1996年11月5日号(No.139)
Nutsの表紙です
目次
*『VOICE』
・投書「チップについて」
・投書「日本語への執着心」
・投書「ある痛みについて」
・編集後記
・「風の言葉」
*『今週の歌』
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『VOICE』
@チップのことが載っていたのでフト考えてみましたら、最近あまりチップを
払ってないことに気付きました。払っていないというか、そういうお店にあまり
行かなくなってしまったんですね。特にジャパニーズ・レストランには最近
めっきり行ってないのです。ごめんなさい。最初の頃は日本食が恋しかったのと、
マンハッタンが珍しかったのであちこちに出かけたものですが・・・。
今は、外食といえば、時おりその国の人にその国のお店につれていってもらう
ケースが多いです。インドの人にインド・レストラン、オーストリアの人に
イタリアン・レストラン(?)、韓国の人にコリアン・レストラン。もちろん
ちゃんと割りカンで支払いますが、味も値段もまあまあで、連れて行くより
連れて行ってもらう方が気楽でいいなと思います。
ある日本食レストランにインドの人を連れて行った時のこと、ビールを1本と
何品かの小皿とラーメンを注文したのですが、待てど暮らせどラーメンが出て
こない。まわりを見渡せば、あとから来た人達のところには行き渡っており、
食べ終わって帰る人もいて、思い余ってウェイターさんに尋ねたら、キッチン
から戻ってきた彼は表情を変えずに「もうお出ししてもよろしいんですか?」
と言いはなった。
待ちに待ったみそ味ラーメンは、あわてて作ったのか、異常な程塩からく、
経営者を呼んで「このスープ全部この場で飲みきったら$100あげましょう!!」
ともちかけたいくらいでした。
ある日、学校の仲間を誘って某お店でカツ丼を食べました。器の蓋をあけると、
ふんわり仕上がったなつかしいカツ丼。しかし、下のゴハンの1/3くらいは卵に
まみれており、それは私が手抜きで時々やる生卵ぶっかけ御飯の味にとても似て
ました。
帰り道、仲間達は誘った私に気を使い、妙に無口であり、生まれて初めて
カツ丼を食べたという韓国人の彼だけは「ぐっどていすとだった」を連発し、
それはまた私を悲しくさせたのでありました。
そんなことが何度か続いて、それでも懲りずにあちこち探検して(?)まわり、
そのうち何だか疲れてしまい、今は人を誘って出かけることはしなくなり、
もっぱら自炊と肩のこらないテイクアウトの中華屋さんやデリの常連になって
しまいました。そこには、いんぎん無礼だったり、おどおどしてこっちが心配に
なるようなウェイターさんやウェイトレスさんもいないし、食べ終わる前にもの
すごい勢いで片づけようとするわんこ蕎麦屋の店員さんのような人もいないの
です。そして、食べた内容のわりに「うわっ」と思うような請求書もまわって
きません。
デリとばかにするなかれ。彼らは競争相手がいっぱいいるので、根性のある
店は、味も品揃えもヘタなレストラン顔負けです。それでも時々「あ、日本食が
恋しい、ちゃんと外食したい、おちょこを傾けたい」と思う時は、地下鉄
使っても、おもいきり歩いてもいいから、とっておきのところに行きます。味も
雰囲気も値段も納得できて、何より会計の時、一緒に行った人達と「チップ
上乗せしようか、気分よかったから。」と意見が一致するのがうれしい。
お客さんをほっとさせることは、さりげない気使いであるだけに、簡単なようで
意外に難しいように思うのです。
私も自分でサービス業をやってたことがあるので、お客さんのシビアさは身に
しみて知っています。(いっとき頭がハゲました。これ本当です。)
ウェイター、ウェイトレスの皆さま、そして調理人、経営者の皆さま方、
頑張って下さい。私達は、ニューヨークに居ながらにして、きんぴらや肉ジャガ、
おさしみを食べられることをとても感謝しています。
道産子
@週刊Nuts NO.135(1996年10月8日)の石井政之様へ
