2003年11月25日号(No.434)



目次

*『今週の問題』
*『日本救出2兆円作戦52』
*『たわごとコラム』
*『今週の歌』
■■■■■■ 投稿募集 → nynuts@rcn.comまで ■■■■■■
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『今週の問題』

 ジャパンソサエティーでの講演会が終わった。
 緊張した。マジで。
 講演会の中でも話したのだが、私が得意とするのは10人以内の観衆であ る。それ以上になると、極度に緊張するのだ。
 これまでの最高記録は40人。そのときもかなりの緊張度だった。
 そして今回は60人。死ぬかと思ったぜ。ホントに。
 ただ、楽しませてもらったのも事実である。
 講演会のあと、知人に「どうだった?」と聞かれて、「うん、楽しかった よ」と思わず答えてしまった。スピーカーが楽しかったというのもなんだが、 実際そうだったんだから仕方がない。
 前述のように、50人以上の前でしゃべったのは今回が初めてだ。目の前に 広がる景色も観衆のリスポンスも、数人の場合とは随分違う。要するに新鮮 だったわけね。
 あと、60人もいるもんだから、いろんな質問が出るのである。これがまた おもしろい。質問を受けながら、「講演会やってよかった」としみじみ思いま したよ。
 講演会も、やっぱりひとつのコミュニケーションの方法よね。当たり前だけ ど。
 人前で話すのが苦手ということもあり、これまでできるだけ講演会は避けて たのだが、今後は考えをあらためねばなるまい。別に味をしめたわけではない が、語りかける相手の反応が、ミニコミやインターネットなどとは一味違うの である。なんと言っても「ライブ」だからね。
 もっと直接的というか、緊張感があるというか。その場でしか味わえない何 かがある。もしかしたら、映画とお芝居の違いに近いかもしれない。お客さん が目の前にいるという事実が巻き起こす、さまざまな連鎖反応。それがお芝居 や講演会の魅力だろう。
 また、講演会が終わったあとのお客さんたちとのチャットもありがたかっ た。私が掲げたテーマに興味を持つ人が、これだけ大勢集まることってそんな にないからね。いろいろとお話しさせていただきました。
 さらに、「しゃべる」ための脳ミソというのは、「書く」脳ミソとは別にあ ることを発見したのも収穫のひとつだった。
 講演中は、脳ミソが激しく働いてるわけだが、その働き感やスピードが「書 く」ことと見事に違うのである。
 文章を書く場合、瞬時のアドリブは必要ない。でも講演会は、それ自体がア ドリブの塊みたいなもんですからね。何事もクイックじゃないといけないわけ だ。
 日頃、文章しか書かないもんだから、そのクイックさがなんとも手強かっ た。場のスピード=お客さんの反応についていけないのである。
 しゃべりながら、「あ、これはウケた」「げっ、見事にハズした」とか思い ながら、次の展開を考える。一応、台本みたいなものはあったのだが、あくま でも大切なのはお客さんの反応だ。結果的には、台本をかなり変えながら話を 進めた。すんげえむずかしかったわよ。
 ところで、お客さんに関してひとつ驚いたのは、アメリカ人が6、7人いた ことである。
 最初、彼らを見たとき、「この人たち、あたしの話わかるのかしら」と心配 してしまったのだが、いやまあ、ウンウンうなずきながら私の話を聞いている のである。ときどき笑ったりするし。中には、質疑応答の際にうまい日本語で 質問する人もいた。
 ちなみに、今回の講演会の英語での説明文は以下の通りである。
 「Hiroyuki Takenaga, a columnist and Publisher of Shukan Nuts, has been writing about the Japanese community in New York City for the past 10 years. Based on his recent book Living New York Does Not Make You Happy and on his own personal experiences, Mr. Takenaga shares his observations of Japanese living abroad, his analysis of "New York Disease" and discusses how a better Japanese community can be created in New York. 」
 実を言うと、私は同説明文を読んで、「もしかしたらアメリカ人も来るかも ね」と思っていた。自分で言うのもなんだが、なんとなく面白そうじゃない。
 実際、ジャパンソサエティーには、アメリカ人からの問い合わせが結構あっ たそうだ。非日系メディアからも取材の申し込みがあったらしい(でも日本語 の講演会だからボツになったけど)。
 おそらくポイントは、"New York Disease"だったと思う。この言葉がツボを 突いたはずだ。
 私が本の中で書いた内容や"New York Disease"に興味のあるアメリカ人が山 のようにいるとは思わないが、それなりに存在しているのは間違いなさそう だ。まさに「意外な発見」である。
 アメリカ人を攻めるのも手よね。今回の本を英訳するとかさ。だれがやるか が大問題だが。
 とまあ、今回の講演会ではいろんなことを勉強させてもらった。ありがたい わあ。ホント。
 来ていただいた皆さん、本当にありがとうございました。わたくし、かなり 緊張してたのですが、お楽しみいただけましたでしょうか。
 会場で聞けなかった質問などがありましたら、いつでもnynuts@rcn.comまで ご連絡ください。
 今後ともよろしくお願いします。
                   ひろ
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『日本救出2兆円作戦52』

