Nutsの表紙です
目次
*『日本語のお芝居について』
*『VOICE』 ・投書「故岩城之徳先生に”今頃になって”弔意を述べる」 ・編集後記 ・ひとりごと「踊りの問題」
*『今週の歌』
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『日本語のお芝居について』
さて、「日本語のお芝居について」なのであります。
最近、日本語のお芝居というのが、ここNYにて激しく行なわれておりま す。この「日本語のお芝居」というのは、NYに住む日本人が、NYで日本語 の芝居をすることでありまして、私が知ってる限りで、去年2つ、そして、 今年も今月末にひとつ行なわれるのであります。
実を言いますと、この「日本語のお芝居が盛んな風景」というのが、わ たくし、好きなのであります。もっと早くこういう状況になってよかった のではないかとさえ思っております。
ここで、この話のポイントを設定しましょう。
NYの日本人演劇界、そして、日本人社会の中には、日本語のお芝居を することに関して、賛成意見と反対意見が存在しております。これまでは、 どちらかと言うと、後者、つまり、「日本語のお芝居」反対意見の方が強 かったのではないかと、わたくし、個人的には考えております。
では、日本語でお芝居することについての賛成派と反対派のそれぞれの 理由をここで挙げてみます。
まず、賛成派の理由。
「NYの日本人にしか分からん笑いとか泣きがあるべ。それを表現したい んだなあ。」、「英語で芝居やるって言っても、どこまでやれるかが問題 なんだな、これが。英語でしょーもない役やるぐらいだったら、日本語で 思いっきりやりたいもんだ。」、「こっちって、日本でやるよりもズーっ と安く芝居ができるのよね。日本じゃ高過ぎて、自分で芝居なんか打てな いもの。それだったら、別にこっちで自分のやりたい芝居を日本語でやる のもひとつの方法よね。」、「アメリカの社会に入って成功したいって言 う人もいるけど、アメリカ社会って、一体何なの? NYの日本人社会もひ とつのアメリカの社会だと思うんだけど。」、「要するに、自分のやりた いことをやれればいいんじゃないの。英語でやりたい人は英語でやって、 日本語でやりたい人は日本語でやる。別に人のことなんだから、反対する 必要もないし、そんなこと気にぜずに、自分の道を突き進めばいいのよ ね。」
そして、反対派の理由。
「アメリカに来てまで何で日本語で芝居せにゃならんの? オレたちは アメリカにいるんだぜ。」、「日本語の芝居は、単なる逃げ道だよ。そう やって簡単な道に逃げるんだよな。」、「日本語の芝居って、身内ネタが 多いし、来る人たちも友達とか知り合いが多いし、そしたら、見る人たち の目も甘くなるから、結局、演じる側の緊張感がなくなるのよね。」、 「日本語でやることにどんな可能性があるの? それがウケたからって、 NYの日本人の人口なんか高々10万人なんだから、その先の可能性なん てないよ。やるんだったら、やっぱ日本でやるべきだよ。」、「アメリカ にいるんだったら、やっぱりアメリカ人といろんなことやりたいよな。ア メリカの社会に食い込んで行きたいんだ。」、「オレは、この街に夢を掴 みに来たんだ。だから、英語の芝居で成功する可能性がほとんどなくても、 夢を掴む努力だけはやめたくないんだ。」
てな感じなのであります。
この他にもいろんな理由があるとは思いますが、とりあえず、私が思い 付いたもの、あるいは、人から聞いたものは以上です。
先にお話ししましたように、私は「日本語のお芝居」賛成派なのであり ます。ただ、だからと言って、「日本人がやる英語のお芝居」反対派では ありません。これまで「日本語のお芝居」というのがあまりにも少なくて、 その少ない理由というのが、「アメリカにいるんだから・・・すべきよ ね。」とか「NYに来たんだから・・・やるべきよね。」などという、誰か が勝手に決めた「・・・べき」論というものに基づいてるような気がしま して、そういう「・・・べき」論というのが大嫌いなわたくしとしまして は、いろんな日本人がいろんなことをやれる雰囲気を作るためにも、誰か がこの「・・・べき」論というものにケンカを売って、「日本語のお芝居」 を一発かます必要があるのではないか、などと考えておったのであります。 だから、「日本語のお芝居」賛成派なのです。
日本語でがんばる人は日本語でがんばって、英語でがんばる人は英語で がんばって、両方でがんばりたい人は両方でがんばって頂きたいと、わた くし、考えとるわけなのですが、自分のやってることを必要以上に肯定さ せたいために、「・・・べき」論を他人に対しても振り回すような人には、 噛みついて行きたいと思うのであります。
そういうわけで、日本語のお芝居が今月の終わりから来月のアタマにか けてあります。詳細は以下の通りです。
