1996年12月17日号(No.145)


                     Nutsの表紙です



目次

*『VOICE』 ・投書「日本語・日本文化に対するこだわりについて」 ・投書「日本語・日本文化に対するこだわりについて」 ・投書「ニューヨークのある不動産屋について」 ・編集後記 ・ひとりごと「続・屁の音の問題」
*『今週の歌』
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『VOICE』

@「日本語・日本文化へのこだわりについて」
 異国語・異文化に接することが、それまであまり意識してなかった自国語・ 文化に対するこだわりを生み出す、ということ自体は自然なことだと思います。 でも、それを「大切に守るべきもの」としてとらえる態度に、あるいは、「私は 日本人である」ということの意味があまりに自明のことのように前提されている ことに、疑問を感じます。
 「日本人」て何ですか? どんな日本人にもあてはまる共通の性質なんてある のでしょうか? 「たくあんの問題」にしても、こだわる日本人とこだわらない 日本人がいるのは明らかで、「たくあんの数のような細かい点にこだわるのが 日本人である」という定義は成り立ちません。その他日本人の特質とされている 諸性質についても同様でしょう。
 では、「日本語を母国語として話す人が日本人である」という定義は成り立つ でしょうか? そうでない日本人も存在するし、母国語ではあっても、ほとんど 理解不可能な方言しか話さない日本人もいれば、同じ標準語で話していても全く 意志の疎通の成り立たない外国人のような日本人もいます。
 というふうに、突き詰めて考えていくと、「日本人」とは何なのかよくわから なくなります。私たちが漠然と「日本人」という言葉で思い描いてるイメージは、 実体のない、想像の産物でしかないと思います。
 アメリカ人と結婚している日本人女性が日本語を使わず英語漬けの日々を送っ ていることを「情けない」と思う、という意見がありましたが、私は、「英語 漬け」でも「アメリカナイゼーション」でも、やりたければ徹底的にやって みればいいと思います。
 そして、それでも「日本文化と日本語の中で生まれ育った人間である」という 条件を越えられないことに気付いたとき・どうしても越えられない壁があること を痛みと共に認識したときに初めて、「日本人であること」が自分にとって何を 意味しているのか考えることができるのではないでしょうか。(この場合の「 日本人」というのは、抽象物ではなく、「この私」が日本人である、ということ で、「日本人であること」の意味は人によって異なるでしょう。)
 異文化に多少接触して「やっぱり私は日本人なのね」と、「日本人としての アイデンティティー」に目覚め、それを守ろうとするのは安易すぎると思い ます。(これは一般論で、個人攻撃ではありません。私自身も時折この思考 パターンに陥ることがあり、自戒の意味もこめてこの文を綴っています。)
 「私は日本人」という自明の理を徹底的に疑ってみる・壊してみる必要がある と思います。その後で、「日本人である」ということが、誇るべきことでも恥ず べきことでもなく、自分が引き受けて生きていくしかない条件の一つであること が実感されるのだと思います。
                      鈴木その子
@週刊Nuts NO.140(1996年11月12日)の石井政之様へ
 NO.140で、私の投書に感謝していますとのお言葉が掲載されていることを、 友人から聞き、急いで週刊Nutsを読むために、サンライズマートへ行きました。 あまりにも感激してしまい、週刊Nutsを片手に、何も買わずに家に帰った私です。 何度もバスの中で読み返しニヤニヤとしてました。
 ところで、NO.140に掲載されておりました「異文化に適応するために言語を 捨てる行為」に関してですが、もし本当にそのような行為をする方がいらっしゃる のでしたら、ちょっぴり悲しいことですね。ただ私は、「アメリカ人と結婚して いる女性が、家庭の中で一言も日本語を話さない」という行為が、自国の言葉を 捨てる行為と言えるかどうかは分かりません。その女性の方は、自国の言葉を 素直に受けとめる心の余裕がないのかもしれません。ご主人のことを少しでも ご理解なさろうとしているのかもしれません。
 ニューヨークに来て、私が学んだことは、全てには歴史があり、文化が形造ら れていくこと、そして、私にはそれらの文化の良し悪しを判断することはでき ないが、なるべく多くの文化と接触し素直に受けとめることにより、様々な人間の 姿を知ることができるということです。
 現在ある力関係をはじきとばせるほど、私は強くはありません。弱気になっ て、”寄らば大樹のかげ”という考えに傾くことも時々あります。
 しかし、せめて心のつながりを持つために、まずは受けとめることからはじめ ている次第です。いつか心の広い素敵な自分を夢見て。
                      杉下弥生
