1996年11月12日号(No.140)
Nutsの表紙です
目次
*『ソショウの心』
*『VOICE』
・投書「たくあんの問題について」
・投書「総選挙:日本にて」
・投書「コインの裏表」
・投書「言葉と文化を捨てる」
・編集後記
*『今週の歌』
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『ソショウの心』
さて、「ソショウの心」なのであります。
このソショウというのは、当然、「訴訟」のソショウなのであります。なんで
カタカナ書きにしたかと言いますと、もし「訴訟」と漢字で書いた場合、見出しを
読んだだけで、「ゲッ! かたい話じゃねえか。」と逃げてしまう読者がたくさん
いるのではないかと考えたからなのであります。
これからお話しするのは、漢字がやたらとダラダラ続くかた〜い内容の話では
ありません。確かに、今回、私たちが行なう「在外投票ソショウ」についての
説明なのですが、できるだけわかりやすく書こうと思っております。最後まで
お付き合い頂ければ幸いです。
わたくし、「日本政府を提訴すんぞ〜」と言いだしてから、数人の方にこんな
質問を受けました。
「なんでソショウなの?」
彼らの疑問は、「なぜソショウという方法を選んだのか」、「それは、どの
くらいの効果があるのか」、「それによってどんなことが起こる可能性がある
のか」という数々の疑問の凝縮体なのでありました。
というわけで、今回は、「なんで”ソショウ”やねん?」ということについて
お話したいと思います。
皆さんご存知の通り、私たち、「海外有権者ネットワーク」軍団は、先月ぐらい
から「国を訴えるぞ〜」と騒いでおります。なんでかと言いますと、私たちが、
「ねえ、海外にいる日本人でも衆議院選とか参議院選に選挙できるようにして
ちょうだいよ。」と一生懸命言ってるにもかかわらず、日本の政府がちっとも
動かんからなのであります。
私たちはこれまで、日本政府に対して署名集め集め攻撃や抗議ハガキ送れ送れ
攻撃などを展開してきました。しかし、それらの技は、瞬間的には、ある程度の
衝撃力を持っているのですが、そのパワーを持続することはできず、政治家の
方々も1週間ぐらいで見事なくらいにきれいさっぱり忘れてしまうのでありました。
なぜならば、そういう署名やハガキをもらっても、彼らは痛くもかゆくもないから
なのでした(私たちは、とりあえず今は、「選挙民」ではないからね)。
しかし、です。「ソショウ」ですと、少し話が違ってくるのであります。
まず、ソショウというのは、一過性のものではなく、持続性の高い攻撃方法
なのであります。”ドッカーン”と爆破して、それっきりというのではなく、
相手をジリジリと追い詰めていき、最後にはギブアップという、でかい相手と
戦う時には、もってこいの技なのであります。
そして、ソショウは、署名やハガキのような、「後は倉庫にでも置いておけば
済むやんけ。」的代物でもありません。そのまま放置しておけば大変なことに
なりますし、なによりもまず、放置しておくことができません。ですから、
政治家さんたちも、「ガハハ」と笑ってきれいさっぱり忘れてしまうということが
できないのであります。
要するに、「ある程度の期間、無視できない」というのが、このソショウの
ビッグポイントなのであります。これまでのは、”ドッカーン”の後は、すぐ無視
されてきたからね。
で、次に、その期待できる効果の話なのですが、例えば、以前、私たちと
同じような方法を使って、選挙法を改正したケースがあります。
その時の対象は、「在宅の寝たきり老人」だったのですが、それらのじいちゃん、
ばあちゃんが郵便で投票できるようにするために「ソショウ」という方法を使って
日本政府をつつき、最終的に「じいちゃん、ばあちゃんの郵便投票」を実現させた
弁護士軍団がおります。
この弁護士軍団のひとりと私たちのロスの仲間が接触したらしく、その時に彼が、
「ソショウ起こした方がいいですよ。」とアドバイスしてくれたそうです。
私、個人的に思うのですが、日本政府軍団も、「裁判用にいろんな書類作る
ぐらいだったら、この法案作った方が早いべな。」と考えるのではないでしょうか。
判決が出る前に法案が出来上がったら、とってもハッピーですな。そしたら、
当然、私たちも「はい、それまでよ。」とソショウを引いてしまうつもりなの
