2003年8月19日号(No.427)
目次
*『今週の問題』
*『Nuts本の旅:営業編3』
*『NYJJ構造改革11』
*『たわごとコラム』
*『今週の歌』
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『今週の問題』
最近なんだか復活モードである。おそらくNuts本の影響だと思う。
いやね、本を出して思ったのよ。「エラそうなこと書いてんなあ、オレ」
と。
でも、書いちゃったんだから、それなりに責任を取らなくてはいけない。つ
まり、本の中で書いたことを実際の行動に移すのである。
今回のNuts本の裏テーマは、「ニューヨークの日本人の仕事を増やそか」で
ある。だったら、まず自分がそのために努力すべきだ。
で、いろいろと考えたわけよ。
でも、出てくるアイデアというのは、昔考えたものばかり。あたしって成長
してないのね。ホント。
ただ、それらのアイデアだが、そんなに悪くないのである。いまでも使える
ものもある。
「そんなら復活させましょか」
というわけで、復活ブームとなってしまった。昔、『週刊Nuts』紙上で「や
るやる」と騒いでた作戦を再び表舞台に登場させるのだ。
最初に思いついたのが「Nutsテーブル作戦」。
皆さん、覚えてますか。ニューヨークの道端でいろんなものを売ってみよう
という作戦ですね。それを復活させようと思っているのである。
一度「これは無理ね」ということでお釈迦にしてしまったが、気が変わっ
た。やるよ。
以前の案では、ただ道端にテーブルを置いて売るという話だったが、今回は
ちょっと作戦変更。春から秋の間、週末に行われるストリートフェアを使おう
とたくらんでいる。つまりストリートフェアに出店するわけよ。
売るのは日本人が作ったもの。Tシャツ、絵葉書、陶芸、本などなど。それ
らをどっかから仕入れて売るつもりだ。仕入れも売るのも私がやります。
前は、自分が作った商品がニューヨークで売れるかどうか実験したい人たち
のための企画だったが、やめた。オノレ中心主義で行くことにした。
いやね、そうじゃないと営業に気合いが入らないと思ったのよ。どうせ売る
なら、「これでどうだ」という商品を売りたいじゃない。ある程度自信を持っ
てお届けできる商品ってやつね。そしたら売れなくても納得いくわけだし。
「Nutsテーブル」を単なる貸しスペースではなく、ホントに売る舞台に変え
るのである。
でも、売るのはあくまでも日本人が作ったものだ。さらに、今後日本人がア
メリカ人に対してガンガン売っていける可能性のある商品。その辺の市場調査
も兼ねてるわけですな。
売れそうな商品を集めるのが結構むずかしいかもしれないが、まあなんとか
なるだろ。とりあえず「やる」という姿勢でのぞむことにした。でないと、い
つまでもやらんからね。
「Nutsテーブル」の復活予定は、来年の春。今年は無理よ。本売るので忙し
いからね。
タイトルも変えようかと思っている。「Nutsテーブル」は一度死んだ名前。
縁起悪そうじゃん。それになんか冷たい感じがするし。
タイトルに関しても考えます。
それでは、早速仕入れですな。がんばろか。
ひろ
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『Nuts本の旅:営業編3』
アマゾンがまだである。「在庫切れ」と表示されるのだ。出たばっかりなの
に「在庫切れ」なわけないだろ。ったく。
今回本を出すにあたり、私は本の売り方ってやつを結構研究した。
もし広告予算が山ほどあったら、新聞や雑誌にガンガン広告を打てばいいの
だが、そんな金はない。
さらに、『NYに住んでも幸せになれない』は私の処女作であり、私自身も知
名度ゼロ。
そして著者の私はニューヨークにいて、日本での営業活動ができないときて
いる。
ハンディだらけですな。
だから私は本売りの研究に勤(いそ)しんだのだ。
「どこかにチャンスがあるはずだわ」。そんなことを考えながら。
今回の本の初版は3000部である。3000よ。3万じゃないからね。
そして私のゴールは1万部。つまり、初版+7000部だ。
初版を全部売り切って、さらに7000部。かなり大胆な数字である。
世の中には、初版さえ完売できない本が腐るほどある。ちなみに日本では毎
日、200点の新刊書が出ているらしい。毎月ではない。毎「日」である。
つまり年間で約7万点。「初版さえ完売できない本が腐るほどある」の意味
がおわかりいただけたと思う。そんだけ出てりゃ、陽の目を見ない本もやっぱ
りあるわな。
初版さえクリアーできない本が多い中、初版+7000部売ろうっていうん
だから、大したもんである。自分で言うな。
私の本のようなハンディ本(売るのが不自由な本)にとって、1万部という
のは大ヒットを意味する。常識では考えられない数字である。
普通に売っても到底達成できないだろう。なんらかのブレイクが起きない限
り、実現不可能だ。
ポイントは、その「なんらかのブレイク」になる。たとえば、ヤンキースの
松井選手が「ボクはこの本でニューヨークを学びました」なんて発言した日に
は、1万部なんか軽いね。
しかし、現実は厳しい。ゴジラがそんなことを言ってくれるとは思えない
し。
要するに、他力本願的なブレイクは、「あったら儲け」ぐらいに考えておく
べきである。でも一応、お願いだけはしておこう。松井さん、よろしくお願い
します。
さて問題は、自力で起こすブレイクだ。こちらから何かを仕掛けるわけです
な。
ただ、「金欠」「無名」「日本にいない」の三重苦である。できることは限
られている。
そこで私が考えたのは・・・
続きは次回に。
ひろ
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『NYJJ構造改革11』
前回までいろいろなビジネスを検証していたのだが、今回はちょっと小休
