1997年2月25日号(No.155)
Nutsの表紙です
目次
*『VOICE』
・投書「オザケンの楽しみ方」
・投書「子供を英語で育てることについて」
・投書「知識人は真っ先に現場から逃げる」
・編集後記
・ひとりごと「日本人いやいや病の問題」
*『今週の歌』
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『VOICE』
@ひろさんへ
突然のメールにて失礼します。東京のぐーたらな大学生の福島と申し
ます。Nuts をいつも愛読させていただいております。
さて、オザケン問題を読んでメールを書こうと思い立ったしだいです。
私はレンタルCD店でバイトしているので、オザケンファンでないの
に、やたらとオザケンをきく環境にいるわけです。そこで、私流オザケ
ンの楽しみかたを伝授いたしましょう。
『オザケン出演のテレビの楽しみ方』
オザケンは非常にアドリブが好きなのです。曲のアレンジが恐ろしい
ほど変わる。オーケストラ主体の曲がジャズっぽくなったりするわけで
す。出演するたびに何か企んでいると思われますので、そういう予測不
可能性を楽しむのはいかがでしょう。
また歌詞もけっこう気分で変えたりするので笑えます。たとえば、某
国営放送出演のときには、「プラダの靴がほしいの」で始まる曲を、商
標名に配慮してか、わざと歌わずに、ワーとさけんでおりました。
また彼の性格からか、ギターの和音の押さえ方もあまり一般的な押さ
え方はせずに、ちょっとジャズ的なマニアックな押さえ方をしてたりす
るので、ギターずきにはたまりません。
『オザケンの歌詞にみる女心』
オザケンの歌詞がよい、という評価をうけるのは(そういえば、タモ
リも評価してた)共感させるものがあるわけです。先ほども引用した「
プラダの靴がほしいの そんな君の願いをかなえるため」という歌詞に
みられるように、今の日本の女性の心をたくみに捉えてるわけです。
たぶん「子猫ちゃん」は捉えてないと思いますが・・・。
オザケンの歌詞には女ごころが隠されているわけです。
『オザケンを越えろ、カラオケ対策』
オザケンは歌があまりうまくない、いや下手。そうなるとカラオケで
歌ってもそんなに気負わずに歌えるのです。なにせ本人が・・・。とに
かく歌が下手な人も安心して歌えるのがオザケンなのです。
以上が僕のオザケンの楽しみかたです。よかったら参考にしてくださ
い。
それでは。
福島 聡志
@先日、2才の女の子を持つ友人から、とんでもない話を聞いた。
両親とも日本人なのに、子供を英語で育てている夫婦が結構いるの
だそうだ。「何で〜?!」と思わず絶叫してしまった。「学校へ入学し
て他の子供についていけなかったら可哀想だから」だとか。英語の上達
のために、家庭では殆ど英語だけを使用するという。信じられない。
アメリカ人の配偶者を持つ友人達は、子供に日本語を覚えさせようと
日々悪戦苦闘している。特に、日本人学校の無い地域に住む友人の努力
は涙ぐましい。私も日本語の本やビデオを送って応援している。それで
も、学校に入ると英語が先行してしまい、「私が叱っても、英語で口答
えして、全くきかないのよ」と英語が得意でない彼女は悔しそうに言う。
私には子供はいないが、自分の子供は日本語で育てたい。私の下手な
英語では、子供が大きくなったらコミュニケーションをとる自信がない
し、叱る時は、日本語で目一杯怒鳴らなければ感情がこもらない。小学
校の最初で少しくらい躓(つまず)いたって、それほど気にする必要が
ないと思っている。
日本人の家庭での英語の導入には弊害があることを、日本語幼稚園の
保母さんから聞いたことがある。子供は、3〜4才くらいまで1つの言
語で限定して育てた方が、情緒が安定するのだそうだ。国際結婚の場合
は、一緒に過ごす時間の多い方の親の言語がいいという。違う言語が存
在することは、小さな子供でも、パパの言葉、ママの言葉として区別が
つくらしい。しかし、両親が自分の知らない言語で話し合っていると、
疎外感を覚えたり、言葉に遅れが出たりするのだそうだ。そして、安易
に英語と日本語をチャンポンにして育てると、子供の言語発達上で重大
な混乱を招く危険性があるという。
昔ベビーシッターをしていた日本人家庭で聞いた話を思い出す。その
家では英語は禁止だった。というのも、そこの奥さんの姉夫婦が永住す
るつもりで英語で子供を育てていて、突然日本へ帰国することになって
しまった経験があるからだった。帰国先はアメリカン・スクールなど無
い田舎で、7才になっていた子供は地元の小学校へ通わなければならず、
混乱して自閉症になってしまったという。一見してハーフと分かる姿な
