1995年9月5日号
(No.78)
Nutsの表紙です
@週刊Nuts「平成の目安箱」
村山首相様
前略
ホントに夏が終わってしまいました。寂しいです、首相。
先日、こちらのメイン州というところに行ったのであります。この州は、
海産物が採れることで有名な州で、日本へもホンマグロ、ウニ、甘えびなど
が、ここから送られてます。
このメイン州に、今回、ホンマグロのことを調べに行きました。ホンマグ
ロがどういうふうに捕られて、買われて、そして日本に送られるのか。それ
を知るために行ったのであります。
ホンマグロと同時に、そこで採られたウニが日本へ送られる姿も見ました。
はっきり言って、それは異常な光景でした。
トラックでウニが運ばれて来ました。そのトラックの中は、ウニでいっぱ
いでした。数万個のウニです。それがプラスチックの箱に入れられて、次か
ら次へと、トラックから運び出されます。これらのウニのほとんどは、日本
へ送られるとのこと。私は、その数万個のウニを、呆然と見つめていました。
あのウニたちがいなくなった海底は、今、どんな風景なのでしょうか?
一体、どのくらいの広さの海底から、ウニが消滅してしまったのでしょうか?
「ウニはまた生まれてくる。」という考え方もあります。おそらく海中を
さまようウニの卵たちが、また大人のウニになるのでしょう。
でも、です。あの量には、そういう考えを粉砕してしまうほどの迫力と破
壊力がありました。
私は、以前、漁師をやってました。ウニを採ったこともあります。ですか
ら、「これだけのウニを採るのに、どれだけの海底が必要か?」ということ
もなんとなく分かります。そして、「これだけのウニがいなくなることによ
って、どれだけの生物間の関係が崩れるか?」ということも想像がつきます。
要するに、今まで、ウニさんたちが食べてた生物たち、そして、今まで、ウ
ニさんたちを食べてた生物たちが、突然、ウニさんたちがいなくなったこと
にどのくらい驚き、慌て、困るか、それがよく分かるのです。
自然に住む生物たちは、ある程度、決まったモノを食べ、決まったモノに
食べられています。人間のように、「あ、今日あの日本食屋、休みジャン。
じゃ、今日は、インドにしようか。」なんてふうには、行きません。
ウニを主食にしている生物もいます。もし、その生物の目の前から、突然
ウニが消えたら、その生物は、どうやって生き延びていくのでしょうか?
人間に例えて言うと、ここにラーメンを主食にしている学生がいたとしま
す。彼は、ラーメン以外のものは、食べられませんでした。そして、ある日、
その学生の前から、ラーメンの麺が、突然姿を消してしまいました。しょう
ゆラーメンを頼んでも、とんこつラーメンを頼んでも、そこには、スープと
具しか入っていませんでした。さて、その結果、この学生は、どうなったの
でしょう?
続きは、来週にでも。では。 草々
「週刊Nuts」編集人 竹永浩之
「Nuts世界観光案内」アジア放浪編・パート4
「ここでムエタイ修行するべきか?」。それとも、「タイのビーチで南国
の太陽の光を満喫すべきか?」。真剣に悩んでいた。
見るからに痛そうであった。サンドバックをバッコンバッコン。お互いキ
ックをバッチンバッチン。それも、かなりしなるキックであった。「あんな
モノ食らったら、その痛みを日本まで持ち帰ることになるわ」。心の中でそ
うつぶやいた。
一応、格闘技の心得はあった。日本の大学に真面目に通ってた時、ある格
闘技系クラブのキャプテンだった。だから、キックとかパンチとかで、人を
攻撃することについては、抵抗なかった。でも、痛いのは嫌いだった。
「彼らのキックする時の目は、本気である。命をかけた目をしている。あ
のような目をする人間達とは、戦ってはいけない。良いお友達であるべきだ。
キックを通い合わせる仲ではなく、心の通い合う仲であろう。ウン、そうだ、
そうだ。」と言う声。私もその声に積極的に賛成したかった。「なんでこん
なとこまで来て、痛い目に合わなならんの? あー、アホくさー」。それが
本心だった。
でも、物事はそんな簡単には運ばない。「せっかくここまで見に来たんだ
