2001年12月25日号(No.380)
目次
*『今年の反省』
*『今年の収穫』
*『VOICE』
@投書『おせえよ「がんばれNY」』
@投書『NYに行ってきます』
*『今週の歌』
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『今年の反省』
毎年恒例の『今年の反省』である。
いつもなら、今年の最初に「やるよ」と言った作戦をリビューするのだ
が、今回はやめとく。なんかアホくさくなったのである。
作戦ばかり並べても仕方がないのである。実際にやらん、あるいはやれそ
うにない作戦は今年ですべて捨てる。やりたくてやりたくてしょーがない作
戦と、絶対にやらねばならない作戦のみを残すことにした。
それらの作戦で数年は行く。その間、新しい作戦は加えない。テンポラ
リーの企画は出てくるかもしれないが、基本ラインは今年残った作戦の継続
になる予定だ。
生き残った作戦の詳細は、年明けにお話しすることにする。
別の『今年の反省』の話をしよう。やっぱテロかな。
2001年は私にとってのテロ元年だった。私のような人が世界中にたく
さんいると思う。
テロ問題に直面した年。これまで見えなかった、感じられなかった「テロ
の存在」に遅ればせながら気づいた年。
今年までテロに対してほとんど無関心だった自分を反省している。また、
アフガニスタンのこともまったく知らなかった。
私とアフガニスタンとの接点は、イーストビレッジのセント・マークスに
あるアフガニスタン系のレストランのみだった。それもそこでメシを食った
というのではなく、前をしょっちゅう通ってただけである。遠い国だった。
で、テロおよびアフガニスタンに関して、今回いろいろと学ばせてもらっ
た。ものすごいレッスンだった。もう二度と経験したくないレッスン。
テロのことについては、来年も引き続き書いていくつもりだ。書きたいこ
とが次から次へと出てくるのである。作戦モノをできるだけ少なくすること
にしたのは、そのためである。スペースが足らないのよ。
それにしてもねえ、なんで今年なんだろ。
2001年。私がこの街に来てから10年目の年だった。同時にジュリ
アーニ市長の任期最後の年でもあり、アホだアホだと言われていたブッシュ
が大統領になり、そして変人小泉が日本の首相になった年だった。
その年に起きた911。それは突然やってきた。
あの日のことを書くと長くなるのでやめておく。ただ、一生自分の中に残
るよね。あれは。
別に寝てるときにうなされるとか、ときどき涙が出るなんてことはまった
くない。精神状態は、9月11日以前とほとんど変わらない。
でも、やっぱり残っている。普通に生活するには問題ないが、言葉では言
い表わせない何かが、あの日以来、自分の中に存在している。しかしそれが
人生を支配しているわけではない。
9月11日以降、自分の人生が完全に変わってしまったという人もいるだ
ろう。マスコミもそういう人たちを好んで取り上げる。でも、大部分の人た
ちは、相変わらず日々をひょうひょうと生きているのではないか。
確かに何かが違う。しかし、目の前にあるのは通常の自分の生活。それを
淡々と生きるしかない。
メシも食わなくっちゃいけないし、金も稼がなければならない。クソする
屁もこく風呂にも入る(アメリカ人はシャワーだけど)。
9月のテロで私が一番学んだのは、そのことだった。
メディアが一生懸命伝えようとする「異常事態」はあくまでも枝葉であっ
て、ぶっとい「普段の生活」というのが人生のド真ん中にいつも寝そべって
いるということ。「異常事態」の中でも人間の生活はドラマや映画みたいに
感情の起伏の激しいものではなく、驚くほど普通であるということ。
これらは、あの日ニューヨークにいたからこそ学べたことだ。
人間は強い。そして同時に恐ろしいほど鈍感である。すぐ物事忘れるし。
それでも今回の事件は私たちの中にいつまでも残るだろう。どんどん記憶
の隅っこのほうに追いやられるかもしれないが、少なくとも小さな引っかき
傷としては残る。
強いけど鈍感。傷はできたけど目の前にあるのは普段の生活。でもその傷
は消えない。でもでも人々は普通に暮らしている。
なんとなく噛み合わない2つのことがコインの表と裏のように一緒に存在
している。現実っていうのは結構グチャグチャなもんなんだということを今
回痛感した。
テロの話はこのくらいにしておこう。
Nutsに関してだが、去年まではNutsの存在を知ってる人の間で、
「Nuts」言えばイコール「週刊Nuts」だった。
それがである。今年ぐらいから「Nuts」と言えばインターネット上の「ぶ
りてんNuts」を意味するようになったのである。これは、インターネットが
本当の意味で、ニューヨークに住む日本人の生活ツールのひとつになったこ
との表われでもある。
ニューヨーク地区の日本語の生活情報掲示板サイトが本格的にブレイクし
たのは、2001年になってからだ。これまでも結構利用されてはいたが、
日々の生活ツール化したのは今年からだと私は思う。
ニューヨークの生活情報掲示板サイトである「ぶりてんNuts」の週のアク
セス数も、去年に比べると倍以上になっている。
インターネットの掲示板が、とうとうサンライズマートの掲示板並にポ
ピュラーになったということだ。
すでにインターネットは、ニューヨークの日本人コミュニティにとって欠
かせないもののひとつだ。それは間違いない。ただ、インターネットと同コ
ミュニティがしっかりがっちり噛んだのは今年に入ってから、というのが私
の意見なのだが、いかがなものだろうか。
以上が『今年の反省』である。
こんなに短い『今年の反省』は、「週刊Nuts」発刊以来初めてだ。いいの
か悪いのかよくわからんけど。
ひろ