らともかく(それはそれで別の問題はあるのだが)、どこから見ても日
本人の子供が日本語を話せないとなると、地元の人の態度は冷たかった
らしい。イジメにもしっかりあい、子供はボロボロになってしまったよ
うだ。
私の知人は5才の子供を残して突然死してしまった。アメリカ人の父
親は仕事柄、育てたくても育てられない状況だったので、子供は日本の
姉夫婦が引き取った。子供は全く日本語がしゃべれず、日本を見たこと
もなかった。あの子が今、日本でどんな風に暮らしているかと思うと胸
が痛む。
英語を使う方がかっこいいとか、学校で遅れたら困るとかを考える前
に、子供の将来を本当に見据えて日本語で育てて欲しいと思う。人生は
どう変わるか分からないのだから。
Meg
@「知識人は真っ先に現場から逃げる」
北朝鮮で書記の肩書きをもつエリート知識人が韓国政府に亡命を申し
出た。もう、北朝鮮の崩壊は秒読み段階に入ったようだ。北朝鮮から難
民が日本海をわたって日本列島に押し寄せる日は近いのだろう。
日本政府は難民を原則として受け入れない。だから追い出す。追い出さ
れた難民たちが、ニューヨークに来る日は近いとも考えられる。そうなれ
ば、ごりごりの共産主義者が、究極の資本主義の街に大勢現れる。どんな
ことがおきるのだろうか。
東西冷戦構造の崩壊後、ロシア系と東欧系の移民がニューヨークに急増
したが、その正体は冷徹な共産主義信者ではなく、ただの人間だった。北
朝鮮の難民は、日本と、ニューヨークのどちらで、ただの人間として扱わ
れるのだろうか。
はっきりしているのは、日本でもニューヨークでも彼らは、ゼロから出
発するしかない、ということだ。先の知識人は、警備陣にかこまれた安全
な一室で、うまい飯を食い、アメリカの知的な女性ジャーナリストとお
しゃれな会話など楽しみながら、第二の人生を始めるに違いない。知識
人とは民衆に奉仕する、そんな時代遅れの思想では生きていられない。
成功の秘訣とは、「先に逃げたもの勝ち」ということなのか?
いや、そうではあるまい。「サバイバルするには手段を選ばない。結果
がすべてだ。きれいごとでは飯はくえない」。この資本主義の根本思想を
北朝鮮という情報の鎖国国家で独学した、亡命知識人の卓見に、アメリカ
のテレビの視聴者参加型バラエテイ番組風に、「ワンダフル!!」といい
ながら拍手するのが正しいのだろう。
石井政之
@編集人です。
さて、再び「井戸端会議」のお知らせです。
2月27日(木)午後6時半より日系人会(15 West 44th St. 11th
Fl. bet. 5 & 6 Ave.)にて行ないます。参加ご希望の方は、編集部(212-
982-3348)までご連絡ください。
先日、「Crunch」というスポーツジムに行きました。行った理由は、
そこで「ムエタイ(タイ式キックボクシング)」のクラスがあると聞いた
からです。
「フッフッフ。いっちょ、もんだろか。」とほとんどナメナメ状態での
ぞんだところ、こっちが完全にもまれてしまいました。次の日は、筋肉
痛で、まるでジャイアント・ロボのような歩き方をしてました。
しばらくは、リハビリに努めます、ハイ。
そんなところです。
では、また来週。
編集人
@さて、「日本人いやいや病の問題」である。
日本人というのは、海外に出ると、よく「日本人いやいや病」という
ものにかかるのである。要するに、「日本人とは会いたくない話したくな
い」症候群のことである。
日本にいる方にはよく分からないかもしれないが、かなり多くの海外在
住日本人が、この病気を経験している。特に、海外に出たての頃、この病
気にかかるのである。
その症状は、いろいろである。日本人を見ると隠れたり、見ただけで
怒りを覚えたり、相手が日本人だと分かっていてもかたくなに英語で突き
通したり、日本語で話し掛けられたら、「私、日本人とはしゃべらない
ようにしてるんです。」と言い切ってしまったり、などである。
また、その原因にもいろいろな説がある。たとえば、「せっかく日本を
出たんだから、日本語なんかしゃべってられな〜い。だから日本人には近
づかな〜い。」、「ある作家が、”日本人は海外に出ると群れをなす”と
か書いてたよなあ。やだやだ。でも、私は違うのよ。」、「日本を出たっ
てことは、私はもう日本人ではないのである。私は、すでに”こちら側”
に属する人間となってしまったのだ。だから日本人には興味がない。」、
「日本人にはどうしても気を使ってしまいます。私、それに疲れまし
た。」、「私は、日本が嫌いで日本を出ました。日本のすべてが嫌いです。
ですから、私に日本語を話しかけないでください。」、「日本人に対して
