1997年2月4日号(No.152)
Nutsの表紙です
目次
*『VOICE』
・投書「”ごねとく人間”と”お人好し”」
・投書「ある日本の現代舞踊について」
・編集後記
・ひとりごと「時給とチップの問題」
*『今週の歌』
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『VOICE』
@「”ごねとく人間”と”お人好し”」
私は長年勤めた会社で次のことを学んだ。
ごねとく(ごね得)の人間は、ごねたり、騒いだり、泣いたりして利己
的要求を通してしまう人のことを言う。
「ごねとく人間」は、子供だけでなく大人にもいる。「ごねとく人間」
によって真面目でおとなしい人間が犠牲になっている。小さい頃から「皆
と仲良くしなさい」などと何事も協調性を持って行動するよう教えられて
育ってきた。その為おとなしい人間は、うまくその場がおさまるなら一歩
譲ってしまおうと考えるのである。そうすることが協調性であり、自分の
わがままを抑さえ(日本の美徳である)忍耐強くならなければと思うので
ある。
しかしそれは、おとなしい人間にとって、皮肉にも自分を束縛している
ものだと気づいていないため、「ごねとく人間」のわがままに心底ひどく
傷つき、怒りに燃えるが、それをじっと我慢し続け、精神的に深い痛手を
負ってしまうのである。
親や上司のような上に立つ者の中にもおとなしい人間を犠牲にしている
人間が多い。それは、上に立つ者がその場をおさめる為に一番容易なやり
方は「ごねとく人間」の利己的要求(わがまま)を通してしまうことであ
る。あの人はうるさいからと言って、その人のわがままを通してしまうこ
とはないか? 上に立つ者やごねとく人間は、おとなしい人間がどれだけ
傷つき、怒りに耐え、じっと我慢し続けているか決してわからないし、わ
かろうともしない。彼らにとって真面目でおとなしい人間は、「協調性の
ある人間」でも「忍耐強い立派な人間」でもない、ただの都合のよい人間
なのである。そしてその集団の平和は、「おとなしい人間」の犠牲によっ
て保たれているのである。
真面目でおとなしい人間を搾取し、犠牲(いけにえ)にし、自分の思い
通りにし、やりたい放題で生きいてる人間と、波風をたたせぬよう、目を
つぶって「ごねとく人間」のわがままを通してしまう人間がとても多い世
の中である。
あなたの職場、友達関係、近所にそういう人はいませんか?
安藤佳子
@去年の暮れに日本協会で行なわれた「日本の現代舞踊」という舞台を観
に行きました。H. Art Chaosという舞踊団が「Mask.....and Confession」
なる題目の作品をやると知って気になったからです。
これはおそらく「Confession of A Mask」、つまり「仮面の告白」の
もじりだろうと思って会場にあったちらしで確認したところ、やはりそう
でした。「influenced by the work of Japanese novelist Yukio
Mishima (日本の作家・三島由紀夫の作品に影響を受けた)」とありま
す。
さて、「仮面の告白」とは、「自分が撃たれて死んでいくといふ状態に
えもいはれぬ快さ」を覚えるといった描写に代表される、「私」の性癖を
かなり精緻な文体で「告白」した、三島の半自伝的小説です。そのような
告白小説にはたしてどのように「影響」されたのだろうかと興味を持って
観たところ、五人の舞踊手の技術はかなりのもので(特に主役の女性の実
力は特筆に値する)、音楽の荘厳さも手伝ってそれなりに重々しい「芸術
的な」雰囲気を醸し出してはいましたが、三島の作品との関連については、
単に題名を「ちょっと拝借」しただけのようでした。
ようするに三島というトラの威をかるキツネとしての作品だったわけで
す。舞踊手たちの実力を思えば、そんな必要なかったのに、という気もし
ますが、作品にハクをつけるための振付家の判断だったのでしょう。しか
し、それならどうして政治的思想に問題のある行動家であった三島でなけ
ればいけなかったのでしょうか。同じ「ハクつけ」ならばドフトエフスキー
なんか最高だろうし、「自殺した日本の天才小説家」がほしかったのなら
芥川竜之介がまさにふさわしいのではないか。
どうも芸術家(と「自称」芸術家)の皆さんの間で三島はかなり重宝が
られているらしい。舞踊の世界に限っても、例えばウィリアム=フォーサ
イスが「失われた委曲( The Loss of Small Detail )」という作品の
中で、三島の「豊じょうの海(編注:”じょう”の字が私のコンピューター
にはありませんでした。編集人)」の一節を引用して朗読させるとか、ま
た例えばモーリス=ベジャールがまさに三島の生涯を表現した「M」とい
う作品を東京バレエ団に振付ける、とかいった具合に、三島は「なんだか
知らないけどとにかくすごい人」であったかのように取り扱われている。
そうであれば、H. Art Chaos の振付家がニューヨーク公演に際して、
