1996年7月30日号
(No.125)
Nutsの表紙です
目次
*『ある痛みについて2』
*『VOICE』
・編集人「Nutsの広告力について」
・「あるオハナシ」
***************************
『ある痛みについて』
さて、例の「ある痛みについて」の続きです。
前回は、日本語を話すアメリカ人たちに対して、私が個人的に持ってる
感情をお話ししました。
私は、その文章の中で、こう書きました。
「私は、日本語をしゃべるアメリカ人が、あまり好きではありません。
どちらかと言うと嫌いです」。
この時の文章に対して、2通の投書を頂きました。それらの内容は、
「アンタ、何言ってるの? よくそんなこと書けるわねえ!」というものでした。
私、それらの投書をもらって少し考えました。そして思ったのです。
「う〜ん、わしゃ、やっぱり、日本語をしゃべるアメリカ人が、あまり
好きくないね。こりゃ、重傷だわ。」と。
ですから、私が前回書いたことは、私の勘違いでもなんでもなく、実際に
私のココロの中に存在する感情です。
ここで、念のため、付け加えておきます。私は、「私は、日本語をしゃべる
アメリカ人が、あまり好きではありません。どちらかと言うと嫌いです」
という自分が大嫌いです。こういう自分であって欲しくないと強く思っています。
しかし、です。現実には、そういう悪魔的な気持ちを持ってしまう自分が
存在しています。
また、私は、この文章を通して、「もっと日本語をしゃべるアメリカ人を
嫌いになろう!」とか、「私が、彼らを嫌いな理由、分かるでしょ? だから、
私は、日本語をしゃべるアメリカ人が嫌いなの。しょうがないわよね。」
というようなことを言いたいのではありません。私がこの文章の中でやり
たいのは、「ここに、日本語、あるいは、日本のインターナショナル化の
ためにならない日本人がひとりいます。この人間は、”日本語をしゃべる
アメリカ人が嫌いだ”と言っています。では、この人間は、どうやって
こういう感情を持つに至ったのでしょうか。それについて考えてみたいと
思います。」ということなのです。
私の文章を読んで、プッツンなさる方もいるかもしれません。そういう方は、
「I Hate You!」レターでも、「I Kill You!」でも書いて頂いて結構です。
それで気が収まるようでしたら、どうぞ。私を傷つけるのが目的でしたら、
それらは、かなり効果があります。私も傷つく準備をして待ってます。でも、
私は書くわよ。
では、本題に入りましょう。
私がアメリカに来た頃は、私のココロの中に「日本語をしゃべる
アメリカ人が嫌いだ」という感情は存在しませんでした。その頃は、
むしろ逆でした。日本語で話しかけてくるアメリカ人に会うと、なんか
「地獄に仏」気分で、すっごく嬉しかったです。そして、そういう「日本語を
しゃべるアメリカ人」たちに対しても、「きっとこの人は、いい人に違いない。
だって、日本語を話せるってことは、日本の文化に興味があるってことで、
ついでに、わざわざ日本語習ってるぐらいだから、日本が大好きなはずだし、
そしたら、この人は、私にとってすんごくいい人のはずじゃん、イエ〜イ!」
てな感情を持ってました。まあ、田舎者だったわけです。
そのうち、わたくし、ここニューヨークでいろんなコミュニティ活動に参加
するようになりまして、それを通して、いろいろな「日本語をしゃべる
アメリカ人」たちに会いました。
その中には、いい人たちもたくさんいました。でも、同時に、数人の
胡散(うさん)臭い「日本語をしゃべるアメリカ人」たちもいました。
彼らは、日本語がしゃべれるということを利用して日本人に近づき、そして、
金のため、あるいは、その他のことのために日本人たちを利用しようとしてました。
ここで、ちょっと強く言っておきたいのですが、そういう「日本語をしゃべる
悪いアメリカ人」というのは、私が会った「日本語をしゃべるアメリカ人」の
中のごく一部です。そういうアメリカ人は、確かに存在してます。
でも、ごくごく少数です。
話を戻します。
「日本語をしゃべる悪いアメリカ人」に会ったことは、私にとって、
かなりショックでした。なぜなら、それまでは、「日本語をしゃべるなら、
当然いい人やん。」という思いを持っていたからです。要するに、田舎者が、
ある意味で、社会の洗礼を受けたわけです。
そういうことがあってから、私の「日本語をしゃべるアメリカ人」に
対する感情は、少しずつ変化していきました。
自分でもよく分からないのですが、おそらく「裏切られた」という感情が、
私のココロの中に根を張り始めたのだと思います。「可愛いさ余って、