Jane Street 2R プロダクション
「にっぽん伝説」 日時:1月31日(金)、2月1日(土)8pm 2月2日(日)2pm & 7pm 料金:10ドル 会場:The 28th Street Theater East 28th St. bet. 6 & 7Ave. NYC 詳細:212-675-8580
ご覧になった方は、感想でもお送りください。で、その感想の中に、 「やっぱ日本語のこういう芝居もあっていいよね。」とか「こんなところ で、日本語の芝居なんか観るべきじゃなかった。」なんて意見も入れて頂 くと、このNutsの紙面の方も非常に盛り上がっていいのではないかと思い ます(それが目的か)。
そんなところです。
では。 編集人
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『VOICE』
@『故岩城之徳先生に「今頃になって」弔意を述べる 』
子どもの頃からなんとなく「短歌」が好きで、好きな短歌としては石川 啄木・斉藤茂吉らを挙げるのですが、特に啄木の解釈に関しては岩城之徳 先生に私淑(直接の弟子ではないが、ひそかに尊敬する人を先生として 慕い、愛読し、学ぶこと)してます。
その岩城先生の著書「啄木歌集全歌評釈」の中で、ある一首の解釈に関 して疑問に思うことがあったので、先日岩城先生に質問状をお送りしたと ころ、お返事があった。
自分の浅学非才に気付かされる瞬間というのは、それこそ毎日のように ありますが、今回ほど自分の厚顔無恥ぶりを思い知らされたことはない。 ご返事は岩城先生本人からではなく、夫人の節子様からであった。そのご 芳書を拝読して初めて、一昨年八月初旬、闘病生活の末、岩城先生が既に 帰らぬ人となっていたことを知った・・・・・。すなわち、無知蒙昧にも 故人に対して、質問状を送りつけてしまったのだった。視界は虚ろにかす み、しばらくは動けなかった。気をとり直して「赤旗」で確認したところ、 一九九五年八月四日付の紙面に確かにその記事はあった。
「岩城之徳氏(いわき・ゆきのり=日大名誉教授、国際啄木学会長)三日 午前一時十分心不全のため・・・・死去、七一歳。・・・・歌人の石川 啄木研究の第一人者・・・・」
如何(いかん)とも形容しがたい非礼千万な手紙に対して、しかし節子 様からのご返事はあまりに優しかった。その全ては紹介できないが、こち らの立場も考慮しつつ事情を述べる非常に丁寧なお手紙で、本当に強く心 を打たれた。
「・・・このような次第につき、お役に立つことができませんこと、ま ことに残念に存じます。
どうぞ御地におかれまして、くれぐれも健康に留意くださり、その大い なる目的に向かって邁進されますように、そして、ご立派な学問成果とな りますようにお祈りし、ご期待申し上げます。かしこ」
もうこの世にはいないご夫君様に質問状を送り付けた無礼な男に対して、 これ以上に暖かいお言葉があろうか。
岩城先生は言われた。「私の新著が新しい時代の読者と啄木を結ぶ掛け 橋となることを希(ねが)い、まさにしかあれと祈る」と。天国の先生に 何とかしてお伝えしたい、ここに一人、先生のお掛けになった御橋を今ま さに渡らんとする者が居ります、と。
その歌が愛され続ける限り啄木が生き続けるのと同様、その著作が読み 継がれる限り、岩城先生は生きているのだから。
原田昌幸
@編集人です。
事務連絡を少しばかり。
来る1月30日(木)午後6時半より日系人会(15 West 44th Street, 11th Floor, bet. 5 & 6Ave.) にて「Nuts井戸端会議」を開きます。ネタ は1月中にNutsに掲載されたテーマなら何でもアリ。どなたでも参加でき ます。詳細は編集部(212-982-3348)までご連絡ください。
次は、インタビュー・ボランティアの話。
いや〜、来ましたねえ、ボランティアが。先週、十数名の方からご連絡 頂きました。まことにありがたいことであります。
ただ、まだ目標の百名には到達しておりません。というわけで、引き続 きインタビュー・ボランティアは募集しておりますので「私がやってあげ る。」という方は、よろしくお願いします。
最後は、Nutsのホームページの話。
去年の終わり頃、Nutsのホームページを改造いたしました。これまで のバックナンバーをネタごとに分けたのであります。
なかなかおもしろいですよ。
お暇な時にでもご覧ください。
今週はこんなもんです。
では、また来週。 編集人
@「踊りの問題」というものがある。
先日、うちのかみさんと一緒にダンスの個人レッスンというのを受けた。 これはかみさんの友達が結婚祝いにくれたプレゼントで、希望のダンスの4 回の個人レッスンと1回のクラスレッスンを受けることができる。
