1996年9月3日号

(No.130)


                     Nutsの表紙です



目次

*『VOICE』
・投書「チップについて」
・編集人「チップ、その他」
*『風の言葉』
*『今週の歌』
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『VOICE』
@前略、いつも楽しく読ませて頂いています。NYの日本食レストランのチップに ついて感じる所があるのでお便りします。
 チップというのは『サービス』に対する代価であって、料理を運んでるだけ ではサービスではないのです。最近NYの日本食レストランへ行って、満足した 気分で店を出ることが滅多にありません。飲み物が無くなっても聞きにも来ない。 (忙しいなら分かるけど、ボーと突っ立っていたり、ぺちゃくちゃ喋っていたり するのですよ)。料理の向きや碗の並べ方も無茶苦茶(日本料理には、すべて 置き方があることさえ知らないようです)。客の話をさえぎったり、テーブルに 覆い被さるように皿を取ろうとしたり、言い出したらキリがありません。英語を マトモに喋れない人までいるのですから、とんでもない話です。10%以下の チップで十分だと思うことがよくあります。
 全員でチップを割るという日本食レストランのやり方のせいもありますが、 本質的な問題は、彼等のプロ意識の欠如と、『本当のサービス』を知らないこと なのでしょう。日本食は値段が高い割にサービスが悪いのは、ザガット(NYの ベストレストラン・ガイド)で良いサービス点を貰ってる店が少ないのを見ても 分かります。アメリカ人は「サービスが気にいらなかったら、最低1ドル置けば よい」と言います。チップが少ないのは、客を満足させていない証拠です。客の チップが少ないと文句を言う前に自分のサービスが悪くなかったか反省して欲しい ものです。
 良いレストランへ行くと、アメリカ人のウエイト・スタッフのプロ根性には 驚きます。テーブル分担制で、チップ率が悪いと良いテーブルを貰えず、1週間の チップ平均が10%を切ると即クビなのですから、必死にならざるをえません。
 例えば、飲み物が残り少なくなった頃に、ニコニコしながら来て「お代わりは」 と聞かれると、シブチンの私が思わず「プリーズ」と答えてしまって、請求書が 嵩(かさ)み、その上に気分がよくなって20%以上のチップを奮発してしまい ます。客に金を使わせるのはやっぱりウエイト・スタッフの腕なのです。そんな サービスに慣れている客が日本食レストランの給仕にチップを弾むと思いますか。 カラオケバーに行くお金があったら、まともなレストランへ行って研究した方が いいのではないでしょうか。
 NYの日本食レストランで働いているウエイト・スタッフで、何のために自分が そこにいるのか、きちんと認識している人がどのくらいいるのでしょうか。 アメリカ人はフードとサービスは別だという認識を持っています。サービスさえ 良ければ、チップはしっかり払います。チップの少なさをシェフに責任転嫁する 前に、サービスとは何なのか、自分のサービスはプロとして充分お金を貰えるのか 考えて欲しいものです。働いてやっているという意識でサービス業は勤まりません。
 移民局が厳しくなっている現在、レストラン側はバイト感覚で働いている不必要な 人間を徐々に切り捨てていくことは確実でしょう。
                              O
@編集人です。
 さて、先週の「チップ」の話の続きなのであります。
 前回は、わたくし、チップが持つ、「義務的に含まれるサービス料」という 要素と、「サービスに対する評価、心付け、感謝の気持ち」という要素の微妙な 関係についてお話ししました。
 ここで、もう一度、その内容を簡単にご説明しますと、「チップには、 ”義務”っぽい要素と”心付け”っぽい要素があって、大半のアメリカ人は その二つをよ〜く分かってて、うまく使い分けてるんだけど、一方で、日本人は チップという習慣がないせいもあって、その二つをときどきゴッチャにしちゃう から、脳味噌が混乱してしまうのであります。」ということでした。
 さて、今回は、その「日本人の脳味噌の混乱」について少しお話ししましょう。
 三省堂が出版している『新明解国語辞典』には、「チップ」について、この ような説明がされています。
 「ポテトーーー」
 これは、違います。
 「サービス業に従事する人や芸人などに客が慰労などの気持ちを含めて臨時に 与える、少額のお金。」
 なるほど。
 私が思いますに、こちらの「チップ」というシステムを経験したことのない 日本人の大部分は、「チップ」に関して、この辞典に書いてあるようなイメージを 持っているのではないでしょうか。
