1996年12月31日号(No.147)
Nutsの表紙です
目次
*『97年度の作戦』
*『ひとりごと・薄着の問題』
*『今週の歌』
***********************
『97年度の作戦』
さて、「97年度の作戦」なのであります。
今年、つまり、96年度もこのNuts紙上において、わたくし、いろんなことを
仕掛けたのであります。で、来年もこれまたいろんなことを仕掛けるつもりなの
であります。
そこで、「来年はこうして、こういう新しいことを始めたりなんかしたら、非
常にいいんでないの。」ということを読者の皆さんと一緒に(迷惑かしら?)、
今週と来週の2週に渡って眺めてみたいと思うのであります。
では、始めましょう。
1)「ガン地連とニュー発作戦」
皆さん、「ガン地連(ガンバレ地方連合)」と「ニュー発作戦(ニューヨーク
発信作戦)」のこと、まだ覚えてらっしゃいますでしょうか。なつかしいですの
う。でも、実を言いますと、これらの作戦は、まだ進行中なのでありました。
一応、念のためご説明しておきますと、「ガン地連」というのは、ニューヨー
クの日本人と日本の地方の日本人が組んで、TOKYOを無視してお互いに面白いこ
とをやろうではないか、という作戦のことなのでありまして、「ニュー発作戦」
というのは、ニューヨークに住む日本人の情報を日本に向けて発信しようではな
いか、というものなのでありました。
なんでこんなことを始めたかを簡単に言いますと、「日本にいる日本人に、
もっと泥臭い情報を流し、ニューヨークに日本人が本気で住んでいるということを
日本に伝え、ニューヨークという海外をもっと近いものに感じてもらいたい。」と
考えたからなのでありました。
日本のマスコミが流す海外の情報というのは、通常、「よそ者の目」で書かれ
た、あるいは、描かれた、「乾いた」ものが多いのであります。私は、そういう
ものだけが日本の中を大手を振って流れている間は、日本人はいつまでたっても、
海外に対して、「よそ者」で「乾いた」感覚しか持ち得ないのではないかと思う
のであります。海外は、いつも「遠い」ものなのです。日本人が、鼻歌でも唄い
ながら、海外をヒョヒョイのヒョイと闊歩するためには、もっともっと海外に住
む日本人発の「当事者」的視点で書かれ、描かれた、「湿った」情報というのが、
日本人には必要であると、わたくし、考えるのであります。
また、海外に住む日本人の生活感あふれる話が日本に伝わらないために、「海
外には、日本人が山ほど暮らしてる」という感覚を日本の日本人は持てないので
あります。ある意味で、この感覚の欠如が、在外投票制度実現の足を引っ張って
いるわけよね。
で、ついでに「海外には、日本人がいっぱい住んでる」という感覚がないもん
だから、自分自身が海外に住みに出るっていうのが、なかなかできん。となると、
いつまでたっても「日本中心主義」で物事を考え、かと言って、日本人であるこ
とに誇りを持ってるわけでもなし、やることと言えば、日本の文句をタレるだけ、
ということになってしまうのであります(まあ、これはちょっと言い過ぎやけどね)。
というわけで、日本のマスコミの根城であるTOKYOを通さずに、日本の地方と
ダイレクトに面白いことをやって、「ニューヨーク」と「地方」の距離を縮めて
しまおう、というのが「ガン地連」、わしらニューヨーク日本人の泥臭い情報を
日本に流して、日本の日本人が持つ「ニューヨーク・異国の地」感覚を「ニュー
ヨーク・生活の地」感覚に変えてしまおう、というのが「ニュー発作戦」なので
あります。
この「ガン地連」と「ニュー発作戦」、来年度も性懲りもなくやるのですが、
何をどうこうするというのは、今のところ、決まってないのであります。
この2つの作戦に関して現在やっていることと言えば、毎週、このNuts を
E-mail状にして、日本のマスコミだとか一般の人々にバラ撒いてるぐらいのもん
なのですが、とりあえずはそれを地道に続けて、チャンスが到来するのを待つので
あります。
来年は、何か面白いことが起きそうな気がするのであります。それまで、静かに
潜ろか。
2)「出ろ出ろニッポン作戦」
さて、新しい作戦なのであります。
この作戦、その名の通り、「日本の日本人の皆さん、海外に住みに出ましょ〜
う。」という作戦のことなのであります。
ここから、ちょっと語りに入るから、みんな、ちゃんと付いてきてね。
急にデカい話になりますが、「日本をいかにして変えるか」ということに関する
私の基本的な作戦というのは、「日本の人口の4分の1が海外居住経験を持つな
らば、日本という国はかなり変わる。だから、みんな、外に出よか。」というもの
なのであります。つまり、「できるだけ多くの日本人の方々に海外居住経験を持っ
ていただくことによって、その脳味噌に揺さぶりをかけ、柔らかくし、そして、
その柔軟になった脳味噌を日本へお持ち帰りいただいて、日本にいる日本人の方々
の脳味噌にその影響を及ぼし、最終的に日本の脳味噌全体が柔らかくなれば、非常
にいいんでないの。」という読みに基づいた作戦なのであります。
この「柔らかくなった脳味噌」というのは、具体的に言いますと、「違うものの
存在を認められる脳味噌」という意味です。自分とはまったく違う価値観や考え方