いつも週刊Nutsを拝読させていただいております。NO.135で石井政之さんが、
”正確な日本語をはなそうという今までしみついてきた習慣が英語に影響を
与えてしまい、英語の習得がうまくいかないのかもしれません。そして
ニューヨークという異国の地で日本語への強烈なこだわりがわきあがり、自分でも
ちょっと驚いています。”とおっしゃっていますが、私はニューヨークに住んで
1年3ヵ月経た今でも、”こだわり”はやみそうにありません。むしろ、ますます
日本語への執着心が強くなったように思います。不思議なものですね。
もしこれが、あなたのおっしゃるような、”異国に住みはじめて間もない者の
通過儀礼”だとしたら、私の場合、いつまで続くのかしら.......。
私の場合、この”こだわり”を積極的にとらえていこうと考えてます。何故なら、
私は日本人だからで、日本人でありたいからです。「日本語」を深く考えて
使うことを忘れたくないのです。
良きことも悪しきことも受けとめ、自国の文化を素直に受けとめ、思慮する
ことができる人がどれだけいるでしょうか。
「日本人」として誇りを持つことができる人がどれだけいるでしょうか。
自己否定を続ける日本人をニューヨークでよく見かけるなか、あなたのように
”日本”、”日本語”、そして、”日本人”にこだわりを持つ人が身近にいらっ
しゃったことに何か感じるものがあり、筆をとりました。
もう一度生まれかわったら、あなたは、私は、日本人を選びますか。
もし日本人を選ぶとしたらどんな日本人がいいのかしら。
様々な想いを胸に今日もまた、”Good morning”で1日がはじまります。
杉下弥生
@編集人です。
先週の「ある痛みについて」の投書の続きです。
では、どうぞ。 編集人
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それと、妙な日本語を話す外国人に対する警戒心は、日本人としてあって
しかるべきだと思うのです。妙な例ですが、例えば日本に最高の音を出す
ステレオがあったとして、これを外国に輸出したとします。当然日本側は、
その”性能”を売りたいのであって、”スタイル”を売りたいわけじゃありません。
ところが、MADE IN CHINAのニセモノが出まわって、見た目は同じだし安い
けど昔はそんなによくないものがマーケットに出まわったとして、どう感じ
ますか? その国の(輸出した先の)人々は、安いしカッコいいからどんどん
買っていくんですけど、音を楽しむという、少し上の楽しみを全然知ろうと
しないわけです。
こんなの嫌じゃありません? 私は嫌ですね。つまり、表面だけの日本語は、
なんとなく紛(まが)い物のような気がするわけです。
ただ、やっぱりいろんな人がいろんな意味で日本語を勉強している以上、
ビジネス英語ならぬビジネス日本語なんかもあるし、今の日本語ブームのほとんど
はそれに関係しているわけです。この”ビジネスにしか興味のない人”に
日本文化をビジネス以前に理解しろ!というのは、ちょっと横暴ですよね。
日本人だって別に英語をしゃべる時に必ずしもアメリカ的に、いつもいつも
白黒、ハッキリさせてしゃべっているわけじゃないんだし。
十人十色と云ってしまえばそれまでですが、やっぱり問題はしゃべる側の
”態度”だと思うのです。日本語を勉強している人全員に日本という国を愛して
くれというのは無理だとしても、これから出会う”日本語をしゃべる
アメリカ人/外国人”に、私や貴方が彼らに話して欲しいと思う日本語を
教えてあげる事は出来るハズです。
今後ひどい/腹の立つ日本語で何か云われたら、黙ってないで、
" Don't be so rude! " の一言も云ってあげてください。ひどい日本語を
しゃべる外国人の人の中には、それと知らずにそういう使い方をしている人も
多いと思うので。(考えてもみて下さい、”きちんと前を向いて歩いて下さいね”
より”前を向く! まっすぐ歩く!”の方がしゃべりやすいとは思いませんか?