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『今年の収穫』
失ったものがあまりにも大きかった2001年だったが、日本人コミュニ
ティにとってはそれなりの収穫があった年だと私は考えている。
最も大きな収穫は、ニューヨークの日本語メディアがやっと成熟期を迎え
たということだ。
10年前ぐらいからずっとニューヨークの日本語メディアウォッチを続け
ているが、これほどまでに日本語メディアが充実したことはなかった。一応
完成したと言っても過言ではないだろう。
ここの日本人コミュニティ内のメディアについて考える際に重要なのは、
「紙」と「インターネット」の存在である。テレビとラジオは無視しても構
わない。なぜなら、テレビはコミュニティ内のメディアとしてはほとんど機
能してないし、日本語のラジオはもともとないからだ。
「紙」の部分で一番大きかったのは、ジャピオンの参入である。私が「完
成」と言った理由はそれにある。同紙が加わったことによって、ニューヨー
クの日本語「紙」メディアはほぼ飽和状態となった。
ミニコミだったらまだまだ出せるが、商業ベースの「紙」媒体創刊は、
今後はちょっと苦しいかもしれない。
この10年の間にいくつもの日本語「紙」メディアがニューヨークで発行
されたが、結局生き残ったのが現在の顔ぶれである。皆さん、がんばりまし
たね。パチパチパチ。
内容的にすんげえおもしろいというものはあまりないが、存在し続けてい
ることは評価されるべきだろう。
話が少しズレるが、おもしろい日本人の書き手というのがちょっと少なす
ぎないか。特にニューヨーク在住の書き手。「この人のコラム大好き」とか
「いつもこの人が書いたものを楽しみにしている」なんてことを読者に言わ
せるライターが見当たらないのである。
ライターの皆さん、わたくし挑発してるんですけど、気づいてます?
鍛え方が足らないんです。死ぬほど書いてますか。
部数は結構出てるはずから、おもしろいものを書けばそれなりに評判にな
るはずだ。でも聞かない。
「ナニナニに書いている」ということだけで満足している書き手を昔から
たくさん見てきた。書きゃいいってもんでもないべな。やっぱおもしろくな
いとね。読者に対しても失礼だし。
現在、ニューヨークの日本語「紙」メディアに書いてる人たち、ちょっと
は鍛えろよ。「週刊Nuts」なんかよりずーっと部数多いんだから、おもしろ
ければすぐ評判になるって。
話を戻す。
そんなわけで、「紙」メディアは飽和の時代に突入した。
もうひとつの「インターネット」に関しては、先の『今年の反省』でお話
ししたように、今年掲示板サイトがブレイクした。また、メールマガジンも
結構発行されているようだ。
ただ、読んでおもしろいサイトというのはまだまだ少ないし、これからも
そんなには増えないだろう。
読み物的には「紙」のほうが「インターネット」よりも上、という状態が
しばらく続くと私は見ている。なぜなら「紙」は、一応それでメシ食ってる
人たちが作っているからである。「インターネット」はあくまでもシロウト
技。コンテンツのレベルが違う。
でも、将来的な使い道については、断然「インターネット」のほうが上
だ。ウェブTVの可能性もあるし、インターネット上でラジオもやれる。
また、9月のテロ事件の際に証明されたように、「インターネット」は非
常時メディアとしても十分機能した。
つまりツールとしては、「インターネット」のほうがバラエティーに富ん
でいるわけだ。そして低コスト。
今後、日本人コミュニティ内のメディアに変化があるとしたら、それは
「インターネット」で起こるだろう。そういう意味では、「紙」よりも「イ
ンターネット」のほうが楽しみである。
以上のように、今年「紙」が飽和状態を迎え、「インターネット」もメ
ディアのひとつとしてコミュニティ内に根付いた。
あとで振り返ったときに、2001年は、ここの日本語メディアにとって
も歴史に残る年になると私は考えている。
それが『今年の収穫』かな。
読者の皆さん、今年もご愛読ありがとうございました。良い年をお迎えく
ださい。
ひろ
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『VOICE』
@投書『おせえよ「がんばれNY」』
こんにちは。おせえよ「がんばれNY」について。
そうですね。遅いかもしれません。
私は、米国のアフガニスタン空爆と関係があるのじゃないかと思います。
空爆前、日本のテレビ局はNYのことをもっと報道していたような気がしま
す(もう随分昔な気がして思い出せないけど)。
空爆後、報道も人々の関心も「今まさに起こっている」アフガニスタン空
爆に移ったのではないでしょうか。
今ようやく空爆が終わりに近づきつつあり、そして時期はちょうど年末、
クリスマス。
チャリティーとか助け合いとかいう気分が盛り上がる季節でもあり、そん
なわけで今頃「がんばれNY」なのではないか、と私は思います。
他の国はどうして違ったのか、それは私には分かりません。心情的な米国
との距離が、他の国と日本とでは違うのかもしれない。
NYに住んでいて、その状況のまっただ中にいるひろさんにとってNYへの関
心が薄いと思える日本の今の状況は腹立たしいこと、私にも分かります。で
も残念ながら日本では目線が違うんだと思います。
日本では、NYのテロと同じくらい、アフガニスタンの空爆は大きな事柄
です。ひろさんが数号前のNutsで書いていた「アフガニスタンでの騒ぎ」と
いう言い方に共感する日本人は殆どいないだろうと思います。空爆で3,000
人も死んでいて数十万の難民が出て餓死しそうなのに「騒ぎ」なんて呼べま
せん。あのテロを「NYでの騒ぎ」と呼んだら、ひろさん怒りますよね?