 前回お話しした「SOJ案」の続きである。アメリカから母国に一時帰国する アジア系の人たちを日本にストップオーバーさせるという案ね。
 現在、日本政府は、ビジット・ジャパン・キャンペーン(VJC)と呼ばれる 訪日観光客誘致作戦を展開している。小泉の純ちゃんも強く推してるキャン ペーンである。
 アメリカのシニア層を狙うなどの活動をやっているわけだが、ワタシ的には おそらくコケると読んでいる。
 あのね、攻め方に根拠がないのよ。とりあえず予算があるからやってるって 感じ。完全に税金の無駄使いだと思う。
 VJCは、数年間続けられる予定だが、いまのやり方では結果は出ないだろ う。でも、だれもその責任は取らないはずだ。
 そういうロクでもない状態のVJCだが、心意気としてはいいのである。その 点は、私も高く評価している。
 しかし、実体が伴わないのだ。このままでは、「訪日観光なんて、所詮無理 な話なんだよ」というコンクルージョンになってしまう可能性もある。要する に、訪日観光自体がぽしゃっちゃうわけね。
 訪日観光は21世紀の日本の基幹産業になると、私は考えている。だから、 ぽしゃったら困るのよ。ホントに。
 訪日観光を死なせないために、私が用意した秘密兵器が「SOJ案」だ。同作 戦で明確な結果を出し、訪日観光をひとつの未来産業として日本に根付かせる のである。
 いや〜、なんとまあデカい話だこと。「本気かよ?」って感じよね。自分で 言うな。
 続きは次回に。
                   ひろ
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『たわごとコラム』

