2000年6月27日号(No.321)
目次
*『今週の問題』
*『日本の問題』
*『在外投票の楽しみ方4』
*『VOICE』
・投書『初のザイトー不発』
*『今週の歌』
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『今週の問題』
コンデンス・ミルク話の最終回である。
このネタが始まってから、私はいろんな人にコンデ缶との付き合いについ
て聞いた。
「穴は開けたけど、吹かなかったわよ」「ボクの時代はもうプラステック
のチューブでしたね」「え〜、思い出せな〜い」などなど。
驚いたのはコンデ缶を吹きながら大きくなった人間が皆無だったことだ。
みんななぜ吹かなかったんだ。コンデの出がいいのに。ついでに自分でコン
デをコントロールしてるような気分も味わえる。それなのにそれなのに。
コンデについての思い出をシェアできる人間が私にはいない。私の家族以
外には・・・
ここでシーンは5月に帰った熊本の実家に移る。
親子5人(父、母、妹ふたり、自分)+姪っ子ひとり+日本初上陸の長男
の妻が揃った食卓。2歳の姪っ子が騒ぐ中、私は一番下の妹に語りかけた。
以下、熊本弁。
「ねえねえ、うちってコンデンス・ミルクの缶に穴ほがしてかっ吹いたよ
なあ(ほがす=開ける)」「なんね、コンデンス・ミルクって」「ほら、イ
チゴにかけて食うとがあっどが」「あ、あれね」「穴開けてこんなやって吹
いたろが」「うそー、チューブだったたい」「なに〜」「うちはチューブ
だったでしょうが」「缶だったろが」「チューブたい」
「き、き、きさま〜」。私は心の中で叫びましたね。「おまえのカーサ
ン、でーべーそー」とも。子供の頃こう言うと、妹がすかさず「同じ母親
じゃ」とツっ込み、私が「あ、そーかー」とボケていた。そんな淡い思い
出。ボクって昔からコテコテのボケやってたのね。
母親に聞いても答えはクリアーではなかった。「もしかしてあれはオレの
独自の技だったのか」。そんな思いが頭をよぎる。開祖はオレか。そうなれ
ば話は違ってくる。いや、伝承せねばならんからな。
これまでのところ「私もコンデ缶吹いてました」という連絡や「あの人コ
ンデ缶吹いてました」という通報は入っていない。ということはやはり私が
源流か。まだ支流はないけどね。
うちのかみさんに伝承したいところが、私がコンデ缶を吹いてるのを見た
だけで「ディボース!」というリアクションだったからまず無理だろう。
やはり大人はむずかしいかもしれない。友人の中にもコンデ缶吹きを継承
してくれそうな人間はいない。となれば子供だ。
妹の娘っ子にひそかに教えるか。まだふたつだし抵抗はしないだろう。で
もシアトルに住んでるからな。通信教育でもしないかぎりこの距離では無視
だ。
とりあえずうちに子供が生まれたら、そいつに伝承するか。かみさんの目
を盗んでの伝授。子供の頃は甘いモノ好きだから、吹かずに吸うかもしれな
いな。コンデ缶吸い。それはそれで子供が選んだ道である。温かく見守らね
ばなるまい。
でも自分の子供がコンデ缶を吸ってる姿というのもかなり気色悪いな。そ
んな子供は愛せないかもしれない。
罪を憎んで人を憎まず。
ナニ言ってんだオレは。
ひろ
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『日本の問題』
国際結婚というのは未だにナゾにつつまれた世界である。自分も国際結婚
しててそう言うのもなんですがね。
そのナゾのひとつに「自分の親とカイジンのだんな、あるいはかみさんの
コミュニケーションの問題」というものがある。
自分の親が英語を話さない、または相棒が日本語を話さない場合、彼らの
間にカンバセーションは成立しないはずである。でも実際には、自分がそこ
にいずに親と相棒だけになる瞬間というものも必ず存在するはずである。そ
の修羅場を彼らはどのように切り抜けるのか。知りたくても自分はそこにい
ないわけだから、そのときの気まずい空気も、押し潰されそうな場の重さも
わからないのが現実だ。一体彼らはどう間をもたせているのか。私はその風
景をJFK空港で見たのである。
あれはターミナル3のカフェテリアでの出来事だった。
その日、私とかみさんは日本に発つ予定だった。早めに空港に着いた私た
ちは、カフェテリアで茶でも飲むことにした。
かみさんが飲み物を買いに行ってる間、私はテーブルに座って外の風景を
眺めていた。横には日本人女性(30後半)、その母親らしきおばさん
(60後半)、孫(3歳ぐらい)、そしてだんなと思われる黒人男性(30
前半)が座っていた。
カンバセーションのほとんどは、その女性と母親の間でかわされていた。
当然それは日本語だった。だんなは娘と遊んでいた。
すると娘がトイレに行きたいと言い出した。さすがにだんなが連れて行く
わけにはいかないらしく、その女性が娘を連れてトイレに立った。
