2002年11月5日号(No.407)



目次

*『日本救出2兆円作戦31』
*『伊藤園のワザ』
*『サバニ帆走レース報告9』
*『がらくたコラム』
*『今週の歌』
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『日本救出2兆円作戦31』

 今回は、訪日観光を含む今後の「日本の売りモノ」について語ってみたい。
 いやね、それって私たちニューヨークに住む日本人にとって、かなり大きな イシューだとアタシ思うわけね。
 今連載してる『NYJJ構造改革』もそっちの方向に走って行く予定なのであ る。ならばここで一発、その概要について説明しとかんといかんだろう。
 「日本の売りモノ」というのは、日本が海外に対して売っていくモノと解釈 していただけたら幸いだ。「物」ではなく、「モノ」としたのは、物質でない 可能性もあるからである。たとえば訪日観光とか。
 今後、日本は海外に対して何を売っていくのか。
 対アメリカの場合、日本の車、ウォークマン時代はもう落ち着いた。そうい う重いモノ、カタいモノはすでに輸出、あるいは現地生産している。そしてこ れが一番重要なのだが、それらは今後、そんなに増えることはない。つまり、 重いモノ&カタいモノの輸出の伸びは、これから期待できないということだ。
 そう思わないかね、皆の衆。もうすでに売るもん売ってるでしょ。
 しかし、できることなら、もっといろんなものをアメリカに対して売りつけ たいところだ。それで金儲けて日本の景気をどうにかしたいし、アメリカで日 本のモノを新しく売り始めるのなら、こちらでの日本人の仕事が増える可能性 もある(=『NYJJ構造改革』に関係してくる)。ラブリーではないか。
 こうなったら、重いモノ&カタいモノだけに頼っててはいけない。何か新し い売りモノを見つける必要があるのだ。
 では、次は何を売るのか。
 やっぱ重いモノ&カタいモノと来たら、次は当然、柔らかいモノだろう。食 いモノとかコンテンツとかサービスとか。重いモノ&カタいモノをもっと売り たくても、もうそういうモノがないんだから、柔らかいモノで行くしかないの である。
 重いモノ&カタいモノと柔らかいモノの最も大きな違いは、前者が普遍的で あるのに対して、後者は嗜好的要素が強いことである・・・とむずかしい言い 方をしてみました。「普遍的」なんて言葉、久々に使ったから緊張したぜ。っ たく。
 要するにホレ、車とかウォークマンって、だれだって必要なものじゃない?  別に日本のこと好きじゃなくてもいいし、普通の人が普通に買える商品なの である。
 ところが、柔らかいモノはチト違う。食いモノがいい例だ。
 日本食もアメリカでかなり市民権を得たが、まだまだエスニック料理であ る。つまりクセがあるってことね。だれもが愛する食いモノには、まだなり得 ていない。というか、将来もならないだろう。
 日本のアニメもそうだし、訪日観光だって同じことだ。すべてのアメリカ人 が必要とするものではない。
 したがって、日本の柔らかいモノを買ってくれる人たちというのは、重いモ ノ&カタいモノに比べると、ずーっと少なくなる。マーケットが小さいわけ ね。
 でも、小さいとは言ってもマーケット自体は存在する。
 重いモノ&カタいモノのように、売上がすんげえ額になることはないかもし れないが、ビジネスとして立派に成立する規模はある。
 だったら、日本の柔らかいモノをアメリカで、そして海外で売ろうではない の。
 続きは次回に。
                           ひろ
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『伊藤園のワザ』