@私は、ニューヨークのある不動産屋から物件を紹介してもらいました(後で 分かったことなのですが、顧客のほとんどが日本人だそうです。またこの不動産 屋がある地区の他の不動産屋のほとんどは、コミッションを家賃の一ヶ月分を とっていますが、この不動産屋は一年間の10%をとっています。もしかしたら、 日本人にだけかもしれません)。
 この不動産屋からの物件は、私が希望していたものではなく、色々問題のある ビルと分かったため、苦情を言って他の物件を紹介してもらいまいした。不動産屋 は、物件を見せた帰り道に、私に$200払うように言いました。私は、家賃が違う ので差額のことだと思い、あいまいに返事をしました。そして差額を計算すると $130だったので、「$130 払う」と言うと、それまでとても親切だった彼は急に 怒り出し、「あの時、君は$200 払うと言ったじゃないか!」と怒鳴り始めまし た。私が「私が理解できるよう$200の根拠を教えて下さい。」というと、「何も 言うんじゃない!」と怒鳴るだけで人の意見を聞こうともしませんでした。
 翌日は会社の方に電話をしてきて、大声で延々怒鳴るため、私は受話器を離して 聞いていたら、回りの人から心配されました。その時も私は冷静に$200の根拠を 説明してくれるように口を挟もうとすると、「何も言うんじゃない!」と言って ギリシア語なのか英語なのか分からない言葉で怒鳴るのです。それで、私も大声 で、「弁護士とHousing Authority に電話をするから。」と電話を切りました。 するとすぐに電話がかかってきて、「$132でいい。$200のことは忘れてくれ。」 と言うではありませんか。
 私は実際、弁護士やHousing Authority に電話をしたのですが、「契約書を 交わした訳ではないので$200は全く払う必要もない。」と言われ、弁護士は、 「あなたは日本人だし、それも女性なので、ちょっと脅かせば払うだろうと甘く 見たに違いない。また、日本人は金持ちで、争うくらいなら我慢してお金を払う 方がよいと考えているとナメている不動産屋は多いので、十分気を付けるよう に。」と言われました。
 この不動産屋のある地区には、日本人が多く住んでると聞きますので、この ような不動産屋につけこまれないように気をつけてもらいたいです。もし英語に 不慣れでも、日本人向けのサービスや弁護士の広告がOCS NEWS 等に載ってま すし、Nuts に載っている「カツ電」もあります。弁護士の場合は、電話での 最初のサービスは無料のところがありますので、それらを活用して言うべきこと は、はっきり言いましょう!
                       安藤佳子
  @編集人です。
 さて、わたくし、先週、あるパーティに参加しました。
 このパーティ、毎月、ゾロメの日、つまり、3月3日とか6月6日などに行わ れておりまして、日本人のための一種の「異業種交流会」とでも言うべきイベント なのでありました。
 最初は、アーティストの方々が中心だったようですが、今では、いろんな分野の 人々が、「人脈」や「情報」を求めて参加されてるとのことでした。
 先週行われたパーティには、約100名ほどの方々が参加されてました。
 非常に質のいいパーティでしたね。正直言って、感心しました。
 参加者が、「人と知り合いになる」という目的意識を持って参加していること が、そのパーティ自体を、とても明るくポジティブなものにしているような気が しました。
 そのパーティの帰り、うちの近くの日本人経営の喫茶店に夕飯を買いに行った のですが、そこで、数人の日本人の若い衆が、「黒人は、なぜみんなタラコくち びるなのか」なんてことについてしゃべってました。
 その風景を眺めながら、私は、さっきまでいたパーティのことを考えてました。 そして、思ったのです。
 「ニューヨークの日本人社会もええ感じになってきたのう。」
 目的を持ち、その目的を達成するために、日本人同士、協力して行こうという 動き。一方で、日本人経営の喫茶店で、日本人の若い衆がくだらないことをくっ ちゃべってる風景。どちらもすごくいいと思います。
 みんな自由にやればいいのです。「アメリカに来たんだから、がんばらなくっ ちゃ。」という人は、力一杯がんばって、「たかがアメリカじゃん。チンタラ やろうぜ。」という人は、力一杯チンタラしたらいいと思います。
 私は、日本人同士の繋がりって、すごく大切だと思っています。お互いの 目的のために、私たちはできるだけ協力していくべきです。
 これまで、ニューヨークの日本人の間には、何か目に見えない壁があったような 気がします。それが、ここ2、3年の間に少しずつ崩れつつあります。
 最近のニューヨークの日本人社会で活発に動いてる人たちを見ていると、 「日本人だから」とか「アメリカ人だから」などという変なこだわりがなく、 ホントに自由に好きなことをやっています。
 そんな彼らを見ていると、自分がすごく古い「ニューヨークの日本人」に思えて きます。このことについては、別の機会にでもじっくりお話ししましょう。
 来年、このNutsもとうとう4年目に突入します。「ニューヨークのミニコミ」と して、やっと何かやれる準備ができたって感じです。やっぱり3年かかりました。