残されたのは、60後半らしきの母親と30前半らしき黒人だんな。突然
そのテーブルを沈黙が襲った。ついでに私のテーブルも、このまたとない
シーンを観察するために静まり返った。ま、私ひとりしかいなかったんだけ
どね(かみさんはまだ帰ってきてなかった)。
私は腕時計の秒針を追いながら、この沈黙がどれほど続くかに注目した。
1分、2分、3分が過ぎた。まだふたりは黙ったままだ。目を合わせようと
もしない。空気はヘビー。そのヘビー・エアーが私のところまで漂ってく
る。ふたりの間に介入したくなる衝動に駆られる。「お元気ですか? ハー
ワーユ? いやいやグッドウエザーですなあ。ははははは」。そう言いなが
ら、その辺一帯の空気をパタパタと入れ替えたかった。でも私はその衝動を
押さえ込んだ。
4分が経った。目の前に人がいながらの沈黙の4分は長いよ。5年ぐらい
に感じるはずだ。それでも黙り込むふたり。言葉の壁は厚かった。
とそのときである。4分30秒をちょっと過ぎたとき、母親がなにやら義
理の息子に話しかけた。彼女は天井を指差しながら言った。「ほらんく・へ
なほら」。私にはそう聞こえた。そして義理の息子と私は天井を見上げた。
自分まで見上げんじゃねえよ。でも、そこには何もなかった。
また彼女が言った。「フハンク・シナホラ」。それは明らかにカタカナ語
だった。つまり外来語ということだ。
彼女は再び天井を指差した。でも義理の息子と私は今度は見上げなかっ
た。
義理の息子が聞いた。「ん〜?」。これはひらがなで書いたが、正確には
相手に「What?」と聞く場合の「ん〜?」である。英語での書き方がわから
んからとりあえず「ん〜?」と書いた。
でも母親はその問いには答えず、義理の息子から視線を離して、再び沈黙
の闇に突入した。
「ここで黙るか・・・」。私は心の中でうなった。そういうコミュニケー
ションの方法も世の中には存在するのだ。でも、黙りに入られてしまった義
理の息子も別に気にする様子もなく、再び遠くに視線を投げていた。
「娘と孫よ、カンバック・プリーズ」。私は神様にお願いした。母親の肩
を後ろからチョンチョンして、「今、なんて言ったんです?」と聞く方法も
あったが、それはさすがにやれなかった。このあとの展開にも興味があった
しな。
義理の息子の「ん〜?」から30秒ほど経ってから、母親は再び同じ言葉
を口にした。「フランク・シナトラ」。今度は逃さなかった。「フランク・
シナトラ」。そう、あの有名なシンガー、フランク・シナトラ。彼女はさっ
きから義理の息子と私に、いや、義理の息子に「フランク・シナトラ」と言
おうとしてたのだ。ごめんなさいママ。気がつかなくて。私は後ろから彼女
を抱きしめた。そんなわけねえだろ。
今回は義理の息子も、その言葉が「フランク・シナトラ」であることに気
がついた様子だった。「フランク・シナトラ?」。義理の息子が聞いた。
「うん、うん、フランク・シナトラ」。母親が天井を指差しながら言った。
そのときである。義理の息子と私の耳にBGMの「ニュ〜ヨ〜ク、ニュヨ〜
ク」という音楽が聞こえたのは。それはフランク・シナトラの「ニューヨー
ク・ニューヨーク」だった。
つまり母親が言いたかったのは、そのBGMを歌っているのがフランク・シ
ナトラだということだったのだ。
「イエス、フランク・シナトラ。イエス」。義理の息子が母親の目を見な
がら答えた。母親はそれに応えるように数回うなずいた。
私は彼らの横で目頭を熱くしていた。いきなりとなりのテーブルに乱入
し、ふたりの肩を抱きながら「よかよか」とやりたかったが、その勇気はな
かった。でも見も知らぬ男が泣きながら肩を抱きにきたら、だれだってビビ
るよな。あー、やらなくてよかった。
ふたりは再び沈黙の世界に逆戻りしていたが、心なしかまわりの空気は前
よりも軽くなっていた。
その曲がエンディングを迎えようとしていた。
相変わらず視線を合わせずに黙って座る60後半ぐらいの日本人のおばさ
んと30前半ぐらいの黒人男性の横で、30半ばの日本人男性が静かに肩を
揺すっていた。
ひろ
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『在外投票の楽しみ方4』
手ごわかったな。第1回目の在外投票。処女体験だったからこっちもパニ
クったよ。
まずお詫びをせねばなるまい。選挙の前までにこの「在外投票の楽しみ
方」を終わらせることができなくてゴメンナサイ。メールマガジンの「在外
投票の楽しみ方」のほうも1回出しただけでストップしちゃってゴメンナサ
イ。政党の政策+方針一覧表を掲載した「ぶりてんNuts」の発行が遅れてゴ
メンナサイ。
なんというか、やはりひとりではどうにもならんね。投票方法の告知はせ
にゃならんわ、民主党がニューヨークに来たいと言ってくるわ、日本に行か