だれでも、大変な目にあった人、かわいそうな人や国を見たら助けたいと
思います。私にも、大変なNYを助けたいという気持ちがありました。でもあ
の空爆はいろいろなことを私に考えさせました。「大変なNY」が「強大な軍
事力と政治力を持ったしたたかな米国」のイメージで上書きされてしまい、
助けなきゃいけないという気持ちが急速に薄れました。「正義だと言って他
国を空爆し、民間人を傷付け、難民を増やしている米国」を応援するのに疑
問を感じました。
「NYの人がいくら大変だと言っても、アフガニスタンの人みたいに餓死す
るわけじゃなし、助けるならアフガニスタンが先だろう」と感じ、結局、ア
フガニスタンに募金を送りました。
空爆がなかったら、今の時点で、私はNYのためにも何かしていたと思いま
す。でもNY支援について、私はまだ葛藤してます。
それでは。
匿名希望
@投書『NYに行ってきます』
私はこの年末年始の休暇に、NYに行ってきます。テロのあったあのNYで
す。とはいっても2年前にNYのブルックリンに住んでいたので、今回の訪問
の目的は観光ではなく、友人たちに会いにいくことです。
同時テロの1ヵ月前にも、私は夏休みを利用してNYに遊びに行きました。
当時はみんなハッピーで、ただブラブラとマンハッタンを遊び回りました。
その時、友人たちと交わした会話の内容といえば、「1年近く付き合った
彼氏に昨日フラれてもう死にそう」だとか「パワーパフガールが人気」だと
か「最近のブライトニー・スピアは肌見せ過ぎ」だとか、ホントにくだらな
い話ばかり。でもその時は、そういうくだらない話をして騒いでいるのが楽
しかったのです。今はその「夏」が遠い昔のような感じがします。
9月11日、テロリストにより乗っ取られた航空機2機の激突によりワー
ルドトレードセンターが崩壊、その後の炭疽菌騒動。友人たちは皆無事だっ
たのですが、その後、連絡を取り合っているうち、NY在住アメリカ人である
彼らと、現在日本に住んでいる私と、見解の違いが出てくるようになりまし
た。
アメリカがアフガン侵攻を始めた時、私は思いきり米国を非難しました。
「アフガニスタンという国がアメリカに戦争を仕掛けたわけではないの
に、どうして攻撃するのか。犠牲になるのは一般市民で、難民を増やすだけ
だ」と。
その時の彼らの返事はこうでした。
「アメリカは戦争状態に入っているから今は国民が団結するべきだ、と報
道するマスコミにはうんざりしてるし、シカゴ大学の反戦運動も理解できな
くはない。だけどもし政府が何もしなければ、今、このNYに住んでいる人間
たちは皆ずっと怖い思いをし続けることになるのを理解してくれ」
テロ直後の彼らの言葉から感じた「怒り」と「怖れ」は、そのうち徐々に
消えていき、生活は少しずつテロ以前に戻っていきました。
今回の回復力で証明されたアメリカの「強さ」がテロの標的となり、その
「強さ」を維持するために時には他国に強気な外交をするが、その「強さ」
を求めて移民する人の後が絶えない国でもあることも思い出しました。貧し
い移民の家に生まれ、貧乏ながらも必死に強く生きている友人がいるからで
す。
ブルックリンのFトレイン沿いのコニーアイランドの手前に、私がかつて住
んでいたアパートがあります。家賃が安い分だけちょっと治安の悪いところ
でしたが、私はその街をとても気に入っていました。天気のいい日は遠くに
マンハッタンのビル群が見え、いつもその中にひときわ目立つツインタワー
がありました。
でも、今はもうツインタワーはありません。
Mae
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『今週の歌』
「妹が 来るぞ来るぞと かみさんを
脅しまくって 部屋が片付く ひろ」
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