1996年9月10日号

(No.131)


                     Nutsの表紙です



目次

*『VOICE』
・投書「チップについて」 ・投書「”ある痛み”について」 ・編集人「ちょっとした話&その他」 ・「ひとりごと・あるキスの問題」
*『今週の歌』
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『VOICE』

@私はチップのことは未だによくわかりません。
 一人でごはんを食べに行ったりしないので、だいたい一緒にいった人に 計算してもらって、私はその分払うという具合です。
 で、友人の一人に、もし私一人でレストランに行く様なことがあったら チップはどのくらい置けばいーのかね、とたずねた所、Taxの2倍置けばまず 安心と教えてもらいました。NYのTaxは8.25%、その倍なので16.5%で、 面倒くさい時は、端数は切り上げていました(小銭をね)。
 私の友人はジャパレスでウェイトレスをしている人が多くいるので、 チップで生活している人たちの話をよく聞くから、お金に余裕のある時は そうしてました。
 でも、今回のNutsさんの話で割とチップについて理解できたので、 これからは10〜15%ぐらいでいーかなって思いました。でも、計算するのが 面倒くさいんですよね。特に飲みに行った時なんかは・・・。
 まあ、チップの計算で面倒くさいと思う人はTaxの2倍置いておけばいーでしょ、 ということです。
 う〜ん、私の考えとしては、チップは「義務的に含まれるサービス料」と いう事になるんでしょうかね。      Tomoko
@「ある痛み」について自分なりに考えた事を書きます。
 実は私もこのアメリカで見ず知らずの他人から片言の日本語で話しかけら れると背筋がゾクッとするというか、時にはその人に対して敵意さえ抱いて しまうことが有るのです。
 私の昔の彼はアメリカ人では無いのですが、学生ながらこちらの大学で 英語を教えていた位英語に堪能で、時々自分でfictionさえ書く程でした。 その彼が時々私に向かって、私の英語を聞いてイライラしてしまうことが 有ると言うのです。彼はその理由を、彼が、英語をとても愛しているからだと 言うのです。
 私も竹永さんと同じで、とても日本語を愛しています。しかし私や竹永さんが アメリカで見ず知らずの外国人が喋る片言の日本語に対して複雑な感情を抱いて しまうのは、本当にそれだけだからでなのしょうか。
 ここで大切なのは竹永さんや私を含む何人かの日本人が(私達の他にも必ず いるはずです。)複雑な感情を抱くときは、何度も言うようにアメリカに於いて 見ず知らずの外国人に片言の日本語で話しかけられた時に限るのではないか、 と言うことです。もし日本で同じ様な状況に出会ったとしたら私達は変な気持ち になるでしょうか? もし外国人にとても流暢な日本語で話しかけられたらどう でしょうか? それが親しい友達だったらどうでしょうか?
 日本で外国人に話しかけられた時や、本当に流暢な日本語で話しかけられた 時は、例えそれに対して不自然な感じはしても、痛みを感じたり、その人に 対して敵意を感じたりすることはまず無いと思います。むしろ嬉しさを感じたり、 この難しい言語をmasterしたことに対して敬意さえ払うでしょう。
 そして例え片言の日本語でも相手が自分の友達や仕事仲間であった場合、 結構素直に受けとめることが出来るのでは無いでしょうか。自分の外国人の 彼氏や彼女が片言の日本語でcommunicateを図ろうとする時は、痛むどころか、 むしろ無性にいとおしいとさえ感じてしまうのでは無いでしょうか。 そうではないですか、竹永さん?
 「自分はアメリカで生活するのに支障が無い程度の英語は喋れる。それなのに この人は日本語で説明をしようとしている。私をバカ扱いしているのではない だろうか」。とてもprideが高い日本人はこんなextremeな考えを持ってしまう のかもしれません。
 これはよく知られていることですが、英語学校に来ている多々な人種の内、 英語を喋ることに馴れるspeedが一番遅いのが日本人だそうです。もちろんその 理由の一つに日本語が言語学的にEuropean languageからかけ離れていることが 挙げられますが、最も大きな理由は、やはり日本人のmentalityに寄るものだと 思うのです。
 日本人は何をやるにつけても完璧を目指すので、中途半端な英語を喋るのを 恥ずかしがる傾向に有ります。その余り私達はそれを無意識の内に日本語を喋る 外国人に要求してしまうのではないでしょうか。そして日本人は見ず知らずの人間に 対して理由のない対抗意識を持って、その人を見下した目で見る割に、一度知り 合いになってしまうと余計なお節介と呼んでいいほどの、義理とという伝統化 された云葉で、その人にとことん尽くそうとします。「ある痛み」の根底に 根付くものは日本人のmentalityによるものだと思うのです。