止。別ネタで書きたいことがあるのだ。
先日、イーストビレッジのサンライスマートに行った際に『wisdom』という
日本語雑誌をGetした。
これがなかなかよくできた雑誌なのである。
サイズはこの『週刊Nuts』より少し大きいぐらいで、同じように入れ物に立
てて置いてある。
でも、Nutsのようなチープな感じじゃなくて、フツーの雑誌みたい。おしゃ
れだし。
こういう紙メディアは、私も考えつかなかった。スキを突かれた気分だ。
いまニューヨークには、日本語フリーペーパーが結構ある。一番多いのが、
2つ折りにした状態がレターサイズの大きさのもの。そのサイズのフリーペー
パーがたくさんあるもんだから、日本食レストランや日系スーパーにも、もう
置く場所があまりないのである。
でも、Nutsサイズの出版物は場所を取らないため、まだ置くスペースがあ
る。そこを狙ってのスモールサイズなのだろう。
私って、そういう頭の使い方が大好きなのよね。
メディアにも、やっぱり土地柄があると思う。ニューヨークの日本人コミュ
ニティだと、フリーペーパーを設置するスペースがあまりないから、サイズは
自然と小さくなる。反対にロスの日本人コミュニティは、ミツワなどの大型
スーパーがいくつもあるから、デカい紙メディアもOK。だから、ロスのフ
リーペーパーのほうが、ニューヨークのものよりサイズがデカいのである。
ニューヨークに限って言えば、先に書いたように設置スペースがない。で
も、なんとか自分のメディアを出したい。そこでいろいろと工夫する。限られ
た条件の中で、ベストのスタイルを模索するわけですな。
その『wisdom』には、そういう模索感が感じられて、非常にラブリーであ
る。「頭、使いました」というのがよくわかるのだ。
同誌が対象としているのは、おそらく女性だと思う。「スクール発見マガジ
ン」と書いてあるから、別に男性でもいいのだろうが、雑誌のつくりが女性向
けである。
無料誌だからして、収入源は広告。その部分はちょっと心配よね。ニュー
ヨークの日系広告業界って、全体的に下り坂だし、その状態がこれからもしば
らく続きそうだからである。
でも、心意気はいい。メディアとしてのスタイルもナイス。パチパチパチ。
問題は、ビジネスとして続くかよね。
今年から来年にかけて、ニューヨークの日本人コミュニティでは、メディア
の世代交代が起こると思う。9月には日刊の無料スポーツ紙が発刊されるとい
う話もあるし。
日本語フリーペーパーが登場し始めたのが、いまから約10年前。そして再
び新しい日本語メディアの波が、この街を訪れつつある。
やっぱ10年周期なのかなあ。こういうのって。
ちなみに10年前からじぇんじぇん変わってないのは、『週刊Nuts』だけで
ある。サイズも色もチープさもそのままだ。
いいのか悪いのかよくわからんが。
なにはともあれ、『wisdom』の健闘を祈ります。
ひろ
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『たわごとコラム』
停電。皆さん、いかがお過ごしになりましたでしょうか。
9−11を思い出した人も多いと思う。風景的にはかなり近いものがあっ
た。
ただ、人々は比較的落ち着いていた。恐れられていた暴動も起きなかった。
結果的には、限りなく平和な停電だったと言える。
停電の2日後、日本の週刊誌の記者から取材の電話が入った。9−11の際
に知り合った記者さんだった。
いろいろ質問されたのだが、これといってコメントすることがない。別に何
も起きなかったからだ。
「静かだったんですね」
記者さんがそう言ったとき、私は自分自身に問いかけたのである。「なぜ静
かだったのかしら」と。
市民が落ち着いて対処したのどうのこうのと説明することはできる。でも、
なぜ人々は落ち着いていたのか。9−11の盛り上がりが起きなかったのはな
ぜなのか。
私は、その答えのひとつは「テレビ」にあると思う。
今回ニューヨーカーたちは、事件をテレビで見ることができなかった。現場
の興奮をダイレクトに伝えるテレビにアクセスできなかったのである。だっ
て、停電だったからね。
テレビが使えなかったため、人々は情報収集のためにラジオを活用した。9
−11に続いて、ラジオが再び大活躍したわけである。
つまり、メディア的に見た場合、今回の停電が9−11と大きく違う点は、
テレビの有無だった。
確かに事件としてのインパクトが違い過ぎるという話もある。9−11はテ
ロだからね。
しかし私は、今回の停電でテレビが大人しくせざるを得なかったことを非常
に重要視している。正直に言うと「ラッキー」って感じ。
私は個人的に、何か事件が起きた際のテレビの煽(あお)り機能を「ちょっ
と危険よね」と考えている。同じシーンを何回も流し、まるでそれがすべてで
あるようなイメージを視聴者に植え付けてしまうからだ。
その点、ラジオは安心だ。つまんないからね(でも情報は充実)。
地下鉄やエレベーターの中に閉じ込められた人たちの救出劇や、一部のアホ
どもによる略奪事件の現場がその日に放送されなかったことを残念に思う人も
いるかもしれない。
でも私はそれでよかったと思う。そんなの、後日見ればいいじゃん。
今回の停電でニューヨーカーたちは、事の重大さを視覚的に実感する機会が
あまりなかった。つまり、大騒ぎするきっかけが見つからなかったのである。
そして、気がついたら朝だった・・・というわけだ。
「テレビがなくて、ホントによかったわ」
私は本気でそう考えている。
おそらく9−11のトラウマだと思う。
ひろ
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『今週の歌』
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