2001年2月27日号(No.350)
目次
*『日本の皆さん、ありがとう』
*『心を開くための浣腸3』
*『NY日本人デート事情』
*『VOICE』
@投書『”帰れシリーズ20”の投書に対する反論』
*『今週の歌』
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『日本の皆さん、ありがとう』
先週の木曜日に日本から帰ってまいりました。そのせいで前回の「週刊
Nuts」、お休みしました。どうもすいません。まずはお詫びから入ってみま
した。
去る2月21日(水)、日本で井戸端会議を開きました。正確にはカウン
トしなかったのですが、17、8人の参加がありました。ありがたや、あり
がたや、でございます。
いやね、どのくらい来るかまったく予想がつかなかったのであります。
「10人前後かな」という読みと、「50人ぐらい来たりして」という読み
が交錯していたのですが、実際は上記の数字に落ち着きました。もう少し派
手に宣伝したら、50人行けたと思います。なわけねえだろ。
今回の井戸端会議 in Japanは、私の取材も兼ねてのイベントでした。日本
在住の「ニューヨークに行きたい」派と、元ニューヨーク組に聞いてみたい
ことがあったのであります。前者には「ニューヨークに来るとして、その準
備のために日本ではどんな情報が不足してますか」ということを聞いてみた
かったですし、後者には「なんでニューヨークを去ったのですか?」と質問
するつもりでした。
で、実際に聞いてみたのですが、いやいや、なかなか勉強になりました。
やっぱ、日本に帰らないと聞けない意見ってありますね。特にニューヨーク
のダークサイド。「いま思うとああだった」とかいう話は、結局日本に帰ら
ないと聞けないじゃないですか。
でも、ニューヨークに対してネガティブなイメージを持ってる人の中で
も、井戸端会議とかに出てくる人は、まだ傷が浅い人ですよね。傷っていう
のは、ニューヨークでぐだぐだになることによって負った傷のことです。夢
破れた傷だとか、現実の壁にぶつかった傷だとか。
ホントにキてる人は、井戸端会議なんかには出ません。ニューヨークのこ
となんか話したくもないでしょうから。そのことを今回のイベントで再確認
しました。
ただ、その人たち、つまりニューヨークのことなんか話したくもないって
人たちの「ニューヨークの思い出」、ていうのが結構ポイントなんですけど
ね。聞いてみたいです。ニューヨークのダークサイド。
話が前後して申し訳ないのですが、「ニューヨークに行きたい」派の方と
いうのは、今回のイベントにはあまり来てませんでした。どちらかという
と、「ニューヨークに戻りたい」派の人が多かったです。
どうしてなんでしょ。Nutsはまだ「ニューヨークに行きたい」派にしっか
りアプローチしてないってことなんでしょうか。う〜ん、日本であんまし宣
伝してないしなあ〜。もっと派手にやらんといかんかなあ。なんてことを考
えるのであります。
さて、今後の話ですが、これからも日本でのイベントは続ける予定です。
その件に関しては、「帰れ」シリーズにバトンタッチします。詳細は同連載
内でお話しするつもりです。
ただ、そのイベントは井戸端会議のようなものにはなりません。おそらく
レクチャーみたいなカタチになるはずです。井戸端会議的なものは、今度か
らは小規模な飲み会形式でやろうと思ってます。そのほうが話の密度も濃く
なりますからね。
そんな感じでしょうか。
今回の井戸端会議にご参加いただいた皆さん、ありがとうございました。
またお会いできることを楽しみにしております。それと、場所を提供してく
れたYくん、ありがとさんね。今度おごるわ。
では。
ひろ
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『心を開くための浣腸3』
「心を開くための浣腸」シリーズの第3騨である。今回も「女性は異物を
入れる」論について語ってみたい。
ニューヨークに住む日本人女性と日本人男性を比べるたびに、私は「女性
のほうが柔軟性があるわね」という思いを強くする。日本人女性のほうが
ニューヨーク社会に溶け込んでいるような気がするからである。
「目の前にあるものをとりあえず受け入れる」。そういう姿勢は彼女たち
のほうに多く見られると思う。そう思いませんか。
なんちゅうか、異文化を受け入れるよね。女性は。反対に男は守りに走り
がちだ。自分を見てもそう思う。
前回は、「女性は(物理的な)異物を入れる」という話をした。セックス
などの異物出し入れ行為に耐えられる女性ってスゴイよなあ、という内容
だった。
私には、はずかしながら自分のケツにタンポンを入れる勇気はない。考え
ただけで痛そう臭そう。勘弁してほしい。
ところが女性は、体内への異物の侵入を受け入れられるのである。そし
て、そういう肉体的強さと同時に、女性には精神的に異物を受け入れる強さ
もあると私は思うのである。
この「心を開くための浣腸」シリーズのココロはそこにある。異物侵入に
対する肉体的な強さが、精神的な意味での異物侵入許容度にもつながってる