 ただ、前回お話ししましたように、アメリカで「チップ」という場合は、 それとは別の意味、つまり、「義務的に含まれるサービス料」という意味も 含まれています。
 ここで、日本人の脳味噌に混乱が起きます。
 例えば、こちらのレストランで100ドルの食事をしたとします。
 普通、チップは、料金の15%ぐらいですから、ここでは、15ドルほどの チップを置くことになります。
 しかし、です。日本人からすると、この「15ドル」というのは、明らかに 『新明解国語辞典』に書いてあるような「少額のお金」ではありません。彼らに とっては、「チップ」というイメージを越えた金額であるはずです。
 「チップ」に関して、「義務的に含まれるサービス料」というイメージがあれば、 比較的問題ないのかもしれません。でも、この国に来たばっかりの日本人は、 そういうイメージを持ってるわけがありませんので、「なんの因果で、こんな金、 払わんといかんとね?」などという疑問が生まれるのも当然のことなのであり ます。要するに、チップが持つ、「サービス料」と「心付け」という要素が 理解できないために脳味噌が混乱してしまうのです。
 また、この国にある程度の期間住んでる日本人にも、ある意味では、同じような ことが言えます。つまり、彼らの脳味噌にも、「サービス料」と「心付け」に 関する混乱が起こる可能性がある、ということです。
 この国に来て、彼らは彼らなりに、「チップ」のその「義務的に含まれる サービス料」という意味を理解し、それを習慣として受け入れます。しかし、 「チップ」に対して最初に持っていたイメージ、つまり、日本式「チップは心付け」 の記憶は、なかなかその脳味噌から抜けずに、けっこうしぶとく残っているものです。
 この日本式「チップは心付け」の記憶が、そのまま大人しく眠っててくれれば、 とりあえずは問題ないのですが、それが、ある拍子で起きあがってくることが あります。
 例えば、日本食レストランに行って、ウエイター&ウエイトレスに「チップが 足りません。」なんて言われたりすると、ムックリ起きあがって来るのであります。
 起きあがり方は、こうです。
 「チップが足りませんだと〜? チップっちゅうのは、心付けと違うんか?  その心付けを”足りません”などと言うんかい。ほお〜、おもろいやないか。 おのれは、ナメとんのか!」
 というような展開なのであります。
 まあ、この場合は、「チップが足りません。」と言うウエイター&ウエイトレスの 方にかなりの問題があると私は思うのですが、一度、こうやって日本式 「チップは心付け」の記憶を思い出してしまうと、自分の中のアメリカン・ チップに関する「サービス料」と「心付け」のバランスが崩れ、それ以後、 脳味噌に混乱が起こることが多々あるのです。
 以上のような感じで、「チップ」に関して、日本人の脳味噌は混乱して しまうのであります。
 次回は、「チップは本当に”義務的に含まれるサービス料”か?」ということに ついてお話しします。
 さて、話は変わりまして、わたくしの結婚式の話です。
 いや〜、楽しませていただきました。私は、結婚式があんなに楽しいもんだとは、 じぇんじぇん知りませんでした。
 国連のチャペルで行ったセレモニーの時は、さすがの私も緊張してしまいまして、 誓いの言葉の時に、「I want you to be my wife.(私の妻になって欲しい)」 と言うべきところを、「I want to be your wife.(あなたの妻になりたいの)」 と言ってしまいまして、カミさんに死ぬほどニラまれてしまいました。
 でも、セレモニーの後のレセプションでは、自分が花婿だということも忘れて、 すっかり遊び回ってしまいました。(カミさんも同罪。)
 わたくし、式の前にひとつ考えていたことがありました。それは、 「わしら二人が楽しまなければ、絶対に”いい結婚式”にはならない」 ということでした。
 で、レセプションでは、それを忠実に実行してしまいました。
 結果は、と言いますと、自分で言うのもなんですが、なかなか楽しい 結婚式ではなかったかと思います。
 以前、お話ししましたように、私の家族というのは、私を含む家族全員が、 「結婚式なんか、こっぱずかしくてできるか。あんなもん、金のムダよ。」 という考えでして、家族内では、「結婚式をやらない、出ない」という方針を 強く打ち出しております。
 でも、今回、わたくしは、結婚式をやる羽目になりまして、実際にやって みたのですが、まあ、やり方さえ間違えなければ、けっこう楽しいものです。
 ちなみに、今回の経験で学んだことをまとめると以下のようになります。