 日本人というのはとても不思議な人種だと思います。日本人とはっきり わかる客に対して英語でチップを再要求する日本人ウェィトレスや、外国人に 日本語の言葉を言われてわざと解らないフリをする日本人は沢山います。
 今回の「ある痛み」に関する論議はその日本人のmentalityや日本語の特質を 分析する上でとても重要なものだと思います。そして、しいてはこの問題は今まで の一連のNuts紙上を賑わしている問題、「アメリカ人男性と日本人女性」や 「茶髪クンたち」ともつながるものだと思います。そのうちNutsのバックナンバー をじっくり読みながら、もう一度、日本人のmentalityとそれが培われた背景に ついて、私なりに考えてみたいと思います。
 最後に、NO126に投書の載っていた「マンハッタンのオバサン」へ一言。
 貴女の投書、とても興味深く、また年配者の言葉として有り難く拝読させて 頂きました。しかし、「最近の若者は・・・」的な言い方で若い人達をバカ 呼ばわりするのは、後世代の手本とならなければならない筈の人として、恥ずべき 行為ではないでしょうか。少なくとも、うちの祖父母の時代には貴女だって 「最近の若者」だった筈です。
 それから、「人食い人種の文化は、その人種と共に人肉を食せば解る。( 私はそう理解しました。)」と云っていましたが、本当にそうでしょうか?  それでは、何をすればアメリカ文化を理解したと言えるのでしょうか? 私達 (日本人に限らず)にとって異文化は決して理解し得ないものなのでしょうか? (人食い人種の例は特殊なものでたとえになっていません。)言語を修得する事は その国の文化を知る上で非常に重要な第一歩ではないでしょうか。「言葉の文化」 を軽んじてはいけないと思います。
                      半タコ
@編集人です。
 さて、最近、ひとつ考えさせられることがありました。
 先日、こちらにいる私の友人のひとりが、お父さんが脳溢血で倒れたため、 急遽日本に一時帰国しました。
 今日本にいるその彼女と電話で少し話した時、彼女がこんなことを言ってました。
 「日本では、”一度、脳溢血で倒れたら、もうダメ”というイメージがある。 なによりも、まず医者がそういう考えを持っている。そのため、患者に対して、 ロクにリハビリもさせようともしないし、ただベッドに寝せておくだけ。
 「でも、アメリカは逆。アメリカは、”一度、倒れてもリハビリすればなんとか なる”という考えで、患者に対して積極的にリハビリをさせる。私も自分の父親に 対して、アメリカ式に積極的にリハビリをさせた。父に”リハビリすればなんとか なる”と言い聞かせながら、リハビリを繰り返した。その結果、担当医が ”脅威的な回復”というぐらい父親は、よくなった。
 「でも、それはアメリカでは、”脅威的な回復”でもなんでもなく、ごく 普通のこと。おかしいのは、脳溢血の患者に対する日本の医師の姿勢ではないか。」
 この話を聞いて、私はいろんなことを考えさせられたのですが、私が最も 気になったのは、日本とアメリカの「一度つまずいた者の社会への復帰」に 関する対応の違いについてでした。
 前から感じてたのですが、日本には、「敗者は還らず」的な考え方というのが、 強くあると私は思います。
 日本には、私の友人のお父さんのように身体的にダメージを受けた人や 社会的地位をなくした人、あるいは、本流と呼ばれるものから脱落した人を 「敗者」と考える風土があります。
 また、同時に、一度、「敗者」の烙印を押された人々は、二度と復帰することは できないとする考え方、及び、復帰しづらいシステムというものが存在しています。
 一方で、ここアメリカは、「敗者復活戦のある国」とも呼ばれています。 この国では、一度、つまずいたり失敗した人でも、やる気さえあれば、 「敗者復活戦」に参加することができます。
 その違いが、今回の私の友人の話にも少し表れているような気がしました。
 この日本とアメリカの社会における「敗者」の意味を考える時、その一番の 違いは、「誰が敗者を決めるのか」という点だと私は考えます。
 日本では、いくら当人にがんばる気があっても、一度、つまずいてしまえば、 「まわり」が「あの人は、敗者だ」と決めてしまいます。だからこそ、 日本は全体として、「敗者」が復帰しづらい社会になっているのだと思います。
 しかし、アメリカでは、「敗者」を決めるのは基本的には「その人自身」です。 やる気がなくなった時、その人は「敗者」になります。反対にどんなに重い障害を 持っていようとも、社会のどん底に落ちてしまおうとも、その人にやる気さえ あれば、その人は「敗者」ではありません。ということは、「まわり」、つまり、 社会自体は、その人にやる気がある限り、その人を「敗者」扱いすることは ありませんので、「つまずいた者」にとっては、非常に復帰しやすい環境と 言えるでしょう。
 ですから、日本を「”敗者は還らず”の国」、アメリカを「敗者復活戦の ある国」と呼ぶよりは、むしろ、「敗者を”まわり”が決める国」、「敗者を ”その人自身”が決める国」と呼んだ方が本質を突いているのかもしれません。