にゃならんわ、自分も投票せにゃならんわ、カタイことばっかやってる自分
に嫌気がさすわ、で大変だったのである。
各政党に対してNuts軍団として言いたいことが山ほどあったのだが、それ
をやってる時間もなかった。マスコミ向けにも何かやるべきだったが、これ
もその余裕ナシでほとんど手付かずだった。トドメに私のまわりの人間たち
のほぼ全員が、なんらかの理由で投票できなかったというオマケも付いた。
次回、つまり来年の7月にある参議院選までに、なんとかこれらをオーガ
ナイズする必要がある。でも、どうすっかなあー。すんげえ大変だったから
あんましやりたくねえなあー。在外投票ネタもそろそろ飽きてきたしな
あー。まあ、もうしばらくは続けるしかあるまい。
今回の海外からの投票率は約29%だった。これは在外選挙人登録した人
たちの中の約29%が投票したということである。海外に住む日本人の約
29%が投票したという意味ではないから、そこのところは気をつけてほし
い。
ニューヨークの数字はおそらく無残だったと思う。ちなみに私はニュー
ヨークから投票した人間を私以外、ひとりも知らない。いくらなんでもひと
りということはないと思うが、すんげえ少ないのは間違いないだろう。
これは投票する側の問題というよりは、やはり制度の問題のほうが大きい
と私は思う。在外投票運動をやってた私がいうのもなんだが、今の在外投票
制度は、有権者としてはかなり苦しい。そのことを今回思い知った。
選挙直後、自治省が「在外投票制度、見直しま〜す」という声明を発表し
たという噂が日本から届いた。よほど評判が悪かったのだろう。私も今日
(6月28日)だけで「あの制度、頭に来るよね」とコメントする人に5人
も会った。
うまく行けば、来年の参議院選までに制度が改正されるかもしれない。少
なくとも領事館で投票できるようにしてもらいたいものだ。「小選挙区にも
投票したい」とか「インターネットを使った電子投票ができるようにして
よ」という声もあるが、それは数年は無理だろう。そこまで行くためには、
もう少し力を蓄える必要がある。「力」というのは、海外の有権者が自分た
ちの票を使って政治家を動かす「力」のことである。それがないと、前記の
2つのゴールを実現することは不可能である。
現在の在外投票制度について「こんな制度ならいらない」という人も中に
はいるが、それは違う。今回自治省が選挙直後に「見直しま〜す」と発表し
たのは、在外投票制度が実際に存在するからである。もう少しわかりやすく
説明すると、もし在外投票制度が存在しないなら、自治省も見直すことさえ
できないのである。
私が在外投票運動に足を突っ込んでいたときの基本姿勢は「どんなダサイ
制度であろうとも、とりあえず実現させる」だった。まず実現させてから少
しずつマシなものにしていけばいいのである。走り出してしまえばこっちの
ものだ。あとは「この制度、ロクでもねえな」とか「投票しづれえじゃねえ
か」てなことを言って騒げばいいのである。そしたら政治家や官僚の皆さん
が改良してくれるのだ。だって、今わしらには、彼らに対する「選挙権」と
いう強力な武器があるんだから。
自治省の「見直しま〜す」発言に関して、「だったら最初からいい制度作
れよ」とツっ込むよりは、そのスピード、つまり最初の在外投票が終わって
すぐに自治省に「見直しま〜す」と言わせた一種の「力」に注目してほしい
と私は思うのでした。
そんなわけで、このコーナーはこれからも続けることにした。ざいとーネ
タが嫌いな人には申し訳ないが、ま、そういうことだ。よろしくね。
ひろ
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『VOICE』
@投書『初のザイトー不発』
4月に在外投票登録して、選挙人証が送られてきたのが、6月20日でした。
よく読むと、この後、日本の選挙区に請求用紙を送って、その後、投票用紙
が送られてきて、で、やっと投票ですか?(それに、良く読まないと意味が
わからない。もっとスマートにできんのかなあ。うちの夫は、これを読んで
すっかりやる気が失せてました)。ふざけちゃーいけません。初の在外投票
は、できませんでした。がーっかり。
日本にいるいとこが、「インターネットで投票できるの?」ってきいてま
した。せめて、投票用紙くらいインターネットから入手できないのかなあ。
速達代の郵便切手にお金懸けるなら、デジタルシステム化にお金懸けてよ、
政治家さん。
今回の在外投票数が少ないのは、在外有権者のせいじゃあないと思うよ。
NJ在住、 主婦
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『今週の歌』
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