2001年12月4日号(No.378)
目次
*『オサマが再び英雄に?』
*『今年のことが思い出せない』
*『VOICE』
@投書『星条旗のこと』
@投書『星条旗のこと』
@投書『NYちょっと小ばなし』
@投稿『メシの味』
*『今週の歌』
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『オサマが再び英雄に?』
皆さんもよくご存知かと思うが、イスラエル・パレスチナ問題が大変なこ
とになっている。おそらく「殺し合い」という表現を使ってもいいほどの状
況だ。
私は国際情勢に関しては無知である。だからそれらのネタに関しては、
できるだけ書かないようにしている。
でも、イスラエル・パレスチナ問題については、素人の私が言うのもなん
だが、平和への道はひとつしかないんじゃないかしら。Which is 「パレスチ
ナの独立」。それしかないだろ。
このままの状態なら、どちらかが死に絶えるまで両者の戦いは続くだろ
う。戦いを続ける理由はあっても、やめる理由がないののである。
9月のテロ事件以降、ブッシュ大統領もパレスチナ独立のほうに少しずつ
だが傾き始めているようだ。パレスチナ問題でアメリカがイスラエルをバッ
クアップしていることが、イスラム圏内でどのくらい評判が悪いかを、今回
のテロ事件で痛感したのだろう。となると、今後は「パレスチナの独立」の
流れが強くなるはずだ。
実際にパレスチナが独立するにはかなりの時間が必要だと思うが、おそら
く今後は物事がじわじわとそちらのほうに動き始めるだろう。
で、将来的に見事にパレスチナが独立したとする。そのとき、歴史上で見
て、独立のキッカケを作ったのはだれになるのか。
私がここで言う「歴史」というは、西側の歴史ではない。イスラム圏内の
「歴史」においてだ。
パレスチナの独立はアメリカなしでは成功しない。となると、アメリカが
イスラエル・パレスチナ問題に真剣に取り組むキッカケを作った人間が「英
雄」になるのではないか。
オサマ・ビンラディン。恐ろしいことだが、こいつになる可能性が高い。
私たちの仲間を数千人も殺したアホどもの親玉とされるオサマ。彼らが
やったことは絶対に許されるべきではない。
しかし歴史は、立つ位置によってまったく違ったものに見えるのである。
もしこのままパレスチナの独立が実現すれば、数千人の罪もない人たちを
殺したという事実を越えて、イスラム圏内においては、「オサマこそ英雄で
ある」ということになるのではないか。
そして、現在のアフガニスタンでの戦闘で、オサマがアメリカ軍によって
殺されるとする。「パレスチナ独立の英雄を殺したのはアメリカ」。歴史上
はそうなる。
この辺でまとめてみよう。
イスラエル・パレスチナ問題が解決しない場合、イスラム圏はアメリカを
これまで通り敵視し続けるだろう。
ただ反対にイスラエル・パレスチナ問題が解決したとしても、その英雄に
なる可能性が高いオサマ・ビンラディンをアメリカが殺していた場合、アメ
リカに対する別の憎しみがイスラム圏内にしっかり残るのではないか。
どっちに転んでも、アメリカは、イスラム世界とのゴタゴタから逃れるこ
とはできない。完全にハマってしまったのだ。
というふうに私は見ているのですが、ちょっとは当たってますでしょう
か。
もし当たっていたとした場合、アメリカ政府関係者なら、その辺のことは
すでにお見通しだと思う。彼らがいま何を考えているのか、ぜひ聞いてみた
いところだ。
世の中、むずかしいよね。
ひろ
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『今年のことが思い出せない』
今年ってどんなことがありましたっけ? 正確には9月以前の今年ね。
8月の最後の週末に、ロングアイランドの東端に日帰りで遊びに行ったの
だが、それが数年前の出来事のように感じるのは気のせいだろうか。
もともと記憶力が悪いということもあるかもしれないが、今年何をやった
かを思い出すのに、こんなに苦労する年も珍しい。9月11日よりも前の記
憶がなかなか思い出せないのである。
ひとつだけ確かなのは、平和だったってこと。それは間違いないだろう。
でも、他のことが思い出せないのだ。
自分の手帳を見れば、○月×日に何をやったかはわかるのだが、実感が伴
