさせ,大きな中心が完全性を保つような深い秩序を表面層に兆すことになる.
「反響」では,構造の類似性が繰り返される.
反響とは,互いにわずかに変化しながら繰り返される構造である.
反響と完全に等価なものの繰り返しとは,対照的だ.
[cf. 古典音楽の主旋律のバリエーション].
Cope は,以下の節を読み上げる.
「しわにまみれた老人の顔には,彼の顔全体のラインとアングルがパターンを作り出す.
中心は,形態学上,これと類似性をもって組織化される.
つまり,彼の顔のあらゆる点で反響が見られるのだ.」
プロセスのこのような類似性が,システム(系)のさまざまな箇所で構造上の類似性(「反響」)を生み出す. すなわち,「類似アングルと形状の系」であり,反響が生じるさまざまな中心が互いに類似性をもち,それが家族が似ているという事実を生み出すのである.
「間」は,周期的な「一掃」もしくは「自己組織化」の帰結として生じる. 中心,もしくは中心のグループは,豊富になり過ぎたり,もしくは強化され過ぎたりすることもある. その結果生じる複合物は,混沌とした様相を示しはじめ,「忙しすぎる」(too busy)ようにに見える(おそらく,入り組んで複雑でもあるだろう). 「間」は,保護の反応の一種で[cf. 防御反応,種の保存という動物の基本的な本能],あまりにも強化されすぎた中心を取り除いたり,小さい中心を明確化したり,視覚化される中心を減らしたり(おそらくこれまで意識されることのなかった中心[中心になるかもしれないものか.]を減らすことになる)して,システムの構造を維持(保存)する.
一般的には,構造を保護するために,小さくて重要性の少ない中心の群れと過度に差異化された空間を取り除く,つまり,一掃する.そして「均質な空虚」とそれらを置換する.小さい中心のいくつかは,この空虚と均質性の導入により強化される結果になる.そのため,「間」は,これまで注目されもしなかった小さい中心を強化するという目的を果たす.
中心の「簡素化による強化」の一種. 不必要な要素を除去しその結果の中心を「蒸留して」本質を抽出する. 不適切な構造の吐き出しが続けられ,中心が簡素化によってさらに強化されると,不必要なものが何も存在しない空間の中にゆっくりと状態が現れる. 構造を無効にしたり他の中心の価値/重要性を減少させたりするような,不適切で混乱を招く中心はすべて一掃され,最終的には,構造保存変換の一環として,単純な内部状態が自然に生じてくる. [これは,「自己組織化の系」にかなり似ているのではないだろうか.void IMHO ("In My Humble Opinion")よりもずっと似ているように思える.]
Cope は,以下の節を読み上げる.
「不完全な形態から構造が開拓される際,統一化への力が働き続ける.
各部分は別の部分にさらにきつく結びつく.
別の部分からは派手に離れてしまっているものは取り除かれる.」
不可分性は,曖昧な統一体(unity)の一種だ(たとえば,池の淵や海岸の始まりはどこだろうか.海岸線と空はどこから始まるのだろうか.) [これと,"Deep Interlock and Ambiguity"とは,どのように異なるだろうか?] ほとんどシート状だといえるような統一体を生み出す場所に,それを仕上げる最後の中心が配置されると,各部分が他のものとは分離できないように見えはじめる.
[[この最後の3つのプロパティは,ものごとのの外側に存在しているように思える.
少なくとも,「混在しているもの」に何かを追加するという類のものではない.
言うなれば,それまでに存在するものの大掃除だ.]]
個々の「全体性:wholeness」は,すべて中心と潜在的な構造境界から作り上げられる. 中心はこのような要素が適当な組み合わさって構成されている.(cf. 黄金分割,黄金方形). システムの全体性が姿を現してくるにつれて,すべてのスケールレベルで,この15個の構造保存プロパティがさらに頻繁に見られるようになる. (15個のプロパティは,その拡散性における包括性であり密度の高みである.) これが起こっている間,そのシステムに存在するかもしれない中心は次第に活発になり,他とは差別化されるようになる. おそらく,このことは,15個のプロパティが自然と自然のプロセスの中でどのように繰り返されるのかを反映するだろう. [[なぜ,このようなものすべてからフラクタルを考えざるを得ない結果になるのだろう?]]
