Nutsの表紙です
目次
*『VOICE』 ・投書「松田聖子の話」 ・投書「日本人いやいや病について」 ・編集後記 ・ひとりごと「Nuts本作りの問題」
*『今週の歌』
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『VOICE』
@Nuts編集人様
オザケンの話題でずいぶん盛り上がりましたが、ちょっと松田聖子の話 も聞いてください。
私生活の面ばかり取り上げられる彼女ですが、本日お便りしたのは彼女 のシングル”グッド・フォー・ユー”が3月1日付けのビルボードのダン スミュージックのトップ50に五週連続でランクインしているのを見つけ たからです。それから先週は私のアメリカ人の友達がフロリダのお母さん を訪ねていた時にカーラジオで彼女の歌がかかっていたのでびっくりした と教えてくれました。
日本ではデーヴ・スペクターやビルボード誌の東京支局長を引き合いに、 聖子は絶対アメリカでは売れません、もっと上手な歌手が日本にはいます、 とやかましいですが、メジャーなレコード会社から世界発売や地道ながら もプロモーション活動をしてもらい、じわじわとクラブやラジオから浸透 しているのは大健闘と言ってもいいのではないでしょうか。これで売れて ないというのなら、他のアメリカを目指している日本人アーティスト達は どうやって評価してあげればいいのでしょうか。
3月1日付けのビルボード誌にはたまたまアジアのミュージックシーン 特集コーナーがあり、ドリカムが台湾でゴールドディスク獲得、チャゲア スは香港やシンガポールで200万枚のセールス、ミスチルは苦戦、他に はTRFが頑張っている、、、というような事が書いてありました。日本の ポピュラーミュージックはアメリカでこそ惨敗したが(絶対起こりえない と決め付けている)、アジアでは広く受け入れられる可能性があるそうで す。
未来永劫日本人の作るポップスはアメリカでは受け入れられないので しょうか。それともやはりこれはある種の人種差別(例えばインド人が 演歌を歌ったら変よね、的なもの)なのでしょうか。
サウンドや洗練度では日本のヒット曲はもはやアメリカに負けていない と私は思うのですが、竹永さんはどう思われますか。アメリカのラジオや MTVでこちらのヒット曲に混じってトシ・クボタやドリカム、聖子の曲が 流れるような時代が来て欲しいなあと思いますが無理でしょうか。アメリ カの業界に詳しい方、ぜひアドバイスをお願いします。
匿名希望の聖子ファンより
@「”日本人いやいや病”に関する一考察」
正直に言うと、この私も来米したての頃は立派な「日いや病」患者だっ た。今でも時々発症することがある。私にはほとんど記憶がないのだけれ ども、当時を知る今の彼女(日本人)によると、ニューヨークに来て間も ない頃の5年前、街で彼女に出くわした私はあろうことか、真面目な顔で 「ハーイ」と声をかけたそうだ。まったく赤面もの。
だからNutsが取り上げる前から、この問題に関しては自分なりに時々、 考えていた。
そこでまず、故郷とは何か、という所から攻めてみたい。するとすぐに、 故郷とは別れた恋人であるという考えが浮かんだ。
つまり、単なる友人と別れるのとは違い、愛しさと憎しみの感情が錯雑 し、どの感情が発露されるにしても、増幅されずにはおかない、そんな扱 いにくいけど、逃れられない既成事実が恋人との別れには付き物である。 もちろん別れたと言っても、「顔も見たくない、声も聞きたくない」とい う人もいるかと思えば、逆に、「別れて仲よくなった」「自然な関係に戻っ た」なんてケースもあるだろう。ニューヨークで日本人を避ける連中は、 この「ケンカ別れ派」であり、積極的に日本人とコミュニケートしている 連中は「円満別離派(?)」と言える。実際、「..県人会」「..大学 同窓会」なんてのも結構見かけたりするしね。
いずれにしろ、故郷というのはよかれあしかれ常に気になる存在なのだ。 ただ、「祖国が懐かしい」という感情は、どの民族にも見られる、比較的 ストレートな感情であり、わざわざNuts誌上を借りて発言するほどのこと もない。問題は、(やっとテーマに戻ったが)この「日いや病」の主要原 因であるかと思われる。なぜ彼らはそれほどまでに、日本人や日本語を嫌 うのか?「ケンカ別れ」の原因は?
多民族の事に関してはよくは知らないけど、同じアジア人の中でも例え ば、ニューヨークに住む中国人(主に広東人)、韓国人にはその傾向がな いとはいえないまでも、日本人に比べれば少ないのではないだろうかと想 像する。その証拠にチャイナタウンやリトルソウル(エンパイヤ周辺の)、 さらにクイーンズ地区フラッシングでの、あの溢れるようなエネルギーを 見よ。「中国人いやんいやん」なんてほざいていたら、踏み潰されそうで ある。
ただ、ロサンゼルスのリトル東京のように、昔は在米日本人コミュニ ティーにもあれに似た活気があった。ではなぜなくなったのか?ニューヨー クに将来、ジャパンタウンが出現する日はないのだろうか?なぜ我々はお 互い避け合うのか...?