 このネタも、前記の「柔らかいモノ」にもろ関連している。正確には「日本 の柔らかいモノをアメリカでどう売るのか」というのが、『伊藤園のワザ』の コアのテーマである。
 現在すでにアメリカに進出し、実際に「重いモノ&カタいモノ」後の日本の 売りモノ(=柔らかいモノ)を販売している企業の中で私が最も注目している のは、「伊藤園」である。
 そう、あの“お茶”の伊藤園ね。
 伊藤園は、現在必死にアメリカ人に対してお茶、特にペットボトル入りの ウーロン茶や緑茶を売り込もうとしている。特にニューヨークにおいて、その 動きが激しく見られるのである。
 この街に住む日本人もあまり知らないかもしれないが、彼らはいろんなとこ ろでいろんなことを仕掛けているのだ。
 ここでその一例をご紹介しよう。
 先日の日曜日、そう、ニューヨークシティ・マラソンの日、私は同イベント のボランティアとして、セントラルパーク・サウスのビル内に設置されたプレ スセンターに待機していた。
 そこでは、世界中から集まったジャーナリストたちが実況中継を見ながら、 ラップトップのキーボードを叩き続けていた。
 私はそういう風景には大して興味がなかったので、プレスルームの隣りのカ フェテリアみたいなところで、日本語の文庫本を読みながら時間を潰してい た。ボランティアとしての出番までには、まだ結構時間があったからだ。
 私がいた丸テーブルにアメリカ人らしきカップルが座った。私は本を読むの に忙しく、彼らを無視して読書を続けた。
 ただ、私の視界の片隅に、見覚えのあるペットボトルが置かれたのだけは見 逃さなかった。
 「おや?」とそのペットボトルを見る。それはなんと伊藤園のウーロン茶 だったのだ。
 「このアメリカ人、伊藤園のウーロン茶なんか飲みやがって。生意気だな」
 そんなことを考えながら、ふと向こうのテーブルを見ると、別の白人のおね えさんが、これまた伊藤園のフルーツジュースを飲んでいた。
 「あそこにも伊藤園が・・・」
 慌ててまわりを見回す私。
 すると、そこら中のアメリカ人どもが、伊藤園のペットボトルを片手に持っ てグビグビやってるのである。
 「ここは伊藤園グルーピーの巣窟か・・・」
 私の脳裏をそんな思いが駆け抜けましたね。
 同じテーブルのアメリカ人に「そのドリンク、どこでGetしたの?」と聞く と、「あそこ」とカフェテリア内のドリンクコーナーを指差した。
 そのドリンクコーナーに行ってみると、ありました、ありました、問題の伊 藤園ドリンクが。ウーロン茶やフルーツドリンクが山ほど置いてあった。
 これは私の想像だが、伊藤園はニューヨークシティ・マラソンに自社ドリン クの寄付をしたのではないか。だから、あんなにたくさん伊藤園ドリンクが置 いてあったのである。
 そしてこれが一番のポイントなのだが、実際驚くほどの数のアメリカ人が伊 藤園ドリンクをグビグビ飲んでいた。
 その場にいたのは、マラソン関係者ばかりだった。つまり、健康に結構気を 使ってる人たちってことね。
 その人たちにとって、伊藤園ドリンクは、なかなかフィットする飲み物だっ たに違いない。だってヘルシーなんだも〜ん。
 ニューヨークシティ・マラソンを狙った、伊藤園のフリードリンク作戦(フ リーかどうかはクリアーではないが)。かなり鋭くないか。
 また伊藤園は、セントラルパークで開催されるその他のイベントにもドリン クの寄付を仕掛けてるようなのである。以前、その話を風の噂で聞いたことが ある。
 私はドリンクコーナーでGetした伊藤園のウーロン茶を持ってテーブルに戻 り、フタを開け、アメリカ人に負けじとグビグビやった。
 うまかった。
 まわりのアメリカ人たちに目をやり、「ふん、おめえらウーロン茶なんか飲 んだことねえだろ。日本人はこれを飲んで大きくなるんだぞ。ざまあみろ」と 心の中で叫んだ。
 何が「ざまあみろ」なのか、自分でもよくわからなかった。
 続きは次回に。
                   ひろ
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『サバニ帆走レース報告9』

 慶良間諸島がだんだん近づいてくる。
 レースのポイントは2つ。
 慶良間の島々の間をいかに速くすり抜けるか。そして慶良間と那覇の間を、 問題のチービシを避けつつ、いかに速く渡り切るか。
 コースの順番から言うと、先に直面するのは前者、つまり「慶良間の島々の 間をいかに速くすり抜けるか」のほうだった。
 フェリーは、サバニレースとほぼ同じコースで座間味島に向かっている。
 みんなでコースの下見をするために甲板に上がる。風が結構強い。メガネが 波しぶきで曇る。
 友人から去年のレースの話を聞く。あそこを通ってどうのこうのしたらどう のこうのだったと説明を受ける。○○が「こっちに行け」と言ったが、××と △△がそれを無視してあっちに行って大変なことになったなどと、それぞれの キャラクターがわかるだけに、なかなか臨場感あふれる話だった。
 友人の話を総括すると、「この海はむずかしい」ということだった。
 沖縄の大学に通っていた頃、この友人たちとよく潜りに行った。慶良間にも 何回か一緒に来たことがあるが、沖縄本島周辺がほとんどだった。
 だからメンバーの中に慶良間諸島の海をよく知る人間はひとりもいなかっ た。
 私は、10数年前に慶良間諸島の阿嘉という島でダイビングの仕事をしてい たこともあって、同諸島の西側の海については多少知ってはいたが、なんと いっても10年以上昔の話である。また今回のレースは、慶良間諸島の西側で はなく、東側の海を走ることになっている。
 というわけで、現在は完全にシロウト状態だった。
 コースをながめながら、「いや、やっぱり大潮のときは、こっちからあっち に流れるから、あそこに入ったらダメだろ」と友人たちにエラそうにアドバイ スしてみたが、自信はまったくなかった。ハッタリである。アメリカ人たちか ら学んだ「知らなくても、さも知ってるように話す」というテクニックだ。
 ニューヨークに来て10年。変わらない慶良間の青い海を目の前にして、 すっかり変わってしまった自分を見つけた瞬間だった。
 ちょっと大袈裟。
                    ひろ
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『がらくたコラム』

 ニューヨークの道端で、何かにおびえて駆け足で逃げ出したのは、あの日が 始めてだった。
 そう、あれは、50丁目と7アベ付近で起こった事件だった。
 私とかみさんは、結構強い向かい風の中を東へと歩いていた。
 すると、私たちの進行方向、つまり風上からこちらに向かって歩いていた中 国人風の中年男性が、突然立ち止まり、その右手を自分の鼻にあてた。
 「フーーーーーン!」
 手鼻だった。しかも風上。
 そのおじさんの行為を目にした私とかみさんは、「オーマイガアー」と悲鳴 を上げながらダッキングし、駆け足で反対側の歩道に向かって走り始めた。
 幸い私とかみさんは、直弾を避けたが、あの手鼻、風に乗ってかなり遠くま でリーチしたと思う。
 ニューヨークに来て、初めて上げた悲鳴。それは手鼻。運がよかったのか悪 かったのか、よくわからんな。
                    ひろ
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『今週の歌』

「楽しみに してたデザート 探すとき
          後ろでひとこと “食った”という妻 ひろ」



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