に対して、「アンタは、ワシとは違う。でも、別にそばにいてもかまわんよ。」と
言える脳味噌を持つことが、今の日本人には必要だと、わたくし、考えておるので
あります。
海外に出て住んでみますと、いやがうえにも、違うものとの共存を強いられるの
であります。そして、知らない間に、「そうなんだ。違うものでも存在していいん
だ・・・。」てな気分になるのであります。それが、私の狙いなのよ、アナタ。
私は、新しいものというのは、違うものと違うものとのぶつかり合いによって
生まれて来ると考えております。でも、日本という国、あるいは、日本人の脳味噌
というのは、この「違うものと違うもののぶつかり合い」というのが、なかなかで
きにくい所なんですな。いつもどちらかが、相手とぶつかり合うのではなく、
「排除」しようとするのであります。だから、新しいものがなかなか出て来ないの
です。
そんなこんなで、日本の日本人の方々に是非とも海外に出ていただきたいと、
わたくし、考えておるのであります。
ここで少し話がズレます。
多くの日本の日本人の方々が、「日本人が海外に住みに出る」ということを考
える時に、こういうことをよくイメージします。
「海外に住んだら、日本人であることを忘れ、外国かぶれになる。」
わたくし、これは、大ハズレだと考えとるのであります。
海外に住むことは「外国かぶれ」を作るよりは、どちらかと言うと、「右翼」を
作るような気が私はします。ニホンジンニホンジンした日本人を作るのです。
こういう現象が、なぜ起こるかといいますと、日本にいる時は「自分は日本人で
ある」と自覚することが少なかったのに対し、海外に出ますと、私たちは何よりも
最初に日本人であるわけでして、ついでに、それをまわりの非日本人たちが指摘し
ますし、そう言われれば言われるほど、「自分は日本人である」という意識が強く
なっていくのであります。
この「どんどん強くなる日本人としての意識」というヤツは、その人自身を
「だから日本が大嫌い」という方に持って行くこともありますし、「だから日本が
大好き」という方に持って行くこともありますし、トドメにその両方になることも
あります(ちなみに私は両方の感情を持っているのであります)。まあ、どちらに
しろ、日本人としての意識は強くなるのであります。
よって、日本の日本人の方々が思いがちな、「海外に住んだら日本人であること
を忘れ、外国かぶれになる。」という認識は間違いであると、わたくし、考えるの
であります。
はっきり言って、海外に住むということは右翼を作りますよ。
ですから、日本の右翼団体の皆さんも、「海外に出て右翼になろう!!」なん
ちゅう気の利いたキャンペーンかなんかやられたらよろしいんじゃないですかね。
海外居住経験によって筋金入りの右翼を作るのです。ただ、気を付けなければなら
ないのは、筋金入りの「左翼」を作る可能性もあるということです。
ちなみに私は、海外に出て、かなり右になりました。それと同時に、左にもなり
ましたけどね。
話を大幅に戻します。
そんな訳で、わたくし、日本の日本人の方々に外に出ていただきたいのであり
ます。その意思表示の方法としての「出ろ出ろニッポン作戦」なのであります。
実を言いますと、この「出ろ出ろニッポン作戦」、私が今までやってきたほと
んどの作戦と絡んでおるのであります。
では、その絡み方をここで一挙にご紹介しましょう。
まず、先にご紹介した「ガン地連」や「ニュー発作戦」、あるいは、来週お話し
する「NYウエイター物語」や「Nuts本作り」に、日本の日本人の方々が、日本で
遭遇します。で、ニューヨークに住むことに興味を持ち始めて、いろんなことを
調べる間に、インターネット上の「ホームページNuts」や「NY Nuts メーリング
リスト」などを見つけます。それらを通してニューヨークに住む日本人とコミュ
ニケーションを取り始め、ついに本気でニューヨークに住みに行こうと思います。
そして、ニューヨークに実際住みに行きます。いざ来たのはいいのですが、いろ
いろな生活上の問題が発生します。そこで「カツ電」に電話して、それらを解決
するための情報を集めます。また、海外に出たために日本の選挙に参加できなく
なったっていうのは、困ったものです。なんてったって、選挙は「未来の選択」
ですからね。でも、在外投票制度を実現させようという動きがありますから、こ
れもそのうち解決します。そして、最終的に日本に帰って、まわりの人たちに
「ニューヨークに住みに行ってごらんよ。おもしろいよ。あ、そうそう、ニュー
ヨークでこんなミニコミが出てるんだよ。」と言って、「週刊Nuts」を差し出す
のであります。
すばらしい。完ペキではないですか(そんなにうまく行くんかい。)
正直言いまして、これは私が計算してこうなったのではありません。今まで
自分がやってきたことを組み合わせてる間に、偶然、こういうカタチになったので
あります。
おそらく、私の深層心理の奥の方に、「日本人、こっちゃこ〜い、こっちゃこ〜
い」という欲望が存在していて、そいつが私をいろんな作戦へと駆り立て、そして
最終的に「出ろ出ろニッポン作戦」へと流れつかせたのだと思います。