から、もうちょっと見て決めよ。」と軽い気持ちで思ってしまい、しばらく
そこで練習風景を眺めていることにしたのである。それが不幸の始まりだっ
た。
急に休憩時間に入った。みんな休み出す。その小汚くて狭いリングの上に
誰もいなくなり、黒く光るサンドバックも、最後の蹴りの余韻を残して、静
かに揺れていた。急に寂しげであった。でも、私は緊張していた。なぜなら
小僧たちが私を見ているからであった。
「ガン飛ばすんじゃねえよ。蹴り入れんどー。」と、できもしないことを
考え、「そんなことしたら、オレ、帰んどー。」とスネかけていた時、コー
チらしき人物が寄って来て、何やら英語で話し始めた。
「ぱらんぴんこ、さんどばっく、ととかりんどこ」。そんなカンジに聞こ
えた。
多分、英語だったと思う。その頃、私は英語がまったく出来なかったので、
そんなふうに聞こえたのだろう。でも、その中にひとつだけ分かる単語があっ
た。「さんどばっく」。そして、そいつは、人が頼みもしないのに、一生懸
命、サンドバックを指さしていた。
「もしかして もしかして あなたの指さす訳はー」。心の中で歌ってい
る自分がいた。「もしかして、こいつは、オレにサンドバックを蹴れ、と言っ
てる訳では、あるまいな?」。イヤな予感がした。私はゆっくりと最初に自
分を指さし、そして、サンドバックを指さし、そいつに「ってことなのか
な?」という不安と国際交流の入り交じった笑みを投げかけた。その瞬間、
そいつは、アゴを”グワッフン、グワッフン”、音が出るくらい縦に揺すり、
自分の思いが通じた喜びを噛みしめていたのよね。
それは大変なことになって来ていた。 Hiro
「VOICE」
@『傲慢と偏見』
G7サミット参加国のなかでユダヤ人に対する偏見がほぼ完全に無い国は日
本だけだという話しです。これは別にほめられるべき事でも自慢すべき事で
もなく、単に日本はユダヤ差別と「関係が無かった」にすぎないのです。同
じように日本は黒人差別とも「無関係」で来られたわけですが、それでは日
本人は世界でも稀な人種差別の無い国民かというと決してそんな事はなく、
韓国・朝鮮人差別をはじめとして、おもにアジア人に対する根強い偏見を持っ
ているわけですが、最近は二十代の若い日本人が盛んにアジアを旅するよう
になり、ほんの少しずつではあっても偏見差別の感情が薄くなりつつあると
いうのが救いと言えます。ただ、世界中の人種差別に根座す対立を見てゆく
と多分に作用反作用というか、共鳴増幅現象というか、一方が差別偏見を持
つとそれに対抗して偏見差別される方がまた極端な行動に走り、それを「口
実」に差別する方はまた態度を硬化させるという悪循環がたとえばセルビア
対ボスニア、パレスチナ対イスラエルなどあちこちで見られ、アメリカの黒
人差別もつい最近まではおなじ経過をたどったように聞いています。これに
対する一つの回答が日本方式と言えるかもしれません。万人周知のように
1970年代の終わり頃までは欧米人の目から見れば「日本人など黄色い猿」
(カイゼル・ウイルヘルムの言葉だそうです)にすぎなかったものが、ごく
最近になってやっと日本人も人間だったという事がわかりかけて来た事を思
わせるような言動が欧米諸国あちこちで見られ、それにつれておなじ黄色人
種であるアジア人全体の国際的地位があがりつつあるのも、これひとえに戦
後日本人が低姿勢を守り、欧米人の差別的言動に極端な反応をせず、その優
れている点に学び、欠点は無視して「和魂洋才」をたゆまず実行した御陰で、
今では西欧人が「和才洋魂」を試すところまでこぎつけたわけです。ですか
ら日本人にとってこれからが大切なところで、西欧世界でようやく人間並み
に扱ってもらえるようになったことで有頂天になり、いわれのない優越感に
浸って、チャーチル、ド・ゴールは言うに及ばず、一部の時代錯誤的ヨーロ
ッパ人がいまだにそうであるようにアジア、アフリカ諸国の人達に対して傲
岸不遜な態度で接するようになっては元も子もなくなるでしょう。外国から
の度の過ぎた「ああせいこうせい」に対しては今までのようなひたすら低姿