「ここはひとつ三島さんにあやかって”世界の振付家”に仲間入りさせて
もらうか」などと考えても、なるほどそれは無理からぬことなのかもしれ
ません。それよりも、そのような題目の作品を無批判に受けいれる(いや、
むしろいっしょになってありがたがる)日本人一般の意識にこそ病根はあ
ると見るべきなのでしょう。
原田昌幸
@編集人です。
さて、1月29日(水)に日系人会で行なわれた「新移民法」に関する
レクチャーについての報告です。
このレクチャーは、日系人会主催、ジェームズ・ノーラン法律事務所
共催で行なわれました。レクチャーのテーマは、現在、アメリカに住む日
本人を震撼させている「新移民法」。ポイントは、今の現行法に比べてど
れくらい厳しくなるかということでした。
いやいや、会場はいっぱいでした。参加者数は、約60人だったそうで
す。みんな真剣な面持ちでした。そりゃそうですな。下手すりゃ日本に帰
らなくっちゃいけないんですから。
ノーラン法律事務所による説明の後、質疑応答が行なわれたのですが、
やっぱりいろんなケースがあるもんですな。ノーラン法律事務所の人たち
も一生懸命質問に答えてました。
このレクチャーに出席して驚いたのは、「多くの人たちが新移民法に関
して、すんげえ心配してるんだな。」という点と、「世の中には、一生懸
命やってくれる弁護士が存在するもんなんだな。」という点の2つでした。
もっともっといろんなところで、こういう「新移民法」に関するレク
チャーが開かれてもいいなあ、と思うのであります。そのニーズが、ニュー
ヨークの日本人社会には、充満しております。
話を聞けば、自分の問題が解決するというわけではありませんが、少な
くとも自分の状況と、もしこれからもアメリカに住むつもりなら、そのた
めの対処法をはっきりさせることができるのであります。
「新移民法」は、必ずやって来ます。そのための準備は、やっとくべき
です。
また、私は、今回のノーラン法律事務所の皆さんを見て、感心してしま
いました。これまで、弁護士っちゅうのは、悪人が多いと思っていたので
すが、いやいやそんなことはありません。世の中には、いい弁護士さんも
ちゃんと存在するのであります。すごく好意的に質問に答えていたノーラン
法律事務所の皆さんを見て、「世の中、まだまだ捨てたもんじゃないわ
ね。」と思ってしまった私でした。
以上です。
では、また来週。 編集人
@「時給とチップの問題」なのである。
ニューヨークの日本食レストランでは、そこで働くウエイター・ウエイ
トレスに、通常、「時給とチップ」で賃金を支払っている。
時給とは言っても、普通、ハナクソほどしかない。1時間2ドルちょっ
とぐらいだろうか。最近、少しばかし上がったという噂を耳にしたが、ま
あ、目クソが付いたぐらいだろう。よって、彼らの賃金のほとんどは、チッ
プから支払われているわけである。
ニューヨークの日本食レストランでの一般的なチップの分け方というの
は、その日のランチ、あるいは、ディナーでお客さんが残していったチッ
プを全部まとめて、それを勤続年数、経験、能力などに合わせて各ウエイ
ター・ウエイトレスに分配する、という方法である。通常、100%とか80%
という具合に、それぞれがその勤続年数、経験、能力に基づく数字を持って
おり、チップも、「100%の人は100ドル、80%の人は80ドル」みたいな
感じで分けられるのである。
ここで、今回の本題に入る。
ちまたには、「レストランのウエイター・ウエイトレスの給料は、すべ
て時給で支払われるべきである。」という意見が存在する。要するに、現
在の「今日のチップは、全部で幾らだったから、これをウエイター・ウエ
イトレスのアタマ数で割ると、これくらいになって、いや〜ん、今日は少
ないわね、明日はがんばんなくっちゃ。」てなシステムを叩き壊してであ
るね、今の低い時給をある程度のレベルまで引き上げて、完全なる「ヤッ
ホー、今日は給料日だよ〜ん。時給が幾らだから、今回はこれくらいだな。
よしよし。今日はいっちょ、焼肉にでも行って、ついでにカラオケなんか
やっちゃいましょうかねえ。」システムを導入しようではないかというこ
となのである。
この「チップがいい? それとも時給?」議論が出てくるのには、それ
なりの理由がある。紹介しよう。
「チップって、毎日、現金で支払われちゃうのよね。そしたら、どうし
ても強気な夜の展開になっちゃって、飲みに行くわ、カラオケ行くわ、そ
して、昼間でも現金ガンガン使っちゃうから、お金があっという間になく
なっちゃうのよ。だから、時給にしてもらって、1週間とか2週間分まと
めてもらっちゃった方が、結局、お金は貯まるのよね。」
「時給にすると、あんまりおもしろくはねえわな。サービスすればする
ほど、もらえる金額が高くなるっちゅうわけでもないし、なんかサービス
しようっていう気持ちがなくなるような気がすんな。ヤリガイってやつが
ないのよ。」
「チップっていうのは、当たりハズレがあるからのう。忙しい時はいい
けど、ヒマな時は、アンタ、最低よ。何が嬉しくてこんな商売してんだか、