「日本人は日本を愛さなくなったから」。
これが私の狭隘な知識と体験から導き出された一つの結論である。
ここで言う日本とは主に日本人、日本語、日本文化を指し、日本食は含 めない。前三者に嫌悪感を感じる人はいるが、日本食をそこまで忌み嫌う 人は少ないので。
こんなことを書くとすぐに「愛国心=右翼」という硬直した公式を持ち 出す人がいるかも知れないので敢えて付け加えておくと、別に私はこれま で政治的な活動や運動に参加した経験は皆無で、大学(院)での専攻も生 化学、映画製作と、まるで思想界とは無縁なところで生きてきたし、今も 生きている。いいかげんにヒトの発言を、つばさの右、左に分けて聴く習 慣はもういいかげんに辞めにしてもらいたいものだ。右翼と呼ばれる人の なかに真実を吐く人もいるし、vice versa。とにかく。なぜ多くの日本人 が日本を愛さなくなったかを考えねばならない。
やはり大きいのはしつけ、教育であろう。例えば、学校教育、特に歴史 教育について考えてみる(考えてみれば日本の文化そのものについて教え る課目なんてないね)。思い当たる人も多いと思うけど、日本の歴史の授 業なんてヒドイものだ。古墳時代なんかを妙に丁寧にやって、現代を生き るうえで重要な近代史なんて1時間で駆け抜けてしまう。まったくイビツ。 それを予備校で補うことはできるが、増えるのは年号や用語の暗記知識ば かり。
では親が教えるかと言ったら、これも相当怪しい。まったく、自分自身 を振り返ってみたところで、親からニッポンについて、何か教示を受けた 経験はほとんどない。自分の体験をもって普遍化するわけではないけれど、 周囲の連中(多少の世代差に関係なく)も似たりよったり。いったい何人 の親が、自分の生まれた国について子供と話し合ったことがあるだろう。 賛美するわけでなく、否定するわけでなく、ありのままの日本(あるいは 郷土)を語れる親がどれだけいるのだろう。
その結果できてくるのは、自戒をこめて言うのだけれど、別に日本の歴 史も文化も何も知らない、他国人にそれを説明することもできない、しか し自国の流行やトレンドには敏感で、カラオケでストレスを解消し、今だ に欧米追従を止めない「現代日本人」ということになる。そういう彼らが 異国の地に来て、日本人という以外に共通項のない人間集団に出会い、何 ゆえに嬉しいと思えるのだろう?「愛さないまでも、憎むことはないじゃ ないか」という意見もあるが、そこはそれ、故郷というのは「別れた恋人」 であるからして、クールでいることもできなく、ついついイヤな面ばかり が目についてしまう。でも嫌悪の原因はそれだけだろうか?
ちょっと飛躍するかもしれないけど、岩手にある居酒屋でプロ野球の広 島ファンどうしが偶然知り合った場面を想像してみる。広島出身でなくと も、カープに対する愛情さえ持っていれば、彼らは友情の祝杯を挙げるか もしれない。しかし、これまで日本のことを考えたこともない、つまり「 日本ファン」でもない人間が異郷で出会って、何が生まれるのだろう。何 も生まれないかもしれない。それなら問題ない。しかし中には、そこに無 知な自分の姿を見る人がいるかもしれない。するとそこに嫌悪や憎悪といっ たネガティブな感情が入り込む隙ができる。その結果、人は「日本人いや いや病」にかかるのだろう。「日本人いやいや病」とは結局、「自分いや いや病」に他ならないのかもしれない。
では、その治療法はないのだろうか?時間が尽きたので、そのことは後 ほど考えることにしたい。
原口光弘
@編集人です。
今週も異常なしです。ただ、先週掲載された「チップ」に関する投書が 少し気にかかります。ウエイター&ウエイトレス擁護派のわたくしとしま しては、何か書かねばならんでしょう。
そんなところです。
では、また来週。 編集人
@「Nuts本作りの問題」である。
今、私は「週刊Nuts」の本を作るためにもだえている。
「週刊Nuts」を始めてもうすぐ3年になる。「桃栗3年、柿8年」の桃 栗ぐらいまで行ってしまったのだ。そんなわけで、この3年分のNutsを本 にしようと企んだのである。しかし、これがなかなか難しいのだ。
本作りを成功させるために、私はその本の企画書、目次、そして内容の 見本として、原稿用紙150枚分ほどの「テスト版Nuts本」を作った。こ れらを使って日本の出版社を攻撃しようという作戦である。
でも、その企画書やテスト版をいきなり送りつけても、出版社の編集室 に積み上げられた「持ち込み原稿」の山の中に埋没するだけである。よっ て私はこう考えた。