 ここでは、大まかに「日本はこう、アメリカはこう」と定義づけましたが、 実際は、まったく違う例も見られることと思います。ただ、今回は、 「全体的な視野」で見た感想をお話ししました。そこのところ、ご理解ください。
 以上です。
 先週お話ししました「チップ」の話の続きは、来週、掲載します。
 話は変わって、今年の「日本の祭り」が中止になりました。この件についても 言いたいことが、山ほどあります。
 また、例の国際結婚軍団「アップル・カップルズ」の方も最近けっこう乗って きておりまして、その活動報告もせねばならないと思っております。
 ついでに、日本の選挙が、そろそろ来そうですので、それに合わせて、 在外投票権運動軍団の方も動き出さねばなりませんし、さらに、「カツ電」 の方が、ようやく動き出しますから、その事務連絡もありますし、トドメに、 最近、家事などを始めまして、「薄切り肉の買えるお肉屋さん」なども探して おります。(何の関係があるんかい。)
 そんなとこです。
 では、また来週。              編集人
@キスの問題というのがある。
 この場合のキスは、憎からず想ってる同志の熱き接吻のことではない。
 ワシが、言っとるのは、ラテン系の連中がよくやる、挨拶代わりの頬キス (チーク・キス)のことなのである。
 このキスのせいで、ワシは結構悩んだのだ。だって、ワシは挨拶の時に、 握手さえロクにせん大和民族だからのう。
 このキス問題の最大の山場は、先日行われたワシの結婚式だった。カミさんが ラテン系であるからして、その親戚はタンタン踊るラテン軍団である。その ラテンの血の入った連中がいっぱい来よったのだ。ということは、ワシは 死ぬほど、その挨拶キスとやらをやらねばならんということだった。
 ワシが考えるところによると、この挨拶キスには、2つのルールがある。
 ひとつは、「お互いがその挨拶キスというものの存在を理解しており、 なおかつ、その経験があること」。
 もうひとつは、「初対面の男女の場合、ラテン系のダンスと同じように、 挨拶キスをリードするのは男性」ということなのであった。
 ワシの場合、最初のルールは、一応クリアーしておった。問題は、2つ目の 「男性のリード」の件なのであった。
 以前、カミさんが、まだ「ボクの彼女」という法的根拠のない存在だった頃、 ワシは、カミさんに、時々ラテン系のパーティなどに引きずり回された。
 そういうところで、「ねえ、これが私の彼氏。で、こっちがシルビアね。」 などとカミさんに友達を紹介された時など、ある種の緊張感がワシのコメカミの 辺りに走るのであった。
 通常、こういう場合、ラテン系の男であれば、すぐさま頬をよせて挨拶キスをする。
 しかし、である。ワシは小学校のフォークダンスごときでドキドキする日本人の 一人であるからして、そう簡単に人さまのムスメの頬に自分の脂性の頬を くっつけることはできない。というわけで、かわいいムスメっこを前にして、 ワシはいつもドキドキモジモジしてしまうのであった。
 そのドキドキモジモジ感というのは、普通、相手にも分かるものである。 ついでに、ワシは、「男」ときている。リードすべき「男」がこのザマでは、 相手の女の子も「なに、アンタ、やる気あんの?」的に調子抜けしてしまうのも 当然であった。
 そういう苦い経験を、よく冷えたハイネケンと共に胃の中に流し込んで、 ワシは30になったのである。(大した30じゃのう。)
 そして、とうとう結婚式がやって来たのである。
 人間、死ぬ気になったら、何でもやれるものであるね。
 「こうなったら、こっちから攻めるしかないべな」と考えたワシは、 積極的及び徹底的に挨拶キスをムチムチやりまくった(でも、女性だけね)。
 ラテン系だけではなく、油断してるアングロサクソン系や黒人系にも ムチムチやりまくった。
 隙のある連中には、2度3度ムチムチやった。中には10回ぐらいムチムチ やったオバサンもいる。
 その結果、ワシのタキシードの襟の部分は、女性軍団の口紅でテカテカに なってしもた。
 ハッハッハ。日本男児をナメるなよ。
 でも、これを調子こいて日本人のおっさんが、「は〜い、頬キッス〜」とか 言いながら部下の女の子とかにやってしまうと、「スケベじじい!」とか 「セクハラじじい!」とか言われてしまうから気をつけるべし。
 ワシもそろそろおっさん世代やから気をつけんといかんね。
 あるキスの話。             ひろ
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『今週の歌』
「”私たち グッドチームに なれるかな?”
            自信ありげに 不安げに君   ひろ」

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Hiroyuki Takenaga ---hiro@interport.net