変換において維持され続ける中心,パターン,構造が,それが中心や変換だと意識されることなく,取り入れられなくてはいけない. それまでに導入されている要素のコンテキストを加味した上で,新たな要素が追加されていく. 要素間の依存性は,1つ以上の部分的な順序付けを形成することになる. このような中心の「部分的な順序付け」と適用される変換のことを「シーケンス」と呼ぶ. シーケンスのどの点をとっても,適用される次の変換は,それがシステム規模のインパクトを有する限り,「全体性」を維持する変換でなくてはいけない. (そのシステムの「生命」を1個の全体とみなす.) [このことは,もっともリスクの高い領域への取り組みを最初に行うリスクベースのアプローチの名残を見て取れそうだ.].
プロセス(シーケンス)は,フィードバックをもつ必要がある. 非常に現代的なプロセスは,フィードバックを利用して「全体性」を増大させ,またフィードバックによりその結果として生じるシステムを1個の「全体」として評価する.(これはそれが終わってからという意味ではなく,システムが「生きている」限り永続的に,という意味である.) [このことと,デミング(Deming)の統計的品質制御における「フィードバック」/「フィードフォワード」(feed-forward)の類似点と相違点はどうなっているのだろうか?] 1個のシーケンスは,システムを貫く1個のパスのようなものだ. つまり,システムを構築する際の「ガイド付きシステムツアー」だと言える. そして,即時に生じるフィードバックを吸収,反映していく. (すべてのことが一括してはじめから詳細に決定されているような「任命」プロセスや手続きというものとは,まったく異なっている.) そのツアーにおける一歩一歩がシステムを構築していくのだが,それらは自然法則に則った構造保存変換になっている. 人造の構造の中に自然で生じる構造的な質を「再生産する」ために,そのような変換を伴う一歩一歩をたどることになるのである.
この生成に関してはあるプロジェクト(ジェネレータプロジェクト)が進行しており,Alexander,Dick Gabriel,Ron Goldman,Cope が意見を交し合っているが,そのプロジェクトの中で,Alexander はパターンのシーケンスというものにはほとんど無頓着である.それよりもむしろ,弱い中心にまず焦点をあてるという基礎プロセスについて多大な関心を払っている. 基礎プロセスとは,基本的には以下のようなものである.
これを基礎プロセスと呼ぶ.基礎プロセスは,パターンランゲージの構造と直交して生じることもある. これは,Alexander が「コンテインメント」(containment,封じ込め)と呼ぶ概念に基いている.
そこで,(ジェネレータプロジェクトによる)ジェネレータがすることは,弱いエリアを選び出し,そこへの中心の追加を可能にすることだ. ときには,ジェネレータが全体のシーケンスを提案することもあるだろうし,個々の中心を追加するパターンを提案することもあるだろう.
ティーハウスのシーケンスを考えるならば,それはパターンランゲージというよりもシーケンスを分節したものになるが,24個のステップから構成されることになるだろう.
Alexander は,シーケンスが現実的に重要であると注記している.
つまり,24ステップには10の35乗の順序付けがあるのだ.
しかし,Alexander はそれらの中の1つだけが機能するとは言っていない.
つまり,おそらく数千個の順序が機能することだろう.
さらに,Alexander がシーケンスを述べる際には,部分順序付けもしくはレイヤー化については1個たりともされていないのである.
(Copeからの私信より.「パターン間の依存性を考慮せずに,いくつもいくつものシーケンスを考えることができる.パターンランゲージにパターンを配置する順序は,パターンを適用するシーケンスの順序とはあまり関係が無い.少なくとも,私はそれが正しいって思ってるよ.」)
すなわち,パターンランゲージは開始点に過ぎない. 覚えておいてほしい. パターンは「門」に過ぎないのだ. 本当のゴールは,私たちの本能から生じ,あらかじめ用意されていた形を拒絶する. そのこと自身は,Alexander が [TTWoB] の最後(もしくは [APL] で)主張している通りなのでる.