 「結婚式で受け身になってはいけない。お人形さんになってはいけないのである。 とりあえず、来てくれた人たちのことは置いといて、自分が楽しむことを 心掛けるべし。そしたら、来てくれた人たちも自然と楽しい気分になるものである。 なぜなら、自分の幸せそうな顔を見てもらうことが、来てくれた人たちに対する 一番の”ありがとう”なのだから。」
 てな感じでしょうか。
 なにはともあれ、いい家族と、いい友人たちと、手強いカミさんを持てたことを とっても幸せに思います。
 まあ、戦いは、これからやからね。
 また、「踊りの場」は、ヒスパニック軍団の圧勝に終わってしまいました。
 そんなとこです。
 では、また来週。             編集人
@8月23日付読売新聞にこういう見出しの記事が掲載された。
  「無神経? 日本の”文化交流”」「カーネギーでカラオケ大会」「旅行会社が 安易に企画」「低い”質”に批判が続出」
 記事を書いたのは、ニューヨーク在住の読売新聞・高木規矩郎編集委員。
 去年の秋頃、ここニューヨークのカーネギーホールにて、『第一回カーネギー ホール・カラオケ大会』というイベントが行われた。
 この記事は、そのイベントを間接的に批判しているものだった。
 問題のカラオケ大会が行われた頃、このNutsの紙上に、そのイベントに関する 批判文が掲載された。内容は、「カーネギーでカラオケ」という無神経な行為と、 それに審査員としてノコノコ参加したニューヨーク日系人社会の著名人たちを 批判したものだった。
 私はここで、「Nutsが先、読売が後」ということを言いたいのではない。
 私が言いたいのは、「読売新聞は、なぜ今頃、このイベントを批判するのか?」 ということだ。
   今回の読売新聞の記事の冒頭に、米紙ヘラルド・トリビューンが、 このカラオケ大会を批判した文の一部が引用されている。以下に紹介する。
 「ビックマック(ハンバーガー)がマキシム(仏の高級レストラン)に なじまないように、カラオケもカーネギーホールには場違いである」
 そして、今回、読売新聞が、そのカラオケ大会を批判した。それも、イベントが 行われてから一年近くたった後にである。
 私は、読売新聞のこの米紙に対する追随的姿勢を非常に疑問に思う。  今回の読売新聞の記事は、そのヘラルド・トリビューン紙の記事が出た”おかげ” で書かれたのではないか。言い方を変えれば、ヘラルド・トリビューン紙が 「臭い」と言ってくれた”おかげ”で書かれたのではないか。
 このカラオケ大会の内容を簡単に言うと、「日本人がカーネギーホールを ”カラオケボックス”化させたイベント」。その一言に尽きる。
 このことは、ここニューヨークでイベント開催前に配られたチラシを見れば 明かだった。そのチラシには、日本の旅行会社の名前や「国連後援」などと いうわけの分からぬ言葉が並んでいた。
 このカラオケ大会は、その時点ですでに「臭かった」のである。しかし、 その「臭さ」を最終的に嗅ぎ分け、そして、「斬った」のは、日系紙ではなく、 悲しいかな、米紙ヘラルド・トリビューンだった。
 確かに、読売新聞は、一年後とは言え、このイベントを批判した。批判しようと さえしない他紙は、明らかに読売新聞以下である。
 また、シガラミで構成されているこのニューヨークの日系人社会で、 その著名人たちが審査員として参加した、今回のカラオケ大会を批判したことは、 評価する。(それほど、ここの日系人社会は、批判しづらい世界である。)
 しかし、それはあまりにも遅く、また、あまりにも追随的だった。
 私は、今回の読売新聞を含む日系紙の臭いモノを臭いとさえ感じないその 「嗅覚」と、「なまくら刀」度に強い怒りを覚える。
 彼らには、臭いモノを臭いと感じる「嗅覚」が備わってないのか。彼らの 「刀」は他者が斬ったものしか斬れない「なまくら刀」なのか。ジャーナリズムから、 その「嗅覚」と「刀」を取ったら、後に、一体、何が残ると言うのか。
 現在のニューヨークの日系ジャーナリズムは、ミニコミ以下である。できること なら、彼らに、「鼻づまり用のお薬」と「研ぎ石セット」をプレゼントしたい 気分である。
                           風
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『今週の歌』
「寝返りを  うてばそこには  キミがいて
           その横顔に  落ちる我がヒジ    ひろ」

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Hiroyuki Takenaga ---hiro@interport.net