んじゃないかしら。つまり、肉体的に異物を受け入れられる人間が、精神的
にも異物を受け入れることができる。それが、このシリーズを通して私が提
起したいテーマなのである。
と、ここまで書いて思いだしたのだが、そう言えば、わたくし、おケツに
自分からすすんで異物を入れたことがありますわ。あれは私が高校1年生の
頃の出来事でした。
その頃、私と一番下の妹(当時小学6年生。真ん中にもうひとり妹がい
る)は、しょっちゅう喧嘩をしておったそうな。めでたしめでたし。終わっ
てどうする。
ぼおやぁ〜よい子だねんねしなぁ〜。ちょっと「まんがニッポンむかし
話」の挿入歌を歌ってみました。涙腺熱くなるな。
本題に戻ります。
その日も兄妹3人でコタツに入りながら、私と一番下の妹はお互いに罵
(ののし)り合っていた。ちなみにそのとき妹はペロペロキャンディを食べ
ていた。
罵り合いが終わると、妹はペロペロキャンディを置いて、トイレに立っ
た。
コタツの上にポツンと置かれたペロペロキャンディ。私はもうひとりの妹
と視線を合わせ、深くうなずき合った。
私はおもむろに右手でそのペロペロキャンディを取り、それと同時に左手
でズボンとパンツをずり下げた。
そして右手に持ったペロペロキャンディを肛門へと持って行く。
躊躇(ちゅうちょ)はなかった。
ズボリ。
ペロペロキャンディが私の肛門に埋まった。
そのときは、さすがの私もペロペロキャンディを肛門に埋めたまま、
ぐるぐる回すことは考えなかった。いまとなっては心残り。
ズポッ。
肛門からペロペロキャンディを抜いた。それをもとあった場所に置く。
妹がトイレから帰ってきた。再びコタツに入って、目の前にあるペロペロ
キャンディを取る。そして口に頬張った。
私は、妹がそのペロペロキャンディをナメ切って、アメ部分がほとんどな
くなった棒をしゃぶるまで、冷静に妹のことを観察した。その後、静かにコ
タツの中で小さくガッツポーズ(”小さく前にならえ”みたいなもの)し
た。
その妹は、今年で31。一児の母だ。
光陰、矢のごとし。
最後はきれいにまとめてみました。
「女性は異物を入れる」論の続きは次回に。
ひろ
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『NY日本人デート事情』
『たわごとコラム』で始めたニューヨークの日本人のデート話だが、話が
デカくなってきたので、こちらに移すことにした。
この話の発端は、私がチャイナタウンで見かけた日本人カップルだった。
そのふたりはデート中だった。別に当人たちがそう証言したわけではない
のだが、少なくとも私はそう見た。さらにそれはファースト・デート、ある
いはセカンド・デートだった。言い切るか。いや、ふたりの距離の取り方が
そんな感じだったのだ。
そのふたりを見て、私は考えたのである。「いかにして彼らはここに至っ
たのか」と。
「デート」を語るには、まず「出会い」を考えねばならない。どうやって
彼らは出会ったのか。
そして「誘い」。なんと言って誘うのか。どちらが最初にアクションを起
こすのか。オトコ側? それともオンナ側?
デートすることがが決まった場合、やはりニューヨークでも下調べとかす
るのか。『Time out』読んだりして、最近話題のレストランとかチェックす
るのか。
私は以上のようなことが知りたい。
だれか親切な人、教えてくれませんか。その辺の事情を。
よろしくお願いします。
つづく。
ひろ
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『VOICE』
@投書『”帰れシリーズ20”の投書に対する反論』
「歩くニカ国語放送局リンガル」さんの怒りの投書、興味深く拝見しまし
た。自分も滞米生活が長いせいか、読んでいて何度も首をタテに振ってしま
いました。その昔、「バカヤロー」というオムニバス形式の映画がありまし
たが、まあNYであれ東京であれ、何かとムカつくことが多いのは同じなわ
けで、誰でもたまには「バカヤロー」と吠えたくなります。が、一部、笑っ
てすますことができない箇所があり、今こうしてキーボードに向かっている
わけです。
僕が気になったのは当人のあまり意識してない次元で「価値観の押しつ
け」が行われていることです。特にパターンBとして分類された人達の記述
にそれが読み取れます。文章とは怖いものです。前回の投書を読んでいない
人のために一部抜粋すると「夢はあるんだけど、それがネールアーティスト
とか、ハリウッド女優とか、映画監督とか、……(中略)てな甘いプロ
フェッションばかり。とりあえず、プログラミングやってみるとか、これか
らはMBAよりは弁護士資格よとか、将来性ならバイオテクでも勉強なされ、
とか言うんだけど……(後略)」。
きっと「歩く」さんにとっては弁護士やコンピュータプログラマーという
現実的かつ財政的な裏付けのあるものが“夢”であって、アーティストとい
う非現実的で経済的に極めて不安定なものは単なる“戯言”なんですね。ま
るで親の説教を聞いているようです。その箇所を読んで、僕は素朴な疑問を
感じました。
どうして「大変だね。でも頑張ってね」と一言いえないのか?