 今週は、そんなところです。
 では、また来週。
                                                                 編集人
@「屁(へ)の音の問題」が異様な盛り上がりを見せている。
 先週の屁に関する一文について、多くの人たちからいろいろなコメントを頂い た。ここで、その一部を紹介しよう。
 「屁の音って、やっぱ食い物に関係あるんじゃない。炭水化物食うと、切れの いい屁が出るとかさあ。」、「でも、毎日同じモノ食べてる夫婦でも、人種が違え ば屁の音も違うよ。」
 「肛門の締まり具合っていうのも重要だと思うよ。例えば白人の肛門はゆるい とかね。」
 「私の付き合ってる人、アメリカ人だけど、やっぱり音は違うわね。」
 「私、日系のアメリカ人の子、知ってるけど、彼の屁はアメリカ人的だった わね。」、「で、彼のお尻はアメリカ人的だった?」、「そう言えば、キュって 感じで締まってたわね。だから、摩擦音まじりの屁の音だったのかしら。
 「人種だけじゃなくて、産業別の屁の音の違いっていうのもあると思うな。 例えば、座って仕事してる人と立って仕事してる人では、尻の筋肉の質が違う わけだし、それによって屁の音も当然違ってくるはずだよ。」
 「僕の屁は、音に関しても臭いに関しても、かなりパンチが効いてますよ。」
 「私、お腹の調子の悪い時なんか、朝、自分の屁で起きるのよ。臭くて、 臭くて。」、「臭くて起きるの? オレ、お尻の辺りが、ヒヤっとして起きるの かと思っちゃった。」
 「それにしても、フトンの中の屁って、なんであんなに臭いんだろ? 特に、 寝返り打った時なんか、フトンの中に溜まった屁が、モアって感じで外に流れ 出してくるでしょ。あれって強烈よね。」、「で、フトンの中から出てくる屁っ て、外気と温度が違って、妙に生温かいのよね。」
 結局、屁の音とはまったく関係のない話まで飛び出してしまった。
 また、この「屁の音の問題」を数人のアメリカ人に話したところ、彼らも私の 予想を上回る反応を示していた。中には、「おめえのニュースレターちゅうのは、 いつもそんなことばっかり書いているのか?」と質問してくる人もいたが・・・。
 この問題は、奥が深い。医学的分析も必要であるし、食物学的視点も必要で ある。また、「アメリカでは、一般の場で屁をこくことはマナーに反する。 だから、アメリカ人は、一生懸命、屁を我慢しようとし、最終的に、あのような 往生際の悪い屁の音となる。一方で、日本人は、屁に関しては比較的オープンな 文化を持つ。よって、”プー”とか”プヒー”とかいう開放性にあふれた屁を こくのである。」などという文化人類学的な考察も必要とされるはずである。
 「人種間の屁の音の違い」というのは、学会において議論されるテーマでも ないし、政治の場で話されるものでもない。ただ、人々の心の中にひっそりと 眠っている、「一般の場では触れてはいけない」問題なのである。
 でも、すべての人類は、間違いなく屁をこく。
 人々が心の中に持ちながら、一方で、簡単に口に出してはいけないテーマ。 それが、「屁の音の問題」なのである。
 そこには、「人類みな屁をこく」という、分かっていながら、なかなか確認の 取れなかった事実の発見がある。それと同時に、「人類みな屁をこく。しかし、 それぞれ違う屁をこく」という、同じ行為の中にも人種や文化によって微妙な 違いが生まれるおもしろさがある。また、「触れてはいけないものに触れて しまった」というドキドキ感もともなう。それらが、人々を「屁の音の問題」に 関する議論に走らせるのである。
 ところで、私は、自分の屁の音も臭いも愛しく思っている。他の人々も、 きっと私と同じように思ってるに違いない。
 しかし、他人の屁は違う。他人の屁の音を聞いて、「う〜ん、ラブリー。」 と思う人間はいないし、臭いに関しては、時々、殺意を覚えることもある。
 自分の屁はOKで、他人の屁はNO GOOD。
 これは、一体、なぜなのか。
   また新たな問題を発見してしまった気分である。
 このままでは、初夢に「屁の問題」が出て来そうな気がする。ついでに、 「正月の朝、自分の屁の臭いで起きたりしたら・・・」などと考えると目まいが してくる。
 大変な問題を抱え込んでしまった。
 ちなみに、私の来年のテーマは、「失敗」である。
 すでにその前兆が目の前にある・・・・。
                          ひろ
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『今週の歌』

   「友達の 結婚話を 偉そうに
          分析している 君の口もと      ひろ」

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Hiroyuki Takenaga ---hiro@interport.net


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