勢ばかりではいられないにしろ、「小金を溜めたからと言って急にデカイ面」
をするようになったという陰口を囁かれないよう注意すべきで、その脈絡か
ら言っても国連の安全保障常任理事国などに立候補するなどという事も今は
あえて急がず、ひたすら裏方に廻って陰然たる力を蓄え、世界中が本当に日
本の発言に耳を傾け、それに従う姿勢になるまで背伸びはしない方が良いの
でしょう。 美華蝶
@メイン州のお土産話を少し。
ホンマグロ、いましたよ。愛らしかったですねえ。愛らしかったと言って
も、重さは、100ー150キロぐらいあります。彼のことをいろいろと調
べて来ました。
また、ホエール・ウォッチングにも行きました。たまたまマグロ禁漁の日
がありまして、他に何もやることがありませんでしたので、「久々にクジラ
君に会いに行くか」という軽いノリで、クジラ見学の船に乗り込んだのであ
ります。いっぱいいました。あちらこちらで、潮が吹き上がり、「あっちに
2頭、こっちに1頭」という状態でした。
クジラは沖縄時代に一度、見たことがあります。すぐそこで見ました。ジャ
ンプすればクジラの背中に乗れる距離でした。ですから、今回のクジラ見学
は、そんなにエキサイティングなモノではありませんでしたが、久々に旧友
に会ったような気分で、「へー、元気なんだ。」とトロンとした優しい目で
彼らを見つめている自分がいました。何か知らないけど、少しホッとしまし
た。
あと、イルカ君、アザラシ君にも会いました。元気そうでした。
その他、田舎のジャパレス事情や、サンセット・クルーズの話、そこで会
った日本人の方たちの話など、いろいろ書きたいことはあるのですが、それ
は、「Nuts世界観光案内」の「ホンマグロの旅」編として、ご紹介したいと
思います。乞うご期待。
事務連絡です。10月1日(日)にイースト・ビレッジで行われます「日
本の祭り」の実行委員会発足ミーティングが、9月10日(日)午後1時よ
り波崎レストラン(210 E 9th St. Bet. 2nd & 3rd Ave.)で行われます。私も行
きます。興味のある方はどうぞ。
「Nutsのファンですけど、働いてるレストラン教えて下さい」という電話
がありました。ごめんなさい。ここでは、言えません。また、電話下さい。
お待ちしております。
私の夏も見事に終わってしまいそうです。先週は、メインの空と海を見な
がら、その夕陽に秋の気配を感じ、帰って来て、「夏の終わり」恒例の沖縄
県人会のピクニックで、野球とバレーをやって、その夜にフジテレビの「君
といた夏」が、はかなく寂しくそこはかとなく終わるのを見て、「あー、私
の夏も終わるのね」と、本当に心の底からしみじみとウソ偽りなく思ってし
まったのであります。寂しいような、すっきりしたような、変な気分です。
皆さんは、どうですか? では。編集人
@夏が駆け足で去って行く。
今年の夏は、ずっと本を読んでいた。
夏に踏み込むちょっと前、自分が将来、どこに歩いていくかを決めた。そ
の関係の本を、この夏中、読んでいた。
「もっとやるべき事があるんじゃないか?」。いつもそういう不安があっ
た。でも、読んだ。ただ、読んだ。そして、いろいろな本に出会った。
人にも会った。新しい人間達、そして、今までただの知り合いだった人間
達が、自分の中に踏み込んできた。つらく痛い時もあった。でも、後悔はし
なかった。
遊びもした。クラブの帰りに、道端に座り込んで飲んだペプシ、夕陽を見
ながら、コニーアイランドの桟橋で飲んだバドがやたらとうまかった。
そして、今、夏が終わろうとしている・・・。
「夏の終わりに」ノートを書き始めた。この夏、私の上を通り過ぎた人、
本、気持ち、生き物、モノを書き込んでおこう思う。過去、現在、そして、
未来の自分のために・・・。
右手にペン。左手にバドワイザー。目の前にあるのは、一冊のノート。そ
の自分の姿が、この夏の最後の思い出になるはず。すべてを書き込んでおこ
うと思う。うん、そうしよう。
1995年、夏。完了間近。 ひろ
いつか海に戻ることに決めた。ひろ
下のアドレスを押すとメイルが送れまっせ
投書、意見、感想もどうぞ