憎さ百倍」的な、ココロの反動が起こったのでしょう。
それからは、「日本語をしゃべるアメリカ人」に対して、すごく警戒する
ようになりました。特に、日本語を機関銃のようにペラペラしゃべる
アメリカ人に対しては、最初から猜疑心(さいぎしん)の目で見るように
なりました。
もうこうなってしまったら、物事をプラス思考で考えるのは、なかなか
難しくなります。前回の「ある痛みについて」で書きましたように、
「日本語をしゃべるアメリカ人」との間に起きた、ちょっとしたことでも、
「この野郎、ふざけんな!」的マイナス思考になってしまいます。
裏切られた傷は、深いわけです。
まあ、裏切られた、裏切られた、とは言っても、そう解釈しているのは、
私でありまして、普通に考えたら、そういう「日本語をしゃべる悪い
アメリカ人」がいるのも、当然のことなんですよね。「日本語をしゃべる
アメリカ人=いいアメリカ人」なんて式は、成り立たないわけですし、
やっぱりいい人は、いい人だし、悪い人は、悪い人なのであります。
また、私は、「オレが日本語しゃべるアメリカ人が嫌いなのは、あいつらの
せいなんだ〜。オレには罪はないんだ〜。」なんてことを言っているのでは
ありません。念のため。
でも、自分でどう理解してるにしろ、その「裏切られた」という気持ちは、
まだ私のココロの中にしつこく残っているようです。
私は、この状態に関して、決してハッピーではありません。そういう
気持ちが、サッサと出て行ってくれることを願っておりまし、そのように
努力してます。
しかし、今はまだ、「日本語をしゃべるアメリカ人が嫌いだ」と書いて
しまえる状態です。
もうひとつ、私が、「日本語をしゃべるアメリカ人」を嫌いな理由だと
考えられるものがあります。それは、「なんでそんなにうまく日本語が
しゃべれんだよお!」という、ある意味での嫉妬心です。
私の中には、「日本語はすんげえ難しい言語である」という考えが、
根強く残っています。で、それは、以下のような考えへとつながります。
「日本語はすんげえ難しい言語である=非日本人にはなかなか
しゃべれねえぜ=(日本語をしゃべるアメリカ人に会って)なんでそんなに
うまくしゃべれんだよ、話が違うじゃねえか=てめえ、英語もしゃべって、
日本語までしゃべりやがるのか、英語が苦手なオレの立場がねえ
じゃねえか=オメエらとは、付き合わねえよ、だって、オメエらと
付き合うと、オレの劣等感がチクチクうずきやがるのよ」
という江戸っ子調の変な思考回路が、私のココロにはあると思います。
先に書きました「裏切られた傷」と同じように、これも、ココロの中に
置いておくべきものではありません。
しかし、そいつは、私のココロのかなり深いところに横たわっています。
どこから、こういう変な思考回路を仕入れたかは、分からないのですが、
確かにそいつは居ると思います。
以上の2つの理由、「裏切られた傷」及び「変な思考回路」、そして、
前回の「ある痛みについて」で書いた、「アメリカ人の日本語」に関する解釈、
これらのものが協力し合って、私に「日本語しゃべるアメリカ人が嫌い」
などという発言をさせていると思います。
「日本語しゃべるアメリカ人」に対して、私のような考えや感情を
持っている日本人は、日本語や日本のインターナショナル化、あるいは、
日本とアメリカの友好関係の邪魔になる可能性があります。ですから、
私と似たような「傷」や「思考回路」を持ってる人は、できるだけ早いうちに、
それらを自分のココロから追い出すようにすべきです。
でも、それがなかなか難しいのよね。
とりあえず、今週はこんなもんで。
では。 編集人
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『VOICE』
@編集人です。
今週は、投書はナシです。全部自分で書きました。(結構大変よ。)
さて、Nutsの広告についでです。
今、現在、Nutsには、広告がありません。一応、探してはいるんですよ。
でも、ないのであります。
そこで、いい機会ですので、未来の広告主さんへの説明を兼ねて、
このNutsのニューヨークにおける広告力について、お話ししたいと思います。
現在のNutsの発行部数は、毎週千部です。で、この千部のうちの8百部は、
次の週までになくなります。そして、最終的に私の手元に残るのは、
バックナンバー用の20部ほどです。
つまり、1週間の間に、少なくとも8百人の方々が、Nutsを読む、
ということなのであります。
また、Nutsの読者には、リピーターの方が多く、その数は、およそ6百人