<外国人がしゃべるとして>ーーーまぁ、でもこの場合、英語なら" Watch out! "
つまり日本語なら”気を付けろ!”になりますよね。ふつうは。ーーという事は、
その人は単に人間として問題があるんじゃないでしょうか? だってふつうは
ぶつかったぐらいで説教なんかしませんよ。)
とにかくですね、この状態を何とかするには、めんどうがらずにきちんと
彼らの日本語をいちいち直してあげるしかないわけです。もしくは日本語学校に
抗議するとか(笑)。いや笑い事じゃなくてですね。
だらだらと長くなりましたがそういう事です。
「ウミやカスは出すべきなのさ」と同じ事です。
書いててこんな事が問題になるぐらい日本はインターナショナル化してるんだ
なあと思いつつペンをおきます。
Aug. 11th '96 匿名希望の22才
@編集人です。
さて、先月からスタートしました生活相談電話「カツ電」のボランティアを、
現在、本格的に探しております。探しているのは、電話係とリサーチ係です。
興味のある方は、編集部までご連絡ください。
それともうひとつ。
例の「在外投票訴訟」の原告集めは、一応終了いたしました。ニューヨーク
からは、3名の方が原告として立つことになりました。
すばらしい。パチパチパチ。
一方で、今回の訴訟の意味や効果についてもう少し詳しく知りたいという声が、
私のところに届いております。
これにつきましては、来週ご説明するつもりです。
以上です。
では、また来週。 編集人
@先週掲載された総選挙についての投書の中にこういう文があった。
『10月20日に行なわれた日本の総選挙の投票率は、 59.64%。低い
投票率を心配する論説を日本のマスコミは掲載した。日本にいる友人からも
「政治批判だけではなく、国民批判もしないといけない」という内容の電子
メールをもらった。』
まったくその通りである。今、日本に必要なのは政治批判ではない。国民批判
こそ必要なのだ。
私は前々から思っていたのだが、日本の政治家がアホなのは、私たち日本国民が
アホだからである。
政治家は選ばれた人たちだ。その政治家がアホだということは、当然、彼らを
選んだ人々もアホだということになる。もし、その人たちがアホでなければ、
アホな代表を国会に送ったりはしない。
また、世の中には、自分たちの代表を国会に送ろうともしないアホもいる。
選挙しない人たちである。彼らは、アホな政治家が選ばれることをただ漠然と
眺めてる人々だ。先に紹介した投書の「国民批判」という言葉は、このような
人々に向けられている。
この「しない」人々の中でも、もっともタチの悪いが、「意思表示としての棄権」
などとぬかす人たちである。彼らは一体どうやって、その「意思表示」とやらを
するつもりなのだろうか。彼らの「意思表示」のための棄権と、日本の若い衆の
「日曜日に選挙なんか行ってられねえよ。ナンパしに行こ。」の「ナンパ」の
ための棄権との結果としての違いは、一体何なのだろうか。
彼らが言う「意志表示」とは、おそらく「ボクたちが棄権する意味分かる?
日本の政治にウンザリしるのよ。だから、あなたたち政治家は、気合入れないと
大変なことになりますよ。」というようなものだろう。しかし、これは選挙とは
何の関係のないことだ。選挙とは、自分たちの代表を「選び、挙げる」ことである。
その選挙の際に、本来の「意思表示」の方法を放棄し、「ボクたちが棄権する
意味分かる?」と甘えてるこの人々をアホと呼ばずに何と呼べばいいのだろう。
もし、そういう意思表示をしたければ、「ボクたちは、政治家に危機感を持って
もらいたい」と書いたプラカードを持って、国会の前にでも座っておけばいいの
である。わざわざ屈折した方法を取る必要はない。
また、こういう人々に限って「日本の政治家はアホだ。」とかノタまう。
アホはお前じゃ。
一方で、社会の批判機能の役割を果たすはずのマスコミは、政治批判を繰り返す
ばかりで、ある意味で一番アホな私たち日本国民を積極的に批判しようとはしない。
確かに、マスコミにとって私たち国民は大切なお客様である。彼らがオマンマ
食えるのも、私たち読者、視聴者のおかげだ。だが、マスコミは日本の政治の
アホ化に貢献している私たち国民をこのまま見逃していいのか。
マスコミにとって、国民もひとつの「権力体」である。「反権力」を掲げる
ジャーナリズムならば、当然その「権力体」も批判すべきではないか。
日本で何か政治的不祥事が起きた時、アメリカ人たちによくこう聞かれる。
「なぜ日本の国民は怒らないのか?」
この問いに、私たち日本国民はどう答えるのだろう。「日本のシステムが悪い。」
などというトンチンカンな答えでごまかすのか。それとも、「怒っても何も
変わらない。」と政治的植物人間化を宣言するのか。
ちなみに、私は、こう答えるようにしている。
「私たちが怒らないのは、私たちがアホだからである。特に私など、今まで
一度も選挙したことがない。こういう”怒らない、選ばない”無意志人間たちが、
日本をダメにいている。」
悪いのは、政治家だけではない。私たち国民も日本の政治のアホ化に貢献して
いるのである。しかし、誰も私たちを批判しようとはしない。
私たち日本国民は「裸の王様」だ。本当は素っ裸なのに、誰も何も言わないので
いい気になってる「裸の王様」なのだ。
そして、今、日本に必要なのは、この「裸の王様」を指差して、「偉そうに
してるけど、素っ裸じゃねえか。」と批判することである。マスコミでもいい。
私たち自身による自己批判でもいい。誰かが「裸だ!裸だ!」と叫ばなければ
ならない。
日本の政治は、現在、変わる努力をしている。それならば、私たち国民も
変わる努力をすべきである。
まずは、「裸の王様」を指差すことから始めよう。
「あなた、裸ですよ。」 風
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