Alexander のアーキテクチャムーヴメントは,1960年代に始まり,約30年をかけて "The Nature of Order" で描かれている地点に成熟した. ソフトウェアは,別の分野とは異なり,物理的な世界における自然法則に制約されない. つまり,物理法則に従わなくてもよいし,悪夢のようなスパゲッティコードを提供するかもしれないものに従属することもない.
結論として,"The Nature of Order" で述べられているプロセスが,いわゆる「ジェントルマンハッカー」(gentlemen hacker)カルチャ(1960年代にMITで産み出されて広まったカルチャー)のメンバが使っていた方法と,非常に似ていることがわかるだろう. 「ジェントルマンハッカー」とは,たとえば,Doug Lea, Richard Gabriel, Don Knuth, .... といった技術者のことだ. 彼らのとったプロセスは厳密な形式性に欠くように見えるのだけれども,実際には,必然性をもって,「主義,統合性に優れたものである」こと,また,熟練工精神や手作り礼賛の中に見られる単なるプライドに抗して「知的な厳密さを有している」ということを,哀しいことだが,大部分の人には理解できないようだ. 深い洞察に支えられたこのような「ハッカー」たちは,システムを部分の単なる寄せ集めとしてではなく全体として捉えてきた. 形式性を欠くことが,主義の無さであると誤解されるのは不幸である. 「ハッカー」という言葉は,見習うべき何かというものから切り離されて,プロセス定義やプロセス改善を考えるソフトウェアエンジニアリングのサークルにおいて忌み嫌われるものにされてしまっている.
"The Nature of Order" に書かれていることを利用しようというプロジェクトが,現在,2つ進行している. Alexander 自身は,"The Generator"(「ジェネレータ」)と呼ばれるプロジェクトに参加している. このプロジェクトでは,中心に関しての適切なシーケンスをアーキテクト(建築家)が識別するのを支援するシステムの構築が進められている. 建築で Alexander が成し遂げたことと同様のことをソフトウェアで行うために,Alexander と一緒に仕事をしようという著名なコンソーシアムもある.このコンソーシアムには,ソフトウェア分野だけでなく,別分野の人々も参加している. (Cope と Dick Gabriel は,これに参加している.もっとも,Copeはその成功可能性や継続的な資金調達にあまり楽観視できないと思っているようだ.)
しかし,ソフトウェアは知的な思考の「資産」である. つまり,グループ ポエトリ ライティング(group poetry writing; グループで詩を創り出すこと)だ. しかし,これには問題点があって,コミュニケーションの基盤として使用できる「文献」を,我々が共有していないのである. この部屋にいる我々の多くは,おそらく,Huck Finn や Moby Dick といったアメリカの文学の「古典」を読んだことがあるだろう. いまのソフトウェアカルチャには,これに類似した経験が未だ存在しないのである. ソフトウェア開発者の何パーセントの人間が,Don Knuth のMIX や TEX のようなソースコードのすべてを読んだことがあるだろうか. Bjarne Stroustrup の cfront (C++のプリプロセッサ)のコードはどうだろうか. Emacs (Stallman のTECOで書かれたオリジナルコードでもGosling が C言語で書き直したものでもよいのだが,)のソースコードはどうだろう.
現在ソフトウェアの大部分が開発されている企業の中の文化には,このような情報共有を紛糾するという傾向が大いにあることは否定できない. このことが,これまで共有されてきた文献と同等のものとしてソフトウェアを考えるのを困難にしている. 企業が自社の記録として所持する期間というのは,一般的には非常に短い(通常は3年以下だ). そして,そのような共有されたコミュニケーションを価値あるものとする必然性を我々技術者の中に注ぎ込むようなバリューシステム(価値システム)を確立できないでいる. (フリーソフトウェアコミュニティの中で行われている努力というのは,人々をこの方向に向かわせている.)
ソフトウェアパターンのムーヴメントは,いまだ幼年期にあると言ってよいだろう.(我々はいまだパターンやパターンランゲージを書くのに問題を抱えている.) そして,産業レベルでの準備が整うまで,今後 20年,30年は汗水をたらして,ソフトウェアパターンとパターンランゲージの開拓に努めることになるかもしれない. そのようにして我々が目差すのは,Alexander が "The Nature of Order" で説いているコミュニティ―パターンが適用されるコミュニティ―へと,産業が進展し拡大するという目標地点である.