ですが、まあ、どうなりますやら。
このソショウに関する質問の中にこんなものもありました。
「もし、ソショウに勝っても、政府が法案を作らなければ結局同じではないか」。
そうなのです。もしソショウに勝っても、法案ができなければ、「海外では、
不在者投票ができない」という状況は、ちっとも変わらんのであります。
でも、同時に、「それを言っちゃあ、おしまいよ。」なのであります。
以前、この件に関する署名運動をやりました。でも、結局、政府は法案を作り
ませんでした。ですから、その署名運動は、結果的に見ると意味がなかったので
あります。
でも、ホントに意味がなかったのでしょうか。
これまた以前、この件に関する抗議ハガキ運動をやりました。でも、結局、
政府は法案を作りませんでした。ですから、その抗議ハガキ運動は、結果的に
見ると意味がなかったのであります。
でも、ホントに意味がなかったのでしょうか。
こういう「政府突き上げ型イベント投げ投げ大会」というのは、はっきり言って、
「積み重ね」です。 一発でカタがつくことはまずありません。
もし、私たちがソショウに勝って、それでも政府が法案を作らなければ、
またソショウを起こせばいいのです。今回の原告数は、4,50人でしたが、次は
数百人の原告を立てればいいのです。
このソショウが、日本政府に与えるインパクトは、かなりのものです。それで
法案ができてしまえば大モウケ。できなければ、次の手です。
日本政府は、ギブアップ寸前です。こうなったら必殺技を次々と繰り出して
行くに限ります。
楽しくなりますよ。
てなとこです。
私たちの「ソショウの心」、お分かりになりましたでしょうか。
さて、とうとう11月20日にソショウをブチ上げます。詳しいことは来週
お話します。
では。 編集人
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『VOICE』
@「週刊Nuts」竹永浩之編集長殿
竹永さんの書く記事には私がたまにNutsを読む限り同感するものが多くあり
ますが、NO.138 掲載の「たくあんの問題」もそうでした。
私は誇り高き日本人として日本をこよなく愛し(たまには毛嫌いすることも
ありますが)、そこで生まれた文化も大切に思ってい(るつもり?)ます。多くの
人には「たかがたくあん」と思われる事も私はそんな日本人の繊細な気配りと
こだわりにいちいち感動してしまうのです。
私は「たかがたくあん」派の人々に対し別に怒りを感じる事も、ムカツク事も
ないわけですが、しかし自国の文化へのこだわりは、他国文化に対するこだわりと
そして理解を深めることになるのではないでしょうか。
恐らく私は竹永さん以上に日本の習わしや常識について知識がないと思います。
しかしアメリカという文化が交錯する国に住んでいる幸福に感謝することを
忘れずに、いろいろな文化を吸収、理解しようと闘志を燃やす今日この頃です。
道先 信
@先日のNuts紙上で、たくあん2枚の記事が大変興味深かった。
この様な、日本人なら知ってるかもしれない、しかし、知らなくても特に困ら
ない常識を特集しましょう。
「私の知ってるもの」
1. 手紙は1枚便箋で出してはいけない。用件が1枚ですむ場合も白紙の2枚目を
つけて送る。
2. 手紙を赤字で書いてはいけない。
以上です。 KEN
@10月20日の総選挙の日、私は日本にいた。
TVでは午後からほとんどニュース番組となっていたが、投票所の閉まった直後、
すでに当選予想が出ていたのには驚いた。これは、投票を済ませた人達を出口で
つかまえてアンケート調査した結果という事だが、ある局の予想と実際の政党別の
当選者数は、1人か2人の誤差位で的中していた。
また開票30分後には当選確実の人も出ていたけれど、何万票という数がどう
してこんなに早く数えられるのだろうかとフシギに思った。
細川政権以来、NYに住む私には、政党の違いがわからなくなってしまった。
そこで、日本に住まない我々は、「海外党」みたいなものを作って選挙に出たら
良いかもしれない。今回から個人別と政党別の2枚の投票がされるようになった
から、当選も可能かもしれない。
ところで、日本のよりNYのみそラーメンの方がおいしいと感じてしまうのは、
NY生活が長すぎるのでしょうか?