なわないのだ。たとえば、2月に日本に一時帰国したのだが、それが今年の
出来事だとはとても思えないのである。
原因はすべて9月11日およびその後のドタバタにある。そのインパクト
が強すぎて、その前の記憶にリーチできなくなっているのだ。
ビジュアルで説明するとこうなる。
ふと自分の人生を振り返ると、これまで歩んできた道が過去に向かって続
いている。手前が新しい記憶で、奥に行くほど古くなる。
その道の2001年9月11日あたりにデカイ爆発がある。あまりにも爆
発が大きいため、その向こう側が見えない。影に隠れてしまっているのだ。
9月11日以前の道が消えてしまったというわけではない。その爆発のせ
いで見えないというだけだ。特に9月11日近ければ近いほど、その影に隠
れてしまっている。
これに似た経験が、私には一度だけある。
21のとき、私はそれまでの生活を投げ出して沖縄の離島に逃げた。原因
はいろいろあるのだが、とりあえず逃げたのである。その後、素潜りの漁師
をし、ダイビング業界で働き、アジアを放浪するのだが、それらの経験は自
分にとってものすごくインパクトのある出来事だった。
その結果、何が起きたかというと、21以前のことが思い出せなくなった
のである。
Nutsを昔から読んでる方はなんとなくお気づきになってるかと思うが、私
がNutsに書く個人的な話というのは、圧倒的に21以降のことに集中してい
る。中学・高校時代のことはほとんど書かない。書かないというか、思い出
せないので書けないのだ。
それと同じことが今年起きた。
私の場合、「今年のことが思い出せない」のは、9月11日のインパクト
が原因となっているようだ。
逆に言うと、2001年は「思い出しづらかった年」として自分の記憶の
中に残るような気がする。ちょっと変な言い方だが。
読者の皆さんはどうだろう。今年のことが思い出せなかったりしますか。
今年の夏の思い出って何です? 8月、自分が何をしたかすぐ思い出せま
す? 思い出せたとしても、なんかすんごい昔のことみたいに感じません
か。
いやいや、ホント大変な年でした。
ひろ
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『VOICE』
@投書『星条旗のこと』
いまの国旗の飾り方は異常だと思います。
いままでアメリカ人の国旗好きや国歌好きはなれっこでしたけど、今回は
本当に異常とまではいかなくても過剰だよ。まじに。
もちろんエスタブリッシュメントが掲げる”国旗”は注意して受け止めな
ければいけないけど、地域にあっても”国旗を掲げなければいけない”状況
に追い込まれている人たちがいるのは少しばかり普通ではないはずです。
パキスタンから移民してきたタクシーの運ちゃんたち(最近妙に愛想がい
いぞ)。クイーンズの端っこでデリを経営するインド人のおっさん。
いろいろ言われるのが嫌だから、嫌がらせを減らすために国旗を店先やタ
クシーの後ろに張らなければならない。店先に「私たちはインド系の”アメ
リカ人”です」と掲げさせられる。
なんか逆バージョンの踏み絵みたい。揚げなきゃいじめられるって。
これは普通の状態ではないよな。
かといって、大変だ大変だと対岸の火事を喜ぶ日本のメディアが正しく伝
えているとは思わないけど。みてると辟易してきます。ほんとに何でNHKが
アメリカのこれからの軍事戦略を分析せにゃならんのですか? ほかにやる
ことあるだろうにさ。
Kinkin
@投書『星条旗のこと』
近頃私はアメリカ人の彼氏に日本の事に関していっぱい説明しています。
もちろんかなりの割合でそれが私個人の主観や経験に基づいているとは言っ
ています。
なにが大変って、彼は私以前に日本人を含めたアジア人と近い関係を持っ
たこともないし、本人もアジア人・文化に対してほとんど興味ゼロだったの
で、何から何まで一から説明・解説する必要があって、なかなか大変です。
さて、星条旗に関してです。私は右翼でもないし、はっきり言って政治的
にどちらという主張はないです。でも、アメリカ人と星条旗、そして国歌と
の関係がずっと羨ましかった。今も羨ましいです。それはとても日常生活の
一部に近い。
9月11日のテロのようなことがもし日本で起こったとして、日本人の多
くが同じようなリアクションを取るだろうか?