なんて思うもんね。それよりは、いつも安心して働ける時給の方が、ずーっ
といいよな。」
「時給って、なんかコントロールされてるみたいでいやだね。時給にな
ると、サービスっていうのが、すごく機械的になるような気がして怖いな。
だって、日本がそうじゃん。日本のウエイター・ウエイトレスって、なん
かサイボーグみたいでしょ。あれって、時給のせいじゃないの。」
以上のように、「時給とチップの問題」には、いろいろな要素が存在す
るのであるが、今回は、その中の2つに焦点を当てて、話を展開したいと
思う。その2つとは、「なめらかなる人間関係形成のため」、そして、
「サービスの質の向上のため」である。
ニューヨークの日本食レストランで働いてる、あるいは、働いたことの
ある人たちから、こんな話をよく聞く。
「チップ制の問題っていうのは、”だれが、どういう基準で、そのウエ
イター・ウエイトレスのチップが分配される%(パーセンテージ)を決め
るか”っていうことなのよね。だって、もしそれをマネージャーが決める
としたら、やっぱりマネージャーに気に入られてるウエイター・ウエイト
レスの方が、%上がるのが早いわけだし、そしたら、当然、それを快(ここ
ろよ)く思わない人なんかもいたりて、”私の方が仕事できるのに、なん
でサチコさんの方が、%高いの? サチコさん、マネージャーとできてる
んじゃない? きっとそうよ。”なんて考え方する人も出現したりするか
ら、お店の中で”無視無視攻撃”とか”あんたのテーブルは手伝わない攻
撃”などの暗くて陰湿なイヤがらせ戦争が勃発する可能性もあるわけだし、
そんなことだったら、最初からキッパリ時給の方が良いと思うのよね。」
要するに「嫉妬の問題」なのである。
これは、ニューヨークの日本食レストランにおいては、かなりビッグな
テーマで、いろんなところでこれと似たような話を聞く。ただ、この「
嫉妬の問題」は、多かれ少なかれ、どこの世界にもあることで、また、
ニューヨークの日本食レストランのすべてが、この問題を抱えているとい
うわけではない。
2つ目の「サービス」についてであるが、その話を突き詰めると、結局、
「資本主義か、共産主義か」などというところまで、議論が突っ走ってし
まうのである。
つまりこういうことだ。
「チップって、そのサービスが良ければ上がるし、悪ければ下がるわけ
じゃん。だから、ウエイター・ウエイトレスは、チップいっぱいもらおうっ
て、一生懸命がんばるわけでしょ。それが、時給になったら、チップいっ
ぱいもらおうっていう気もなくなっちゃうし、とりあえず、働いてりゃお
金もらえるんだし、それって、共産主義と同じじゃないの? やっぱ、資
本主義的なチップの方がいいと思うなあ。」
「時給にすると、サービスの質が落ちる」という意見である。
ただ、一方でこういう意見もある。
「その店のサービスっていうのは、店全体の雰囲気に左右される場合が
結構あって、そこのウエイター・ウエイトレス同士の人間関係がドゲドゲ
しい場合は、やっぱりサービスもイマイチよね。あんまり見てて気持ちの
いいもんでもないしね。ということは、ウエイター・ウエイトレスの間の
人間関係がうまく行くためにも、”時給制”を持ち込んでですね、”嫉妬の
問題”が勃発しないようにした方が、結局は、サービスの向上に繋がるん
でないの。それに、今のウエイター・ウエイトレスって、チップ置くのが
当然だって顔してるでしょ。だから、チップでサービスの質を上げるって
いうのも、ちと無理があるような気がするんだけど。」
なかなか難しい問題なのである。
ちなみに、私は「チップ制」支持者である。そのココロは、「ウエイ
ター・ウエイトレスの目標は、いいサービスをして、お客さんに喜んで
もらうことである。そのためには、”いいサービスをしたい”という感情
が生まれなければならない。そういう感情を生み出すのに、一番簡単な方
法が”チップ”なのである。だから私は”チップ”派よ。」ということな
のである。
確かに、時給の方がいろんな面で楽なのかもしれない。でも、「時給」
と聞くと、日本のマクドナルドのカウンターに立つ、洗脳されたオウム信
者のような目をした店員が、まさに鳥のオウムのように「いらっしゃいま
せ。」と乾いた挨拶をしてる風景を思い出して、それに対して、「ぜんぜ
ん”いらっしゃいませ”じゃないやないか。」と突っ込みを入れたくなる
自分がいて、「わしゃ、死んでも、ああはなりたくないのう。」と思う私
としては、やはり、チップ制にこだわりたいのである。
乾いた「いらっしゃいませ。」より、湿った「いらっしゃいませ。」を
私は好む。
皆さんは、どのようにお考えだろか。
ひろ
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『今週の歌』
「”こんなもの 結婚なんて 呼べないわ。”
というセリフが 板につく頃 ひろ
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