ほどと、わたくしは、読んでおります。つまり、ニューヨークに住む日本人の
中の約6百人は、毎週Nutsを読んでるのであります。
これは、広告媒体としては、あまり自慢できることではありません。
なぜかと言いますと、広告対象人数というのが、かなり少なくなるから
なのであります。
一応、Nutsは、月に延べ4千部発行されています。でも、そのリピーターの
ことを考えた場合、それは、純粋に4千人の人たちが読んでるという意味には
なりません。リピーターが、約6百人という仮定で単純計算しますと、毎月、
約2千人チョイの方たちが、このNutsを読んでることになります。
この数字というのは、他のミニコミに比べると、かなり低いものです。
『Dibi Dibi Paper』などは、一説によると、毎月9千部ほど発行されてる
らしいですし、あの『AKISU』でさえ、毎月3千部発行されています
(両紙とも月刊)。
ですから、量で勝負したいとお考えの広告主の方たちには、これらの2紙を
お勧めします。
『Dibi Dibi Paper』の場合は、ニューヨークに住む日本人若い衆に対しては、
かなりの影響力を持っております。おそらく、その層の人たちには、
『読売アメリカ』、『OCSニュース』よりも読まれています。
また、『AKISU』ですが、このミニコミの場合は、量の他にも、
質の点で底知れぬパワーを含んでおります。このミニコミへの広告掲載
というは、相当勇気のいることでありまして(ミニコミの内容的にね)、
もし広告を載せたとすれば、それは、いい意味でも、悪い意味でも、非常に
インパクトのあることなのであります。ちなみに、私は個人的には、
「なかなか面白い広告方法だけどなあ」などと考えております。
さて、Nutsのハナシに戻りましょう。
このように、Nutsの広告力というのは、「量勝負」型ではありません。
どちらかと言うと、「スピード勝負」型であり、「質勝負」型です。
調子こいて書いておりましたら、すっかりスペースがなくなってしまいました。
続きは、次回にでもお話ししましょう。
今、カラオケで、シャ乱Qの「ズルい女」を練習しております。
なぜかと言いますと、『AKISU』軍団から挑戦状をもらったからです。
そのうち、勝負したるから、覚悟しとけよ。
今週はこんなもんです。
では、また来週。 編集人
@先日、友達からこんなハナシを聞いた。
ある田舎者のアメリカ人カップルが、ラスベガスに観光に行った。
そこで、彼らは、ある別のカップルと知り合った。
彼らはお互いに意気投合し、同じホテルに宿を取り、一緒にラスベガスの
街を遊び回った。
そんなある夜のこと・・・。
男たち二人は、ホテルのバーで酒を飲んでいた。一方、女たちは、
部屋に戻り、世間話しながら、お茶を飲んでいた。
楽しくおしゃべりしていると、その田舎者の彼女は、急に眠たくなってきた。
そして、知らない間に、彼女はイスに座ったまま、深い眠りに落ちていた。
次に目を覚ました時、彼女には、バスルームの天井が見えた。
彼女は、バスタブの中に素っ裸で寝ていたのだった。
そして、そのバスタブには、氷が敷き詰めてあり、彼女は、ちょうど、
その氷のベッドの上に仰向けに寝ている状態だった。
何が起こったのか、彼女にはまったく見当がつかなかった。
彼女は、バスタブから身を起こしながら、ふと目の前の壁に目をやった。
そこには、「救急車を呼べ」と書かれた紙が貼ってあった。
彼女は驚いた。そして、とりあえず、その紙に書いてあるように、
救急車を呼ぶため、バスルームに備え付けてあった電話の受話器を取り、
911にダイヤルした。
電話がつながった後、彼女は、電話の向こうの相手に、今の状況を説明した。
「気、気が付いたら、氷の敷き詰めてあるバスタブの中に素っ裸で寝てて、
で、で、目の前に”救急車を呼べ”と書かれた貼り紙があったんです!」。
電話の向こうの相手は、落ち着いた声でこう言った。
「ちょっと、脇腹の部分を見てください。そこが、ホッチキスみたいな
もので止められてますか?」
彼女は、慌てて確かめた。
「そ、そ、そうです、そうです、止められてます。」
その答えを聞いて、電話の相手は、静かにこう言った。
「今、あなたの腎臓が盗まれました・・・・」。
夏の夜には、恐いハナシと蚊取り線香・・・。 ひろ
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『今週の歌』
「九州の 母が気にする テロリズム
そんな日本も ○157 ひろ」
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