あの日私は仕事でLAに居ました。その日と翌日のうちに多くの星条旗が車
や窓に掲げられ、コンビニは「星条旗は売り切れた」といってました。
私は9月12日にNYに戻る予定だったのが、もちろん飛行機は飛ばず、
「実家が大変なのに帰れない」状態でした。
E-mailや電話で友人たちの無事と自分の無事を確かめ合っても、やはり何
か違う、何だろうか? テロに対する怒り、亡くなったり怪我をしている人
たちへの感情、WTCから20ブロック程のところに住む彼氏の事、色んな感情
が一緒くたで、どう表現すればいいか分かりませんでした。
で、私の取った行動は、星条旗を探しだして掲げることでした。私はアメ
リカ人じゃないけど、あの時星条旗は、ある「ひとかたまりの感情」の象徴
だったと思います。アメリカ人である必要はなかったと思います。
私はサルサ(ラテンミュージック)が好きで、スペイン語もまあまあ話す
ので、Latinoの友人も多いのですが、彼らも自国をすごく誇りに思っていま
す。歌の中でもあんなに自分の国の名前を連呼する音楽はないと思います。これも羨ましい。
どうして日本人(私も含めて)は「日本」に対してマイナス、否定的な姿
勢を取ってしまうのでしょうか? だってアメリカ人は試合の前に国歌う
たって「うおーーーーーっ!」って毎回感動して誇らしげじゃないですか。
日本人はアメリカ人やLatino達みたいにはもうなれないのでしょうか?
これって、NYにおける日本人コミュニティーの弱さにも関連あるんでしょう
か?
もうちょっと考えつづけます。今日はこの辺で。
まさこ
@投書『NYちょっと小ばなし』
昨日、夕暮れ時のマンハッタンを、家路にむかって一人、とことこ歩いて
おりました。週末もほとんど終わりで、あたりの人通りも少ない時間帯でし
た。
6番街の高級ヒルトンホテルの前にさしかかったところ、目の前にどこと
いって目立たない中年のカップルが見えました。奥さんらしきブロンドの女
性のわきで、タクシーを停めようと片手をあげているその人をちらと見まし
た。
「あれ? もしかして」
上下とも薄いブルーのカジュアルジーンズに身を包み、いかにも普段着の
どこにでもいそうな彼は、世界的に有名な元ビートルズのポール・マッカー
トニーその人でした。
ニューヨーカーの誰もがするのと同じように、ふたりはたまたま通りか
かって停まった一般タクシーにさっさと乗り込み、夕暮れの深まるマンハッ
タンの街の中を去っていきました。
ニュースによれば、あの有名歌手によるNYを励ますための大掛かりなチャ
リティコンサートがマジソンスクエアガーデンで催されたのは、つい昨日の
晩のはず。あんな一大有名人が、ごく普通にジーンズはいて、普通にタク
シーに乗って去っていくのを目の前でたまたま目撃した私は、なんだか不思
議な驚きに包まれたまま、再びとことこと家に向かって歩き出したのでし
た。
Kazy
@投稿『メシの味』
「こんな時に、わざわざ来てくれてありがとう!」
「いやー、ヨメさんに、飛行機に乗らないでくれって泣かれてしまいまし
たよ」
「何もなくて本当によかった。まずは、乾杯ですな」
あの事件から、2ヵ月余りが過ぎた。あれから、すっかり数が減った駐在
員の接待の席で、おじさまたちはビールを飲み始める。
「今度は、どこを狙ってるんでしょうね」
「グラセンがやばいって言われてますけどねえ」
こんな会話が延々と続く。最近のお客さんの話題は、まずはテロについて
だ。次にどこで、何が、どのように起こるのか。それでいながら、ビールが
日本酒に変わったり、ワインが一本空いたりするのは、今まで通りだ。それ
が、なんだか不思議に感じる。
メシ時に、テロの話をするのは、従業員も一緒で ”シロウトが考え付く限
りのマンハッタン攻撃”のアイデアを出しながら、ごはんのおかわりをして
いるのである。
「まだ、グラセンって、メジャーだから警備もしっかりしてるけど、普通
の地下鉄の駅とかだったら、なんでもやれそうだよなー」
よくもまあ、毎日毎日、消化に悪そうな話をしているもんだ。実際、日本
に居る友人が、この間の飛行機事故の時、安否を気遣って電話をくれた際、
私が、上に書いたような事を言うと「そんなテロの話をしながら、よくごは
んなんか食べてられるよなあ」と半ば、呆れたようにつぶやいた。
9月11日は、食欲なんか吹っ飛んでいた。けれども食べなければ体が
参ってしまうので、買ってきたピザをむりやりビールで流しこんだ。もちろ
ん、味もしないし、酔っ払いもしない。それから味覚が戻ってくるのに、
2週間位かかった。
今はというと、いつ何が起こるかわからないのでがつがつ食っている。
こないだも、友人と安いベトナム料理屋へワインを持ち込んで、バカかっつ
うほど食べた。ごはんがおいしいことと、おなかがいっぱいであるというの
が、こんなに幸せに感じた事は、今までになかった気がする。
修
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『今週の歌』
「年末の パーティーで会う 人たちの
話題はいつも ナイン・イレブン(9/11) ひろ」
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