素直になれない私がいます。でも、他の国の人たちに対しては素直になれ
るのです。別の言葉でしゃべると別の自分になれるような気がして、すご
く心が楽になるんです。」、「日本人の姿を見ると、”なんであんなに醜
いんだろ”って思うんだ。その日本人に自分も属してるって考えるだけで
腹が立つ。オレもああなのかよ、まったく。」などが考えられるのである。
実を言うと、私も一時期この病気にかかっていたことがある。あれは、
ニューヨークに来たての頃だった。約2ヵ月ほどの間、私は極力日本人を
避け、日本語を話さないようにした。でもその後、その病気は、知らない
間に私の心から消え失せていた。
これは私の個人的な見解だが、ほとんどの「日本人いやいや病」経験者
がかかるのは、私のような「短期型日本人いやいや病」である。また、短
期型にかかる人のほとんどは、「せっかく日本を出たんだから、日本語な
んかしゃべってられな〜い。だから日本人には近づかな〜い。」や「ある
作家が、”日本人は海外に出ると群れをなす”とか書いてたよなあ。やだ
やだ。でも、私は違うのよ。」程度の比較的軽い理由によって、この病気
にかかるのである。
ところが、海外に住む日本人の中には、「長期型日本人いやいや病」に
かかる人たちも確実にいるのである。
ここで、「長期型日本人いやいや病」に関する2つの例を紹介しよう。
Aさんは、10数年前にニューヨークにやって来た。ダンナさんはアメ
リカ人である。現在、米国系企業で働いている。
私が、このAさんと初めて会った時、彼女はこんなことを言っていた。
「こちらに来て以来、今までずーと日本人を避け続けてきました。日本
語もしゃべりませんでした。でも、最近やっと日本人と話せるようになっ
たんです。やっと話したいと思うようになったんです。」
私にそう言った時の彼女の目は、まだ少しだけおびえていた。
Bさんは、今から30年以上も前にアメリカに来た。すでにリタイヤし、
老後と呼ばれる人生の終盤戦を、パートナーもなく、ひとりで歩いていた。
そして、彼女は、自分がある病気に侵されていることを知るのである。
彼女は、「エイズ」に感染していた。
入院した彼女の面倒を見る人は、誰もいなかった。そこで病院側は、日
本人の介護ボランティアを彼女につけようとした。しかし、最終的に彼女
の面倒を見たのは、非日本人の介護ボランティアだった。
なぜなら、彼女自身が、その日本人介護ボランティアの申し出を断わっ
たからだった。
そして、彼女は、死を迎えたのである。
彼女がなぜ日本人介護ボランティアを拒否したのかは、誰にも分からな
い。もしかしたら、ただ単に英語の方がしゃべりやすかっただけなのかも
しれない。しかし、生前、彼女は、日本人だけでなく、日本語をしゃべる
ことさえも拒否していたという話だった。
Aさんは10数年間、日本人を拒否し続けた。そして、Bさんは死の間
際において、日本人を拒否した。
私はここで、日本人を拒否することが正しいとか間違ってるなどという
話をするつもりはない。私が知りたいのは、ただ単に、「彼女たちに日本
人を拒否させたものは何か」、「そのエネルギーの源泉は何か」というこ
とである。
また、この「日本人」という括(くく)り方に抵抗のある人もいるかも
しれない。なぜなら、この「日本人いやいや病」と似たようなものが、東
京などの大都市にいる地方出身者にも見られるという意見もあるからで
ある。
例えば、熊本県人を避ける熊本県人の「熊本県人いやいや病」や沖縄
県人を嫌う沖縄県人の「沖縄県人いやいや病」などである。実際、私も
そういう人々に会ったことがある。
もうひとつ付け加えると、もしかしたら中国人による「中国人いやいや
病」やウクライナ人による「ウクライナ人いやいや病」なども存在するか
もしれない。
そうなると、これは単に「日本人」の問題ではなく、「人間集団」の
問題となる。
ただ、ここでは、それも頭に入れながら、あくまでも「日本人いやいや
病」にこだわりたい。
私のように「短期型日本人いやいや病」にかかった日本人は、自分にそ
ういう時期があったことを忘れがちである。だから、それがなぜ起こった
かをあらためて考えようとはしない。
でも一方で、「日本人いやいや病」を10年以上その心に飼っている日
本人もいる。彼らにそこまでのエネルギーを与えるものは、一体何なのか。
この「日本人いやいや病の問題」、少しNuts紙上で転がしてみたい。
ひろ
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『今週の歌』
「どちらかが 洗うと信じる 皿たちが
眠り続ける 土曜のシンク ひろ」