「いきなり送ってもアレよね〜。だから先に電話して、ダレダレに送れ ばいいってことを確認しとくべきよ。そうよ、そうよ、そうするべきよ。 ほんじゃ、電話しましょ。」
で、先週の月曜日から、私は日本へ「本の営業電話」をかけ始めたので ある。
電話する出版社については、あらかじめ調べてあった。こちらの日系書 店に行って、アメリカ物を出している出版社をリストアップしたのである。 それから各社の電話番号を調べ、3月3日午前0時を皮切りに電話をかけ 始めたのだ。
事前にいろんな人が「どの出版社もあんまり真剣には話を聞いてくれな いよ。」と教えてくれていたのだが、これがほんとに聞かんのである。
いやいや、世間の風は冷たいですのう。
まあ、向こうとすれば、私のような「本にしたい原稿があるんですけ ど・・・」という電話を毎日イヤというほど受けるのだろうから、その 話の聞き方に身が入らないのも当然と言えば当然なのである。
また、私が本にしようとしているのは、ニューヨークの「ミニコミ」で ある。この「ミニコミ」という響きが、出版社の方々は非常に気になるら しく、その感情の揺れが、私の「ミニコミを本にしたいんですけど・・」 というコメントに対する彼らの「はー、ミニコミですか・・・」や「ミニ コミ?」という返事には余すところなく表われている。
これをもう少し詳しく分析すると、彼らのコメントは、「はー、ミニコ ミですか・・・」や「ミニコミ?」程度の軽いものであるが、その言葉の 影には、「ミニコミなんか出版社に持ってくんじゃねえ。自分らでシコシ コやってりゃいいじゃねえか。」という、音にはならない牙剥く言葉が潜 んでいるのである。
ただ、私はこの気持ちもよく分かる。通常、ミニコミというのは、一種 変態的なノリを持つ読み物である。別の言い方をすると、ミニコミを作る ような人物は、変態以外の何者でもない。そんな変態的人物が作った変態 的読み物が「ミニコミ」なのだ。そしたらやっぱ、出版社側は警戒するわ な。
そこで、私は、「はー、ミニコミですか・・・」や「ミニコミ?」など の疑心暗鬼なコメントをもらう時は、「いや〜、本にすんの無理っすかね え。ハッハッハ。」と明かるく応えることにしている。その時、下手に 「ミニコミって言っても”スッゴク”おもしろいんですよお〜。」などと 応えても、その「スッゴク」という言葉の響きが、かえって彼らを怖がら せるに決まっているからである。こういう場合は、「雲ひとつない脳天気」 風に受け応えすべきなのだ。
私が脳天気な返事をすると、大体相手は、「う〜ん、むずかしいねえ。」 などと応える。すかさず私は、「そうですか。ハッハッハ。」とまた明か るく脳天気する。すると向こうも次第に脳天気になってきて、「まあ、見 てみないと分からないから、とりあえず送ってくださいよ。」てなことを 言うのである。「そうですか。そしたら送ります。で、どなた様宛て に?」。そうやって相手の名前を聞き出し、「では、送らせていただき まーす。ありがとうございましたー。」と最終的に電話を切るのである。
そんなこんなで、とりあえず5社に企画書その他を発送した。
でも、向こうに届いても読んでもらえるかどうかは、これまた別問題な のである。そのままゴミ箱に直行する可能性もあるのだ。
てなわけで、今は、その返事を待ちながら、次に攻める出版社を捜して いる状態なのである。
はっきり言って、この本は将来必ず出版される。なぜなら私がそう信じ ているからである。
将来出版されるから、私に怖いものは、なーんにもない。
いかに出版社の人々に冷たくあしらわれようとも、それは単にその出版 社がNuts本を出版する会社じゃなかっただけのことであって、私にとって 失うものは、なーんにもないのである。私はただただ攻めるのみなのだ。
物事は基本的に「守る」より「攻める」方が強い。だから「攻める」私 の方が、「守る」出版社よりずーっと強いのである。だから私は、いろん な出版社とのこの「もだえ」を今すごく楽しんでいる。こんな経験、一生 に何度もできないからね。
Nuts本がいつどういうカタチで出版されるか、この時点では分からない。 でも、こういう時期はこういう時期なりに、おもしろいことがゴロゴロし ている。今はただ、そのゴロゴロの中でゴロゴロしながら、いい「縁」が 現われるのをゆっくりと待つことにしよう。
ひろ
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『今週の歌』
「妻を待つ カフェで出会った 女(ひと)ひとり
ドアが開くまで シングルになる ひろ」
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