 通訳。
 大変な商売だと思う。
 数年前にうちのかみさんを日本に連れて帰ったときから、そのことには薄々 気づいていた。
 日本語を英語に、あるいは英語を日本語に訳す。さらに、それは通常「ライ ブ」である。瞬時に訳さねばならない。
 ただ、私がここで「大変」と言ってるのは、そういうことではない。別の意 味での通訳の恐ろしさとでも言えばいいのだろうか。間に人が入るからこそ起 こる悲劇。被害者は、通訳者自身である。
 あの〜、皆さんに質問なんですけど、通訳者を通してだれかとしゃべると きって、普通だったら聞けないようなこと、聞いたりしません? 自分だった らとっても聞けないようなこっぱずかしい質問を、「おれじゃないからいい や」てな感じで聞いてしまうとか。
 私がその問題に直面したのは、前述のかみさんとの帰国がきっかけだった。
 私の両親は、英語を話さない。かみさんも日本語を話さない。したがって、 この日本人2人とアメリカ人1人のコミュニケーションには、当然私が介入さ せられることになる。
 「腹が減ったか?」とか「この料理は、どうやって作るの?」などの質問は 問題ない。日本人の両親とアメリカ人の嫁の、他愛のないカンバセーションと 考えれば、まさにラブリーだ。家庭内文化交流の図である。
 しかし、上記の3人(両親&かみさん)は、どうしてもその先に行ってしま うのである。要するに、調子こいていろんなこと聞きやがる、という意味だ。
 「おれが聞くんじゃないからいいや」。そういう無責任感というか、お気軽 気分満載の質問を連発。自分じゃないからイケイケで聞けちゃうわけよね。
 実家に帰省中のある日、私は、父とかみさんの通訳をしていた。
 そのとき、父が言った。
 「お前のどこがよくて結婚したか聞いてみろ」
 私は凍った。それを私に聞かせるのか。
 仕方なく私はかみさんに聞いた。
 「おれのどこがよくて結婚したんだ?ってさ」
 かみさんは言った。
 「両親がいいからよ」
 かみさんは、冗談ではなく、本気でそう答えていた。
 「うちの親に会ったの、今回が初めてじゃねえか。このお調子者が」
 私は心の中でそうツッコんだ。
 父にかみさんの返事を訳して伝えると「ははは」と笑った。でも、まんざら でもない様子だった。一方のかみさんも、「うふふ。これで得点2」という顔 をしていた。
 かみさんが活躍したのは「返答」だけではない。質問に関しても暴れ放題 だった。
 ある日、父とかみさん、そして私の3人で車に乗っていた際、かみさんが突 然言った。
 「あの橋、何年にできたか聞いてよ」
 かみさんが「あの橋」と呼んでいたのは、日本の市町村であれば、どこにで もあるような普通の橋だった。つまり、ヒマつぶしに質問してるのである。
 ただ律儀な私は、忠実にその質問を訳し、父に聞いた。
 「知らんなあ」
 予想通りの答えだった。
 かみさんにそれを伝えると、次にこう聞いた。
 「じゃあ、いま走ってるこの道はいつできたの?」
 私たちが車で走ってたのは、これまたどこにでもありそうな県道である。普 通、だれもそんなことは聞かない。
 さすがの私もついに切れた。
 「そんなこと聞いてどうするんじゃい! そんなことだれも知らんわ!」
 「あ、そう」
 かみさんは冷静にそう答えた。
 実家にいる間、私は両者による質問&返答の嵐に耐え続けた。そのときに 思ったのである。「通訳って大変よね」と。
 ここで話を「いま」に戻す。
 先週、実家の熊本からイトコが1週間ニューヨークに遊びに来ていた。質問 &返答の嵐の再来である。
 今回もかみさんは容赦なかった。
 「私たちが恋人同士に見えるかって聞いてみてよ。もし結婚してるように見 えるなら、何年ぐらい結婚してるように見えるか聞いて」
 「私たちに子供ができたら、アンタに似て頭の大きな子になるか、私に似て 頭の小さい子になるか聞いてみて。アンタに似てたら、出産のとき大変かも聞 いてよ」
 「ほら、あそこのビルにあるオフィスで、私たち2人が初めて出会ったって 説明してよ。私たちの愛が始まったのはあそこだって言ってよ」
 このタガのはずれ具合は、うちのかみさんの問題だけではない。通訳が入る と、どうしてもいろんなことを聞いたり言ったりするのである。特に身内にお いては、その傾向が顕著だ。
 通訳のむずかしさは、その通訳能力だけでなく、質問者や返答者の無責任さ を同時に背負わねばならない点である。見過ごしがちだが、重要なファクター だろう。
 通訳を商売とする皆さん、ホントにご苦労さまです。
                   ひろ
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『今週の歌』

「キル・ビルに ラスト・サムライ 急にまた
       チャンバラブームで どうしたアメリカ ひろ」



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