これまでも、「日本人は海外に出るべきだ」論をぶつ人たちは、山ほどいました。
その人たちは、「なぜ出るべきか」の説明と共に、ただただ「出るべきよ、出るべ
きよ。」と念仏のように繰り返すばかりでした。
はっきり言って、「日本人は海外に出るべきだ」ということは、日本の日本人の
皆さんはすでに分かっているのです。そして、金銭的にも物理的にも、日本人に
とって、海外は、すぐそこなのです。あと、日本人がクリアーしなければならない
のは、精神的距離感のみなのであります。「海外に住むってことが、よう分から
ん。」という精神的距離感を埋めてしまえば、日本人は、ガンガン外へと出て行
くのであります。私は、いろんな作戦を絡めた「出ろ出ろニッポン作戦」で、その
精神的距離感を埋めてしまおうと考えておるのです。
さて、ここで、その「出ろ出ろニッポン作戦」において、実際、どういうことを
やるかということについてなのですが、今のところ、何もないのであります(おい
おい)。まあ、とりあえずは、私の意思表示ということで、Nuts読者の皆さんに
は、納得していただきたいと思うのであります。でも、来年は、何か起きそうな
気がするわ(そればっかりやないか)。
とりあえず、今週分の「97年度の作戦」は以上です。
いやいや、今年も終わりですな。
今年の初め、わたくし、この96年を「変化の年」と名付けました。そして、
その通りになったのであります。
でも、おやじとおふくろには変化はなく、相変わらず元気でした。それに関して
は、はずれてくれて良かったと思います。
それでは、また来週。そして、ハッピーニューイヤー。
編集人
**********************
『ひとりごと』
@「薄着の問題」というものが存在する。
私は子供の頃から「薄着」派である。
小学校の頃、クラスの中に冬でも半ソデの子が必ず一人はいた。あれが私である。
私はあの頃、死ぬほど寒くても、鳥肌をビンビンに立たせながら、「ボク、ぜん
ぜん寒くなか〜。」と熊本弁でほざいていた。そして、今現在も、基本的にはその
「死んでも薄着」精神を持ち続けている。
先週の火曜日、私はあまりにも暖かくて、半ソデでミッドタウンの辺りを歩いて
いた。するとどうだろう、擦れ違う人々が、私のことをまるで極悪人か大魔神でも
見るような目でニラみつけているではないか。これが、日本のようなガンの飛ばし
合いがケンカの火種となるような風土の国であったならば、私は約60回ほどケン
カをしていたことだろう。
一般的に、「薄着すると風邪を引かない」と言われるが、あれは真実である。
「薄着」派の私は、この10年の間に、気合いの入った風邪というのを3回しか
引いたことがない。なぜなら、私が「薄着」派だからである。
多くの人が、風邪に関して持つイメージの中に、「寒いから風邪を引く」という
ものがある。風邪というのは、寒いから引くのではない。夏でも風邪を引く人間は、
山ほどいるのである。私が考えるに、風邪というのは、その人が体感温度の変化の
フットワークについて行けなくなった時に引くのである。
体感温度というのは、時間、あるいは、場所によって変化する。「昨日は今日よ
りも寒かった」、「家の中は外より暖かい」などのように、人間の体感温度という
ヤツは、しょっちゅう変化している。
人間の身体というのは、うまいことできていて、体感温度が低ければ低いなりに
身体内の態勢を整えるし、高ければ高いなりの対応を示すのである。
ところが、冬はいつも厚着して、一日中、「あったか状態」をキープしようと
する人間たちは、この体感温度の変化に対応する能力というのを退化させてしまう
のである。結果として、たまに起こる「気温の突然の変化」や「汗をかいたまま身
体を冷やす」などの体感温度の急激な変化について行けなくなる。そして、体感
温度のフットワークについて行けずに立ち止まって、肩でゼーゼー息をした時に、
風邪ウイルスがノソリと体内に入り込むのである。
その点、「薄着」派の人間たちは、鍛えられている。
いつも薄着であるからして、その体感温度は、しょっちゅう変化している。外に
出れば、カッキーンと寒いし、家の中に入れば、ドッカーンとあったかいのである。
でも、この「カッキーン」「ドッカーン」を繰り返すと、その適応フットワークは、
かなりのものとなり、その辺の体感温度の変化ぐらいでは、ビクともしなくなる。
よって、風邪ウイルスにノソリと入られるスキもない。だから、「バカは風邪を
引かない」などと言われながらも、風邪を引かないのである。
ちなみに、私のこの理論には、医学的根拠はまったくない。
「薄着」派は、アホだから薄着しているのではない。私たちは、自分たちの体感
温度変化のフットワークを鍛えているだけなのである。
だから、私をあんな目で見るのはよして。
結局、私が言いたかったのは、「そんな目で見ちゃや〜よ。」ということなので
ある。
だったら最初からそう言え。 ひろ
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『今週の歌』
「 ヌケヌケと ベッドで眠る 君を見て
96を ”苦労”と読む我 ひろ」
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