三上クニ
@「ナッツ」紙百三十五号で石井政之氏が「人間の画一性と個性はコインの裏表
なのだ」という考え方を提示しておられます。
重要な指摘です。そこから、(石井氏の論旨からは少々飛躍しますが)
「イングリッシュ・ジャーナル」誌八月号(一九九二年)のトーマス=リード氏の
対談記事を思い出しました。日本人(の支配層)の「侮米」感情を報道した
「ワシントン・ポスト」紙記者のリード氏は、その対談記事の中で、日本人は
「アメリカではだれもがエイズにかかっていて、ホームレスで、失業している、
あるいは、犯罪者だと思うでしょう。」などといいかげんな発言をし、続けて、
ボーイスカウトや、日曜日に教会へ行ったり、学校でボランティア活動をする
アメリカ人を挙げた上で、日本はこれらをなぜもっと報道しないのかと主張し、
はては、" This is what real America is all about. " (これこそ真の
アメリカの姿です)とまで言っています。
「真のアメリカの姿」? それではリード氏は、貧困にあえぎ、抑圧され
差別されているアメリカ人の存在は「偽(にせ)のアメリカの姿」とでも言い
たいのでしょうか。「ナッツ」紙読者に注視してもらいたいのは、この当時
リード氏は「ワシントン・ポスト」紙の「極東総局長」として来日していたと
いう事です。つまり、アメリカ人の平均以上に良識があると思われるリード氏が
このような発言をしている事が問題なのです。知識人であるハズのリード氏には、
抑圧されている人々など全く眼中にないのです。この発言によってリード氏は、
ただでさえ日の目を見られない貧困層の人々をいっそう「見えない存在」にしよう
とたくらむのです。
ボランティア活動に精を出すアメリカ人も合州国の一面ではあろう、が、
しかし一面でしかない。貧困層の存在は、決して見過ごすわけにはいかない、
より重要な合州国の一断面である。合州国はその成立当時から現在まで常に、
貧困層をまさに「踏み台にして」繁栄し続けてきたのだ。
「抑圧者」の美点を紹介するのも結構ですが、それで「抑圧者」の悪を免罪
しようとするリード氏のような姿勢には常に注意していなければならないで
しょう。教師や裁判官や宣教師までもがKKK団に加わる「病めるアメリカ」に
対して、「しかしボランティア活動もしている」と叫ぶ哀しきジャーナリスト・
トーマス=リード氏。このような「知識人」にだまされないためにも、
石井政之氏の言う「コインの裏表」という概念を、お互い忘れないようにしたい
ものですね。
追記:石井氏は、「ニューヨークという異国の地で日本語への強烈なこだわりが
わきあがり」、「もっと日本語の能力を磨きたいと願」っているとの事。それ
ならば「コインの裏表」は「硬貨の裏表」ではなぜいけなかったのか。「言葉に
対する偏執的なこだわり」とはこういうことではないですか。
原田昌幸
@「言葉と文化を捨てる行為は、日本の国内外で日本人がやっていること」
週刊Nuts No.139(1996年11月5日)の杉下弥生様へ
NO.139で私の投書(No.135掲載)に共感してくれたことを感謝します。
そこで、もう少し、日本人と日本語について私の意見を書いてみたいと思います。
最近、こんな話を聞きました。
アメリカ人と結婚している日本人女性の生活ぶりなのですが、彼女は家庭の中で
一言も日本語を話さない、英語の勉強のために毎日ニューヨークタイムズを読んで
いるというのです。(その女性は幼少の頃に、海外の教育と生活を体験した人では
ありません)
これを聞いたとき、そこまでする人間がいるのか・・・と驚き、情けなくなり
ました。
しかし、この「異文化に適応するために言葉を捨てる」行為は、外国だから
起きる出来事だとはおもえませんでした。というのは、日本国内で、田舎から
東京に移り住んできた人たちのほとんどは、「東京文化」に順応するために方言を
捨てるからです(関西人は例外のようです)。
東京はほかの地域文化を破壊する力をもっているのです。
乱暴な論理とは百も承知ですが、この東京(在住日本人)と地方(在住日本人)の
関係と、アメリカ(在住日本人)と日本(在住日本人)の関係は似ていると
思います。日本の田舎に行ってテレビをつけると東京発の情報を洪水のように
浴びせられます。しかし、東京では田舎の情報はほとんど流通していません。
同じように日本ではアメリカの情報があふれていますがアメリカでは日本の情報は
一般的ではありません。
自立した精神の持ち主なら、この力関係をはじきとばせなければおかしいのです。
石井政之
@編集人です。
最近、「以前からお会いしたかったんですけど、なかなか連絡できなくて・・・」とおっしゃる方によくお会いします。
私は、ある意味で「いろんな人に会うために」このNutsをやっております。
できるだけ多くの方々とお会いできればと考えております。お電話待ってるわ。
では、また来週。 編集人
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『今週の歌』
「かみさんの 職場に電話してつげる
" Ms. Takenaga " に 慣れてきたころ ひろ」
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