確かに弁護士とか会計士のように資格を取り、堅実に暮らす人生もいいで
しょう。だけどそれは無数にある生き方(あるいは価値観)の一つであっ
て、必ずしもすべての人に適合するわけではありません。芸術もまたしか
り。職業には本人の「意思」と「適性」と「運(タイミング)」が大きく左
右するわけで、“生活の糧”のためにまず資格を取ってから……などと悠長
なことを言う奴はまず大成しないと思うし、生活が安定する頃には芸術的イ
ンスピレーションも枯渇していることでしょう(中には小椋桂のような例外
もいるが)。だいたい彼らがアートに進み人生を失敗しようが成功しよう
が、肉親でもないあなたには関係ないでしょう。
また、「歩く」さんの投書を読んでいると「努力」という言葉が何度も登
場します(これ、日本人の好きなコトバのNo.1だそうです)。それを敷衍す
ると「自分と同じくらいせめて他人も苦労すべき」という思想というか怨念
のようなものを感じてしまいます。
けれどもこれは僕の個人的な認識ですが、世の中というのは不公平と不均
等に満ち溢れていて、努力するものが必ずしも成功するわけではありません
よね。それを「努力した奴しか応援しない」というのは少し硬直した考え方
のような気がします。もし僕が金持ちだったら、努力や礼儀などというファ
クターとは無関係に独創性があり才能のある奴を応援すると思います。大袈
裟な言い方ですが、その方が人類全体に貢献すると思うからです。
とは言うものの、これらのことは恐らく「歩く」さん本人も気づいている
と思います。気づいていればこそ、「反省」したり、「嫌な年長者軍団のお
局になってしまう」ことを恐れたりしているのだと思います。きっと誠実な
方なのでしょう。でも残念ながら「歩く」さんほど精神的ゆとりを持ち合わ
せてない日本人もたくさんいます(NYにも東京にも)。僕は、そうした連
中が自分の価値観を押しつけるのと同時に「若者潰し」に走るように思いま
す。心にゆとりがないと了見も狭くなります。年齢は関係ありません。その
点アメリカ人(特に都市部のアメリカ人)は、生まれた時から様々な人種、
価値観、倫理感の中で育っていますから、安易にそうした押しつけがましい
事を言う人は少ないように感じます(もちろん例外もいる)。
かく言う僕も実はstruggling & aspiring artistの一人ですが、自分の目
指す方向についてアメリカ人から否定的な意見を聞かされたことはほとんど
ありません(日本人からなら、親を筆頭に沢山ある)。今書いていて気づい
たんですが、これが今だに僕が---言葉や人種の壁に何度もぶつかりながらも
---NYに住み続けている原因の一つのような気がします。日本人全員がそう
であるとはもちろん言いませんが、そんな「お局さま」がうじゃうじゃいる
社会で生きてゆかなきゃならないかと思うとウンザリします。僕は現在アメ
リカの会社で働いており、仕事では一切日本語を使いませんが、日系企業に
勤める友人からそうした「お局的人間(あるいは予備軍)」の話をよく聞き
ます。
あ、なんか話がそれましたね。
もう長くなったのでこの辺で止めときます。それにしても生きてゆくとい
うのはどこにいてもなかなか骨の折れるもんです。
珍来
追伸:
ところで「代用監獄」って知ってます? 僕はこれまで自分のしたい事が
できるなら日本でもアメリカでも構わないと考えていたのだけれど、最近、
日本での「代用監獄」の実態を知るに及んでそれも再考するようになりまし
た。興味のある方は東京弁護士会のホームページをご覧下さい。
(http://www.toben.or.jp/daikan/index.html)
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『今週の歌』
「日本から 帰ってきたら 必ずと
言っていいほど 1週おやすみ ひろ」
*申し訳ないです。
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