一口に「ダンス」と言ってもいろいろある。ワルツとかルンバとかメレ ンゲとかサルサとか、より取りみどりである。
で、その中からわしら夫婦が選んだのは、「メレンゲ」、「サルサ」、 そして、「マンボ」であった。これらはすべて「ラテン系」の踊りである。 ちなみに、「メレンゲ」はドミニカ共和国、「サルサ」はプエルトリコ、 「マンボ」はキューバのご出身。
わしらがこれら3種類のラテン系ダンスを選んだのは、私が「これが いい、これがいい。」とダダをこねたからだった。かみさんの方は、他の ダンスにも挑戦したそうだったが、私が非常に強く「これがいい、これが いい。」と主張したために、こういう選択になったのである。
では、なぜ私は「これがいい、これがいい。」とダダをこねたのか。
ここからが本題である。
ラテン系の彼氏、彼女を持つと、急激に「踊る機会」というものが増え る(私の元の彼女、つまり、現在のかみさんはラテン系である)。
彼らは踊る。それも単に一人でクネクネ踊るのではなく、パートナーを 伴なって、それぞれのお国の踊りやその他のラテン系の踊りなどをタンタン 踊るのである。
宴会で踊る。結婚式で踊る。クリスマス・パーティで踊る。とりあえず、 踊るのである。
そういう「踊る機会」に遭遇した場合、たとえ自分がその踊りを知らな くても、通常、ダンスフロアーに引きずり出されて、踊らされる。特に、 日本人のように、到底ラテン系とは思えない顔をしてると、周りの人間た ちはおもしろがって引きずり出すのである。
日本人女性の場合はまだいい。あちらの踊りというのは、基本的には 男性がリードするものであるからして、あまり踊れない日本人女性をラテ ン系男性がやさしくリードする風景というのも、それなりに美しいもので ある。
しかし、である。これが日本人男性の場合は、無残である。
リードすべき男性が、リードできんわ、腰は動かんわ、リズム感はない わ、相手の足は踏むわ、では、お話しにならないのである。
これが自分の彼女とだけ踊るのだったらまだ生き延びられるのだが、 友達とか家族で踊ると、必ずと言っていいほど「パートナー交換」という 事態が発生する。要するに、回されてしまうのである。
ただでさえ、女性と物理的に接近して踊るということに慣れてない日本 男児にとって、自分の彼女以外の女性と肌寄せ合って踊り、そして、リード するというのは、ほとんど拷問に近い行為である。しかし、この日本男児 の悲しい気持ちというのは、ラテン系軍団には、ちっとも分からんのであ る。彼らはタンタン踊りながら、一緒に私もタンタン回してしまうのであ る。
そんな痛々しい経験を通して、私はひとつの思いを強くしたのである。
「いつの日か、腰がクネクネ動いて、女性をグイグイリードできる人間 にならんといかん。」
そのために私はダンスレッスンで「これがいい、これがいい。」とダダ をこねたのである。
ところが、である。踊れないことで得をすることもあるのだ。
私がかみさんと付き合い始める前に、かみさんにアプローチするために 使った方法の中に、「ラテン系の踊り、教えてくれない?」というものが あった。精神的にお近づきになる前に、物理的に急接近してしまおうとい う作戦なのであった。
この「ラテン系の踊り、教えてくれない?」作戦というのは、踊れない からこそできる作戦である。同じラテン系の男性が「ラテン系の踊り、教え てくれない?」などと言っても、「このスケベ野郎が。」と警戒されるだけ である。
というわけで、私はこの作戦を実行し、見事に精神的にも急接近したの である(それを今、後悔してるかどうかは別問題である)。
ただ、その時、気をつけなけねばならないこともある。あまりにも腰の 動かない相手にプッツン来たラテン系の彼女が、「まったく、アジア人っ ていうのは、ろくに腰も回せないんだから。」などとのたまうかもしれな い。そんな時、こっちもプッツン来て、「そんなこと言うんだったら、お めえらなんか、アタマ回んねえじゃねえか。」などと言ってしまった日に は、大民族戦争が始まってしまうのである。とりあえず、目的を達成する までは、我慢、我慢なのである。
結局、私は、踊れないせいで、ラテン系の彼女ができて、踊れないせい で、ラテン系家族の中で苦しんでいる。
水戸黄門の挿入歌の中にこういう歌詞があった。
「じ〜んせい、楽ありゃ苦〜もあるさ〜・・・。」
まさにその通りなのである。
ひろ
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『今週の歌』
「ネエネエと 聞く君今日は 面倒で
片尻上げて 放屁で答える ひろ」
下のアドレスを押すとメイルが送れまっせ
投書、意見、感想もどうぞHiroyuki Takenaga ---hiro@interport.net